「もう1年俺は生きる」西田敏行さん急逝2カ月前の金婚式で見せていた糟糠妻への“覚悟”

10月17日に虚血性心疾患で急逝した西田敏行さん

「もう1年俺は生きる」西田敏行さん急逝2カ月前の金婚式で見せていた糟糠妻への“覚悟”

10月22日(火) 6:00

10月18日午後、棺に納められ、36年間住み続けた“わが家”に無言の帰宅となった西田敏行さん(享年76)。

付き添っていたのは妻・寿子さん(73)と、2人の娘たちだった。夕方には僧侶たちが訪れ、自宅からは厳かな読経が。そして夜には竹下景子(71)や柴俊夫(77)ら盟友たちが弔問に訪れていた――。

10月17日に東京都内の自宅で急逝した“演劇界の巨星”の訃報は、日本中に衝撃を与えた。

「西田さんは20年以上も病気と闘い続けていました。’01年には、首の骨が変形し、手足にしびれを感じる、頸椎症性脊髄症を発症しています。

糖尿病の持病があり、’03年に心筋梗塞で倒れて緊急入院。’16年にはベッドから転落し、頸椎亜脱臼と診断されました。さらに、その2カ月後には胆のう炎も発症し、それぞれ手術を受けています。

この数年は現場でも車いすを使ったり、座ったまま演技をすることも多くなっていました。それでもラジオドラマ『新日曜名作座』(NHKラジオ第1)に出演していたり、ドキュメンタリー番組『人生の楽園』(テレビ朝日系)でナレーションを担当したりしていましたので、知人たちも『まさか、こんなに早くお別れの日がくるとは』と、皆さんが驚いています」(スポーツ紙芸能デスク)

“遺作”となった劇場版『ドクターX』(12月6日公開)の主人公・大門未知子を演じている米倉涼子(49)は、17日にSNSで次のような追悼コメントを発信している。

《西田さん 突然の訃報に接し、 言葉もありません…》《一昨日(いっしょに食事をしたときの)写真をのせるからね! と話したばかりなのに。 悲しすぎて 悲しすぎて まだ信じられません》

劇場版『ドクターX』の撮影現場での西田さんの米倉への気遣いについて、映画関係者はこう明かす。

「主演の米倉さんの体調不良のため、撮影が一時ストップしたこともありました。それだけに西田さんは、自分まで周囲から気遣われる状況は避けたいと思っていたようです。撮影現場では米倉さんをはじめ共演者やスタッフたちにも冗談を言ったりして、場を和ませていました。

西田さんは自分の体調については何も語ろうとはせず、共演者たちも西田さんの気持ちをくんで、尋ねることは避けていたのです。そのため撮影現場は終始明るい雰囲気でした」

■一切れのサラミを夫婦で分け合って…

10月8日の同作の完成報告会見が西田さんが姿を見せた最後の公の場となった。

「西田さんはほかの出演者と別の動線で登壇したのです。会見中も以前のような張りのある声は発せず、米倉さんや内田有紀さんが、すぐにフォローできるように気遣っている様子を見せていたのが印象的でした。それでも会見後には共演者たちに声をかけていました」(前出・映画関係者)

遺作となった同作の撮影現場でもアドリブを連発していたという西田さん。

“アドリブの名人”としても知られる彼を鍛えたのは、森繁久彌さんとの若いころの共演経験だったという。

《(森繁さんは)ほとんど、台本と違うことをおっしゃるんです。それに対応するアドリブを随時入れなければならない。一つの場面全部、台本を一切使わずに終わってしまったこともあった。鍛えられましたね》(『読売新聞』’00年1月6日付)

テレビドラマ『あんたがたどこさ』(TBS系)の第2シリーズ(’75年4~9月)出演中のエピソードだというが、当時、西田さんは、妻・寿子さんと前年に結婚したばかりだった。

「西田さんと寿子さんが出会ったのは’73年だったそうです。西田さんが出演していた舞台『写楽考』を寿子さんが友人と見に来たのです。

寿子さんは大分県出身で、短大卒業後はニッポン放送に入社したものの、1年ほどで退社し、劇団の養成所に通う、いわゆる“女優の卵”でした。西田さんは寿子さんに一目ぼれし、猛アタックの末に、寿子さんのアパートに転がりこむ形で同棲生活がスタートしたそうです」(前出・スポーツ紙芸能デスク)

’74年8月5日に2人は入籍した。しかし駆け出しの俳優と女優の卵の生活は楽ではなかったという。

「同棲時代や新婚当初は、寿子さんがウエイトレスの仕事で生活費を稼いでいたのです。

西田さんの証言によれば、冷蔵庫に一切れ残ったカリカリのサラミを『うまいステーキだね』と言いながら、2人で半分ずつ食べたこともあったとか。

婚姻届を出した帰り、デパートに寄って西田さんが買ったのが、3万円ほどのトパーズの指輪でした。寿子さんの誕生石はパールだったのですが、その指輪の値段が高すぎて手が出なかったため、寿子さんが『あなたの誕生石のトパーズでいいわ』と助け舟を出してくれたのだそうです」(前出・スポーツ紙芸能デスク)

入籍直後、寿子さんは週刊誌のインタビューにこんな決意を明かしている。

《生活のきびしさは覚悟しています。どんなに笑っているときでも、彼の目だけは寂しそうなの。でも、そんな寂しさのある目を失ったら、彼は役者としておしまいだと思うんです》(『週刊平凡』’74年9月2日号)

2人で銭湯に通うなど、西田さんも“『神田川』のような生活”と語っていた新婚時代。

しかし寿子さんの口癖は、“生活のためにやりたくもない仕事はやってほしくない”だった。

結婚を機に仕事に恵まれるようになり、収入が増え始めても、寿子さんはそんな“神田川精神”を忘れなかった。

■家庭の幸せがもたらした“演技の幅”

西田さんによれば、

《たまに、僕が『つるしの服ばかりじゃなく、オートクチュールかなにかでいい服作っていいよ』なんていうでしょ。すると首を振って、「それよりバーゲンですばらしい掘り出しものを見つけたほうがいい。そのほうが端からいいものを買うより喜びが大きい」なんて訳のわからないことをいってますよ。(中略)

だからかな、僕もがむしゃらに金を稼ごうという気にならない。「時間をかけて、ギャラは少ないけれど、この作品に参加していきたいな」という気分にさせてくれる家族ですね、うちの女房も娘たちも。そういう家庭があるってことが、幸せなのかもしれない》(『SOPHIA』’88年2月号)

’76年に長女、’79年に次女が誕生した西田家。2人の娘たちがまだ小さかったころ、夫婦の間でこんな会話があったという。

「西田さんは寿子さんに『育児が一段落したら女優に戻ってもいいんだよ』と言ったそうです。西田さんとしては、寿子さんに女優の夢を諦めさせてしまったのではないかという思いがあったのでしょう。

しかし彼女は、その申し出をキッパリと断ったそうです。西田さんの役者としての才能にほれ込んでいた寿子さんは、自分の夢を捨ててでも支える覚悟が固まっていたようです」(西田夫妻の知人)

“日常性のなかにひそむ狂気を表現できる役者”になることを目標に掲げていた西田さん。

しかし妻や娘たちが与えてくれた幸せな家庭により、演技の幅はどんどん広がり、後輩たちにも慕われるようになっていった。

’79年放送のドラマ『幸せの陽だまり』(NHK)で西田さんと共演した俳優・水野哲(60)はこう振り返る。

「西田さんは妻子がありながら愛人と暮らしている作家の役で、私はその息子役でした。親子の交流がテーマの作品でしたので、いろいろなお話を伺いました。

『これはね、息子とオヤジの話なんだけれど、もしオヤジが悪い人だったら息子はイヤだろ?でもオヤジは息子が好きで好きでしょうがないんだ』なんてコミュニケーションをとりながら、いっしょに役を作っていくというスタイルだったと思います。

俳優としてはすごい努力家なのですが、現場では明るくて。あいさつも『おっ、元気かい哲。今日はこのシーンだからな。僕にできるかな?』といった感じでしたので、リラックスできました。

西田さんはロックがお好きだそうで、特にエルビス・プレスリーのファンでした。一時期もみあげを伸ばしていましたが、あれもプレスリーの影響だったそうです」

西田さんが俳優として評価されるにつれて“貧しさとの闘い”を脱した寿子さんを次に待っていたのは“病気との闘い”だった。

’03年に心筋梗塞で緊急入院。生死の境をさまよったがICUで意識が戻ったときには、寿子さんと娘たちが手を握っていたという。1日100本もたばこを吸うヘビースモーカーだったが、それを機に禁煙した。

「それでもお酒はやめなかったそうですが、寿子さんから『あなただけの命じゃないんだから』と、説得されて、断酒に挑戦したこともあったそうです」(前出・スポーツ紙芸能デスク)

常に西田さんの健康を案じ、入院となれば献身的に看病することが寿子さんの“使命”となっていた。’16年6月、胆のう摘出手術後に首にコルセットを着けた西田さんの乗る車いすを押している寿子さんの姿を本誌は目撃している。その行く先は病院のリハビリ室だった……。

「’19年に19年間出演してきた『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)を卒業したことで、芸能界で西田さんの“引退説”までささやかれるようになったのです」(前出・スポーツ紙芸能デスク)

■本誌の取材に「主人は死ぬまできっと現役です」

当時、本誌が個人事務所の社長も務めている寿子さんに降板の理由や引退説について取材すると、次のように話してくれた。

「全然(体調が悪いとか)そういうわけじゃないですよ。今日も主人はテレビの収録に行かせていただいていますから。本人も体調を気にして整えようと、一生懸命頑張っていますし、節制しています。だから気力の衰えなんかもありませんよ。

少し膝が悪いので、食事や減塩にも気をつけています。いまは歩くときに少し杖を使ったりもしていますけれど、本人はいたって元気ですよ。

(引退は)まったくないですよ。大丈夫。主人は死ぬまできっと現役です。お仕事さえいただければ、続けていきたいと思っているんじゃないかしら。私も主人がずっと仕事を続けるのを応援していますから」

寿子さんは、役者にとっては撮影現場こそが生き場所であり、仕事を続けることが生きがいになると信じていたのだろう。

それから5年後の今年8月5日、西田さんと寿子さんは金婚式を迎えた。

「西田さんは寿子さんに、50年間の感謝を示すとともに、これからの役者人生も支えてほしい、と伝えたそうです。

西田さんは来年1月期の連続ドラマに出演予定でした。ドラマの主演は唐沢寿明さん(61)で、共演は鈴木保奈美さん(58)。西田さんは、この2人とは昨年放送されたドラマ『フィクサーSeason2』(WOWOW)でも共演しています。

『もう1年、俺は役者として生きるから』という西田さんの言葉に、寿子さんもご主人を支えていく決意を新たにされていたのではないでしょうか」(前出・西田夫妻の知人)

妻・寿子さんに伴走されながら、役者としての生涯を駆け抜けた西田さん。彼が遺した名演技は、これからも人々を笑わせ、泣かせ、感動させ続けることだろう。

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