10月22日(火) 18:00
18世紀のヴェネツィアで、「ヴェドゥータ」と呼ばれる景観画で人気を博した巨匠カナレットの全貌を紹介する日本初の展覧会が、東京・新宿のSOMPO美術館で開催されている。カナレットに加え、光あふれる水の都ヴェネツィアに魅せられた画家たちがとらえた多彩な景観表現も楽しめる展観となっている。
1697年にヴェネツィアで生まれたカナレットの本名は、ジョヴァンニ・アントニオ・カナル。父のベルナルド・カナルが舞台美術家として知られた画家だったため、区別のために「小さなカナル=カナレット」と呼ばれるようになった。日本ではあまり知られていないかもしれないが、西洋では評価が高い。英国では特に人気があり、作品を最も多く所蔵する英国王室では、今もその作品がバッキンガム宮殿の客間を飾っているのだとか。
左:フランチェスコ・グアルディに帰属《ヴェネツィア鳥瞰図》1775年英国政府コレクション 右:ヤーコポ・デ・バルバリ《ヴェネツィア鳥瞰図(1500年・初版の複製)》1962年新潟県立近代美術館・万代島美術館今回は、このカナレットの業績を日本で初めて検証する画期的な展覧会となるが、同時に今も世界遺産として愛されるヴェネツィアがどのように描かれてきたのか、その表象の流れのなかでカナレットを位置づける機会ともなっている。というわけで、第1章では、カナレット以前や同時代にヴェネツィアを描いた鳥瞰図や景観画、また当時の邸宅の様子を伝えるティエポロの絵画やヴェネツィアン・グラスなども紹介されている。
左:ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ《ヴィーナスによって天上に導かれるヴェットール・ピサーニ提督》1743年頃国立西洋美術館右:ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ《アントニウスとクレオパトラの出会い》1747年頃スコットランド国立美術館同展のハイライトとなるのは、カナレットのヴェドゥータを集めた第2章だ。13点の油彩画が並ぶ様は壮観であるとともに、個々の作品の緻密さに圧倒される。「ヴェドゥータ」とは、透視図法を用いて、主に都市の景観を精密に描く絵画のこと。若きカナレットは、父の仕事に同行したローマで、その祖とされるオランダ人画家を知り、ヴェネツィアに戻って自身の制作を進めた。描いたのは、水面のきらめきが美しいカナル・グランデ(大運河)や、岸辺に建ち並ぶ瀟洒な建物群、様々な営みや仕草を見せる人々、そしてこの街を特色づける華やかな祝祭の光景などだ。正確な遠近法を用いて街並を細部にまで精緻かつ生き生きと描くことで、カナレットは「ヴェドゥータ」というジャンルを確立させたのだった。
カナレット《昇天祭、モーロ河岸に戻るブチントーロ》1738-1742年頃レスター伯爵およびホウカム・エステート管理委員会、ノーフォーク カナレット《昇天祭、モーロ河岸のブチントーロ》1760年ダリッジ美術館、ロンドンこうした景観画はしばしば「写真のようだ」と評されるが、実際にカナレットは当時の光学機器であるカメラ・オブスキュラを用いて、遠近法の参考にしていたという。だが、興味深いのは、実際の景色に基づきつつも、景観を画面のなかに収めたときに「絵になる」ように、意図的な操作を加えていたことだ。例えば、《サン・マルコ広場》や《サン・ヴィオ広場から見たカナル・グランデ》が描かれた場所を訪れても、同じ眺めは見られないのだとか。付近の名所を一望できるように、複数の視点から見た景観を組み合わせているからだ。
左:カナレット《サン・マルコ広場》1732-1733年頃東京富士美術館右:カナレット《サン・ヴィオ広場から見たカナル・グランデ》1730年以降スコットランド国立美術館当時は、英国人貴族をはじめとする上流階級の人々が教育の仕上げとして、欧州の文化の中心を巡って旅するグランド・ツアーが全盛の時代。旅の記憶を鮮明に喚起させてくれる記念品を望んだ旅行者の間で、名所旧跡を正確かつ「絵になる」ように描いたカナレットの作品は人気を呼んだ。英国人のパトロンに恵まれたカナレットは、1746年からは英国に長期滞在し、現地の景観も多数描いている。
左:カナレット《ロンドン、テムズ川、サマセット・ハウスのテラスからロンドンのザ・シティを遠望する》1750年頃個人蔵右:カナレット《ロンドン、北側からウェストミンスター橋を望む、金細工師組合マスターの行進》1750年頃個人蔵 カナレット《ロンドン、ラネラーのロトンダ内部》1751年頃コンプトン・ヴァーニー、ウォリックシャー約50年の画歴をもつカナレットは、光と影の効果を重視する初期の作風から、青く澄んだ空や定型的な水の波紋、定規を用いて描いた堅固な建物などを特徴とする独自の画風を確立し、晩年には明部を色の点で表すことで、光の粒が画面の中で煌めくような画風も展開した。だが、ヴェドゥータを描き続けるという点では一貫していた。第2章では、様々な角度から描いた街並の作品が、年代にとらわれずに並べられている。1点1点に描かれた人々の仕草や描き方の違いをじっくり見るのも楽しいが、配布された鑑賞ガイドのマップを片手に、ヴェネツィアの名所をめぐる街歩きの雰囲気が味わえるのも同展の大きな魅力だ。
第2章展示風景第3章に並ぶのは、カナレットの制作ぶりがうかがえる素描や版画だ。綿密に観察して描いた素描には制作用のメモなども添えられており、また素描と完成作の版画を見比べると、実景に加えた変更なども見てとれる。カメラ・オブスキュラの模型も展示されており、ぶつからない程度に頭を装置の中に入れて下部を覗き込むと、壁面のカナレットの肖像が左右反転した画像を見ることができる。
カナレット《ドーロ風景》のエッチング(1744年以降に刊行)とペン画(1740−1744年) カメラ・オブスキュラの模型壁面のカナレットの肖像は、1735年の刊行物よりカナレットが同時代の画家に大きな影響を与え、また追随者を多く生んだことは、第4章の展示からよくわかる。カナレットの実の甥のベロットやグアルディらイタリア人のほか、英国の画家たちにもヴェドゥータは継承されている。
フランチェスコ・グアルディ《サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂》1770年頃スコットランド国立美術館 ウィリアム・ジェイムズ《スキアヴォーニ河岸、ヴェネツィア》東京富士美術館最後の章に登場するのは、19世紀以降の近代の画家たちだ。カナレットの影響がどこまで続いたのかという素朴な疑問に答える章だが、明らかに影響を受けた景観画家もいるものの、ロマン派や印象派など、愛するヴェネツィアを独自の視点で描いた画家が多い。カナレットがヴェネツィアの明るい表の顔を描いたとすれば、街の裏の顔を描いた画家もいる。例えば、エティの《溜息橋》に描かれているのは、元首公邸と牢獄の建物の間の狭い運河で、光景も暗い想像を誘うものだ。ホイッスラーは夜の大聖堂を描き、一方、光や水面、大気の描写に注力したブーダンやモネは、明るい色彩でヴェネツィアの街の一面をとらえた。18世紀から20世紀まで、総数約60点の作品によって、絵画におけるヴェネツィアの表象の変遷をたどれる点も、同展の見どころのひとつだろう。
ウィリアム・エティ《溜息橋》1833−1835年ヨーク・ミュージアム・トラスト(ヨーク美術館) 左:ウジェーヌ・ブーダン《カナル・グランデ、ヴェネツィア》1895年東京富士美術館右:クロード・モネ《サルーテ運河》1908年ポーラ美術館ちなみにSOMPO美術館は、幅広い層に向けた教育普及活動にも熱心な館だ。今回も詳しい解説のほかに、鑑賞のヒントを織り込んだ平易な短文による丸い絵入りパネルが配されている。家族連れの方など、このパネルを参考にすると、ヴェネツィアの旅をより興味をもって楽しめるのではなかろうか。
取材・文・撮影:中山ゆかり
<開催情報>
『カナレットとヴェネツィアの輝き』
2024年10月12日(土)~12月28日(土)、SOMPO美術館にて開催
公式サイト:
https://www.sompo-museum.org
チケット情報:
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2453166