明るいトーンでハキハキと話しながら、癒やしの声色で人気を博すTikTokライバーがいる。るいるいさん(@ruchasama0803)、22歳だ。美貌もさることながら、17歳で初めての出産、現在は2児を育てるシングルマザーという経歴に驚く。胸元、背面、腹部、左腕、左太ももに宿した大きめの刺青も印象に残る。
微笑みながら「3ヶ月のとき、乳児院に預けられたらしいんです」と出自を明かす彼女の、壮絶な人生に迫る。
児童養護施設で面倒が見切れなくなってしまい…
るいるいさんが育ったのは児童養護施設。両親はるいるいさんが3ヶ月のときに乳児院に彼女を預けた。
「児童養護施設での生活は、振り返ると非常に楽しいものでした。現在でも、当時の先生たちに会いに年に4~5回は帰りますね。私にとっては、彼らが親のようなものなんです」
親のようなもの――本当の親との交流はあったのか。実はるいるいさんは16歳のとき、「実家」に帰されたのだという。
「高校生のとき、私、とても荒れていて(笑)。タバコを吸ったりバイクに乗ったり、とにかく素行が酷かったんです。それで施設側で面倒を見きれなくなってしまって。16歳で実家に戻す措置が取られたんです」
名前さえ知らない“その家にいた男女”
直後、るいるいさんが続けた言葉に、筆者は当初、戸惑った。
「ただ、その家が実家なのか、ついにわかりませんでした。私はいつも”その家”と呼んでいました。同様に、その家には男女がいて、私の両親だというのですが、私は常に“男”と“女”だと思っていました。なぜなら、私は両親の名前を知らないし、呼んだこともないのです。その家では、加速度的に虐待がひどくなり、とうとう3ヶ月しかいませんでした」
るいるいさんは未だに、実の両親を「その男」「その女」と呼ぶ。精神的なつながりを一切感じられないのは、目を覆いたくなる虐待の痕跡かもしれない。
口座のお金を勝手に使っていることを咎めたら…
「あるとき、その男女が、私の口座からお金を勝手に使用していたことがわかったんです。そのお金は、児童養護施設のほうで私名義の口座に貯めてくれていた児童手当やお小遣いでした。そのことを咎めたところ、暴言や暴力がエスカレートしました。女からは『産まなきゃよかった』『殺してやる』と日常的に怒鳴られました。男からは、暴力を受けましたが、カッターで顔につけられた切り傷のあとは、今も残っています。またその男からは、性暴力も受けました。思い返したくもないのですが、その男との交わりが私の初体験だったんです。抵抗したときに性器を切られてしまい、今でもあまりそうした行為は積極的になれません」
その男女との悲惨な共同生活は、こんな形で幕を閉じた。
「彼らは第三者がいれば、何もしてきません。私はなるべく暴力を振るわれないように、その家に友だちを呼ぶなどしていました。しかしその男女は外面がいいため、多くの友だちは『あんなに優しくていい人そうなのに。嘘でしょ(笑)』という感じでした。救ってくれたのは、親友とその親です。携帯電話で親友と通話状態にしておいて、虐待の様子を聞いていてもらったんです。そしてある日、親友とその親に突入をしてもらいました。そこから、また施設へ保護してもらいました」
左耳の聴力がなくなってしまった出来事
ここまででも目を背けたくなるが、ある男性との交際・結婚をきっかけに、るいるいさんの人生はさらに下降を始める。
「勤務していたマッサージ店の経営者と交際中、妊娠しました。結婚することになりましたが、怒りの沸点が異様に低い男性で、たびたび暴力を受けました。首を絞められたり、タバコを向けてきて『焼くぞ』なんて脅すのも、普通にありました」
たとえば、こんな些末なことで不条理な暴力を受けたという。
「ご飯を作りすぎてしまったときは、『食費が無駄だろうが』と言ってひっくり返され、殴られました。『ひっくり返すのが無駄じゃない』と抗議をすると、追撃がきます。とにかく話の通じる人ではないんです。またあるときは、友人と遊ぶ約束をしていたのですが、突然『遊ぶな』と言い出しました。でも友人はもう自宅まで迎えに来てくれていて。そうしたら、激昂した彼に張り手をされ、私は意識が飛びました。気がつけば救急車を呼ぶ事態になっていて。その影響で、現在でも私は左耳の聴力がありません」
妊娠中に「洗剤を無理矢理飲まされた」
当然、妊婦への配慮など皆無だ。こんなエピソードもある。
「成田山にお参りに行ったときのことです。ただでさえ人混みで移動がしづらいことに苛立っていた彼は、つわりが酷くて早く移動できない私に怒りの矛先を向けてきました。妊娠しているから配慮してほしい旨を伝えても、『だったらお腹の子ども殺せよ』と怒鳴って私を引きずり回します。たくさんの人にぶつかって、私はひたすら謝っていた記憶があります」
結婚相手の暴力は妊娠中も、そして子どもが生まれてからも、止むことはなかった。そればかりか、危険は子どもにまで及んだ。
「妊娠中、ささいなことでキレて、すぐに『子ども殺せ』と怒鳴るんです。あるときは洗剤を無理矢理飲まされて、病院で胃洗浄を行うことになりました。別のときは包丁を持ってきて『腹を刺せ』と言って殴られるなど、散々でした。包丁の一件のときは、彼の会社で働く従業員もいたのに、止めてくれることはありませんでした。スーパーで私がボコボコに殴られたときも、警察を呼んでくれる人はいましたが、誰も止めたりはしないんだなと思いましたね。生まれてからも、泣き声に苛ついて子どもを殴る、などは日常茶飯事でした。現在、離婚することができてよかったと思っています」
「虐待は連鎖する」は逃げでしかない
前述の通り、るいるいさんは2児の母。SNSからも、傾ける愛情の深さが伝わってくる。そこには、るいるいさんの確固たる矜持がある。
「子どもは本当に可愛いです。元旦那は『自分も虐待家庭で育った』とよく言っていましたが、それはまるで虐待の連鎖をしていることの言い訳のように聞こえました。また、私がSNSで虐待の被害を告白したとき、知らない人から『虐待は連鎖するから、あなたも虐待をする可能性がある』と指摘されたこともありました。でも私は、虐待されたから自分も子どもを虐待するなんていうのは、情けない人間の逃げでしかなくて、本当にカッコいいのは『自分は決してしない』と固く誓って子どもを愛し抜くことじゃないかと思うんです」
全身を覆う刺青にも当然、意味がある。
「左の太ももには、天使と第一子の誕生花と出生時間の刺青を入れました。子どもを必ず幸せにするんだという私なりの誓いのようなものです。背中には、第二子の誕生花を大きく描いてもらい、人生において大切にしていることを英文で刻みました。またお腹にはスカルや蝶々を描き、辛い過去を“乗り越える”意味を持ちます。どの刺青も、私にとって『こういう人生でありたい』という願いを込めた大切なものであると同時に、愛する我が子との絆の意味があります」
将来の夢は「子連れでも利用可能なパーソナルトレーニングジム」
現在の収入源はTikTokなどを中心に、さまざまな仕事を掛け持ちしていると話するいるいさんには、将来的に叶えたい夢があるという。
「子連れでも利用可能なパーソナルトレーニングジムを開業したいですね。女性は出産後、体型の悩みが出てくる場合が多いですが、子育てに追われているとなかなか自分のケアに時間を割くことができません。まして、パートナーの理解がなければ、そうしたジムに通うことも難しいでしょう。だから子どもも一緒に行けるジムを作れたらと考えているんです」
裏切られれば信じることは怖くなる。まして実の両親や愛したパートナーからの有形無形の暴力を受ければ、生きる気力は目減りしていく。
だが、るいるいさんは決して顔を下げない。画面の向こうにいる無数の人たちに向けて、自分と愛する家族のありのままを発信し続ける。ときにいわれのない中傷を受けることもあるだろう。摩耗する、コスパの悪い生き方かもしれない。けれども強い意志によって、自らの幼少期に得られなかった幸せの手触りを確かめ、子どもに伝える挑戦に力強く乗り出した。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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