宮城県仙台市国分町にあるレズビアンバー『楽園』のキャスト・おみさん(24歳)は、刺青で蠱毒(こどく)を完成させようと目論んでいる。一般に女性から忌避されがちな“虫”をあえて身体に纏う彼女の半生に迫る。
“中卒の元ヤン”の両親は「怒りの沸点が極めて低かった」
礼儀正しく、こちらの意図を汲んで誠実に返答してくれる姿が印象に残る女性だ。蜘蛛を身体に刻む突飛さとのギャップに戸惑う。だがその生育歴を聞いたとき、思い切りの良さがどこからくるか、わかった気がした。
「両親と姉、弟の5人家族で育ちました。両親はいわゆる“中卒の元ヤン”で、気合の入った人たちだと思います。怒りの沸点が極めて低いんですよね。きっかけは思い出せないんですが、食卓を囲んでいる際に父がめちゃくちゃ怒って、ちゃぶ台返しみたいな状況になったことがありました。で、餃子が空中を飛んだんです(笑)。他にも喧嘩になるとさまざまなものが宙を舞って、皿が割れたりしていました」
「怒鳴り散らすのは議論で勝てないからだ」と気づく
率直に、怖くなかったのだろうか。
「怖かったです、小学校中学年あたりまでは。でも高学年くらいになると、特に父については、『怒鳴り散らすのは議論で勝てないからだ』と気づいたんです。口で言い負かされるから大きな声で威圧したり、ものを投げるというカラクリが分かってくると、そこまでの恐怖は感じなかったですね」
ヤンキー気質を持つ父親との生活は、恐怖よりも恥ずかしさと隣合わせの場面もあったとおみさんは回想する。
ファミレスで「騒がしい若者」に対して…
「家族でファミレスに入ったとき、近くに騒がしい若者の集団があったんです。確かに、結構なボリュームで盛り上がっていて、マナーはなっていませんでした。店員さんに言って席を離してもらう対応を取ったんですが、それで怒りが収まらない父が若者の席まで行って『お前らのことを言ってるんだ!』と怒鳴りまくって……若者がシュンとしてしまいました。気まずくて顔から火が出るかと思いましたね。思えば小さいころも、近所の同級生から『お父さん、帰ってくると音でわかる』と言われていました。我が家の車は見るからにヤンキーが乗る車で、シャコタン、改造マフラーで爆音なんですよね。あれも恥ずかしかったです」
かと思えば、あとから振り返れば笑いがこみ上げてくるエピソードもある。
「父はトマトが大好きなんですが、私も含めて子どもが全員トマトが苦手で。それが理由で食卓に並ばなくなったことを不満に思った父が、ある日突然怒鳴り散らかしたことがありました。別にふざけているわけではなくて、本気で怒鳴っているんです。でも、なんだかコミカルな絵ですよね(笑)」
親には行き先を告げずに一人暮らしを…
おみさんは現在、仙台市内で一人暮らしをしている。独立のきっかけはこんな”事件”だった。
「両親は少し変わっていると思うんですよね。すごく悪い人かと言われるとそうではないのですが、ピントがずれている気がするんです。私は高校時代に国分町の居酒屋に勤務していました。未成年だったので親が作ってくれた口座に給料が貯まっていると思っていたんです。あるとき、口座を確認したら、思ったよりも全然ないんですよ。で、母親に聞いたら『あなたの修学旅行のお金、そこから落としたのよ』って悪びれた様子はなく。さらに、家計がちょっと足りないときは弟の携帯代も引いていたことが発覚して(笑)。いくら家族でもそれは困るなぁと思って、親には行き先を告げずに一人暮らしを始めました。ちょっとしてから連絡がきて、『野宿してるの?』って(笑)。放任すぎますよね」
一人暮らし後、『楽園』に入店したおみさんは、刺青を入れた。もちろん両親には伝えていない。家族に対する絶妙な距離感を保ったまま現在に至る。
「刺青については特に報告はしていませんが、父も両腕にがっつり入っているので、何も言わないのではないかと思っています。ちなみに『楽園』で働いていることも、両親は知りません(笑)。両親とは、離れてからのほうがむしろ楽しい思い出が浮かんだりしますね。良くも悪くも根性論の人たちなので、『自分からやると決めたことは、長く続けろ』と言われて育ちました。バスケットボールを小学校から12年間続けられたのは、いい経験だったなと思います。挨拶などの礼儀にもうるさい両親だったので、その点も感謝しています」
「蜘蛛を彫ろうと思った」きっかけは?
おみさんはなぜ身体に虫を宿すのか。
「蜘蛛を彫ろうと思ったのは、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』がきっかけです。御釈迦様が垂らした一筋の糸になりふり構わずすがりついた犍陀多の姿が、なんとも人間らしいと感動したんですよね。生に執着して地獄を脱しようともがく力に、生身の人間を感じるんです」
おみさんには、『楽園』レギュラーキャストとして将来的に描いている姿があるのだという。
「ショーパフォーマンスにおいては正直、一朝一夕で先輩方に追いつけるものではありません。ただ、自分自身、お客様と話すことが大好きで、特に自分の過去の話で笑ってくれたり元気になってもらえるなら、どんどんさらけ出していきたいと思っているんです。私と話した時間が、そのお客様にとって楽しいものであればいいなと考えています。お帰りになるとき、『楽園』に来る前よりも軽やかな気持ちで扉を押してもらえたら、いいですよね」
おみさんが過ごした家庭環境は、壮絶と呼ぶには大仰に過ぎるとしても、さりとて心休まる場所ではなかっただろう。絶対的な存在のはずの親をも客観視することで、おみさんは体験を「語れる」余白を自分のなかに残した。
さまざまな思いを抱えた人々が往来する歓楽街・国分町。楽しいばかりではない、奈落の感情を引きずる人をも、笑顔に変えられますように。『楽園』からおみさんが垂らす一筋の糸が、コミカルで切なくて、でも生きる力に満ちているからこそ、誰かを勇気づけて前を向かせる推進力になる。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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