福原遥“碧”から林裕太“尾関”へ…視点の反転で見えた真実に共感集まる 「これは私の物語だ」最終回で見えた『透明なわたしたち』とは

犯人の人物像が見えなくなり、碧(福原)は富山へ/ 「透明なわたしたち」第5話(C)AbemaTV,Inc.

福原遥“碧”から林裕太“尾関”へ…視点の反転で見えた真実に共感集まる 「これは私の物語だ」最終回で見えた『透明なわたしたち』とは

10月24日(木) 12:00

犯人の人物像が見えなくなり、碧(福原)は富山へ
【写真】東京と富山を舞台にした美しい映像に魅了される

福原遥主演で描くサスペンスタッチの青春群像劇 「透明なわたしたち」(ABEMAで配信中)最終回の配信が10月21日に始まった。20分拡大版の最終回は、前半で描かれた高校時代のエピソードを碧(あおい/福原)の同級生・尾関(林裕太)の視点でもう一度振り返る演出が印象的。碧と同級生たちがもがきながらも自分なりの居場所を見つけていくラストに、視聴者から共感の声が上がった。最終話で碧が見つけた答え、そして本作に込められた思いとは。(以下、ネタバレがあります)

■尾関の問い掛け「お前には、俺が見えるか」

2024年、渋谷のスクランブル交差点で凶悪な傷害事件が発生した。犯人は、高校時代の同級生ではないか…週刊誌ライターの碧は、疎遠になっていたかつての友人たちと再会し、真相を追いかけていく。

碧の予想は半分当たり、半分外れだった。犯人は仲良しグループの尾関だったが、碧にとっては想定外。最終回では、尾関が自分を“透明な存在”と感じていく過程と、その感覚から一瞬でも抜け出したくて渋谷のスクランブル交差点でナイフを握ったことが明かされた。

尾関を駆り立てたのは、渋谷で偶然知り合った少女・サクラ(菊地姫奈)の「私たちの居場所なんて、どこにもない」「私にも勇気があれば、透明じゃなくなるのに」という言葉だった。自分は居場所のない透明な存在だ、という思いに囚われる尾関は、面会に訪れた碧に「みんな見たいものしか見とらんよ」と言い、「お前には、俺が見えるか」と問いかけた。碧はその言葉に応えるため、自分にしか書けない記事を書こうと決心する。

■自分のことを見てほしい…切ない思いは届かない

そんな最終回では、高校時代の回想シーンが印象的だ。登校風景や文化祭、祭りの夜…など1話では碧の視点だったエピソードが尾関の視点に反転することで、ガラリと違って見えてくる。

どの場面でも尾関は碧を目で追っているが、碧が見ているのは祭りの夜の曳山や文化祭のダンス部ステージで目立つ喜多野雄太(伊藤健太郎)や高木洋介(倉悠貴)の姿ばかりで、仲間内ですら影の薄い尾関に碧の笑顔が向けられることはほとんどない。松本優作監督曰く本作の「裏の主人公」尾関が、“少しでいいから、自分のことを見てほしい”と孤独を募らせる。

碧(福原遥)は事件をきっかけに、自分自身を見つめることになる

碧の視点では明るく希望に満ちていた高校生活が、尾関の視点で見るととたんに寂しく孤独になる。尾関が碧に思いを寄せていたことが明かされると、視聴者からも「一気に尾関の背景を知って衝撃」「初めから“5人と透明なもう1人”だったんだ」「碧をずっと見ている尾関が切ない…」の声が上がった。

誰も、自分を見ていない――。尾関のやるせない気持ちがにじむシーンが5話、喜多野の回想として登場する。ダンス部の発表のあと、尾関が口にした「喜多野はやっぱすげぇな。みんなお前を見とった」という一言だ。その10年後、渋谷スクランブル交差点でその言葉を思い出す喜多野の頭上では尾関の起訴のニュースが流れ、 誰もが尾関の顔写真を見上げている。皮肉な形で「見える存在」になった尾関は、どんな気持ちで碧に「お前には、俺が見えるか」と言ったのだろう。

■「私以外、みんな幸せに見える」自分を苦しめる呪縛

一方、同級生の喜多野、高木、桜井梨沙(武田玲奈)、齋藤風花(小野花梨)にも変化が訪れる。20代半ばになり、思い描いた未来に手が届かず“居場所のなさ”を感じる彼らの過去と現在がリンクし、小さな突破口を開ける。

印象的なのが、1話での高木のバースデーイベントと、5話での碧と風花の対話シーン。イベントでは碧が「充実しとるよ。やりたいこと、できてるし」と笑顔を見せ、風花も夫婦で作っている伝統工芸品を「都内の高級ホテルでも使われとるんよ」と誇らしげだ。

だが実際には、碧も風花も思い描いたものと違う日常にため息ばかりの日々を送っているのだ。5話では「仕事辞めて、戻ってこようかな」「書きたくない記事書いて、これが幸せなん?」と投げやりな碧に、風花も重大な秘密を明かし「私以外、みんな幸せに見える」と本音を包み隠さず打ち明ける。“見せたい面”を見せようと必死だった2人は事件後、限界まで追い込まれたことで醜い面をさらけ出す。そして、そこから2人は自分の黒い部分も受け入れ、自分自身を許す明日に向かっていく。

碧は渋谷の事件の犯人に違和感を覚える

高校時代と10年後の祭りのシーンでは、ぼんやりエフェクトがかったような高校時代に比べ、尾関を待つと決めた5人がもう一度訪れる祭りは映像もはっきりとしていて、それぞれがしっかりと現実を歩み出したことが伺える。大人になった5人が自信に満ちた表情で花火を見上げる姿も印象的だ。そして碧はあの頃と同じように、花火に手を伸ばす。何かをつかみ取ろうとするかのように。

■どんな自分も受け入れて、唯一無二になっていく

どす黒い部分も含め、どんな自分もありのままに受け入れる。そして、大切な誰かにも同じように白い面と黒い面があると知り、想像力を働かせ、ありのままを受け入れようと努力する。そうすることでまだ何者でもない“透明なわたしたち”はそれぞれの色を持ち、誰の目からもはっきり見える唯一無二の存在になっていく。

渋谷の事件とその前後に起こった問題をきっかけに“見せたい自分”を捨て、ありのままの自分を受け入れようと一歩踏み出した碧たち。そんな本作に、視聴者からは「高校時代の青春と、どうしようもないことだらけの社会でもがく現在の対比がめちゃくちゃ刺さった」「世界が輝いて見えた、その感覚私にもあった。これは私の物語だ」と共感の声が続々と上がっている。

尾関が事件を起こした理由を知り、仲間たちの決断も目の当たりにした碧は、“今の自分にできること”に全力で向き合う。碧にとってそれは“書くこと”。 さらに、高校を中退して以来転落人生を歩む喜多野、一見順風満帆に見えるスタートアップ企業CEOの高木、女優志望だが現実は恵比寿のクラブで働く梨沙もそれぞれどん底を見た後で、より自分らしくいられる“居場所”を模索し始める。6人が透明ではなく“顔の見えるわたし”になる爽やかなラストを、ぜひ見届けてほしい。

◆文=ザテレビジョンドラマ部




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