学生時代、クラスや学年に一人はいた「ギャル」という存在。大人になった彼女たちは、一体どんな人生を歩んでいるのか?
子役からギャルモデルに転身し、一般企業に勤める会社員を経て“起業”した西真央さん。順風満帆では決してなかったが、現在はビジネスの世界で邁進中。
今回は、そんな西さんが培ってきた「なりたい姿になる」という不屈のギャルマインドに迫る。(記事は全2回の2回目)
「なりたい姿になる」を経営者として実現
「どうしてギャルはいつも明るいんですか?」という筆者の質問に対して、西さんは「なりたい姿になっているから」と答えた。
「派手にしたい、表現したいという願いを押さえつけられていないので。やりたいことをやってるし、自己実現ができているんです」
そんな彼女は現在、株式会社アンドエーアイの代表取締役社長を務めている。きっかけは、美容系通販会社の会社員時代に「これからはアプリの時代が来る」と確信したことだったと話す。
「会社でもアプリ事業を始めるように勧めたところ、『うちはWebだから』と断られてしまって。それなら自分でやろうと会社を辞めて、26歳で起業しました」
やりたいことを貫き通す、不屈の“ギャルマインド”を持つ西さん。
そんな彼女がギャルに目覚めた理由は、高校生の頃にギャル雑誌を読んで衝撃を受けたからだという。
黒ギャルモデルに憧れて、海の家で働きながら「天サロ」
「雑誌を見て、肌が黒い、いわゆる“黒ギャル”のモデルに憧れたんです。写真を切り取って、コルクボードに貼って眺めるくらい好きでした。それで、私も肌を真っ黒に焼くことにしたんです」
しかし、肌を焼くにはお金がかかる。そこで当時高校生だった西さんは、地元の兵庫県・須磨にある海の家でアルバイトをすることにしたという。
「一言で“ギャル”と言っても、いろんなタイプの子がいて。たとえば、クラブに行って音楽を楽しむ子、パラパラをコンビニの前で踊る子、みんなで集まってなごむだけの子……私はどちらかと言うと、アクティブ派。海の家は私にぴったりだし、肌も黒くなるし、一石二鳥でした」
海の家で働きながら、日焼けサロン代を浮かせて“天サロ”(※ギャル用語で、天然の日焼けサロン)していたという西さん。海の家が彼女にもたらしてくれたものは、他にもあったそうだ。
「海の家で働いていた時に知り合ったのが、ある社長でした。彼の会社がアルバイトを募集していて、そこで働かせてもらうことになったんです」
大学に進学した後も、その会社でアルバイトを続けていた西さん。しかし、彼女が大学3回生の時に、ある事件が起こった。
ネイルでキーボードをカチャカチャ…
「父親の知人が自己破産してしまい、父親が連帯保証人になっていたことから4000万円の借金を抱えることに。私も家計を助けるべく、大学を中退することにしたんです。その時にアルバイト先の社長に相談したら、正社員にしてもらえました」
正社員になる少し前に、黒ギャルから白ギャルに転身したと語る。ギャルは「だいたいみんな、25歳くらいで白に戻る」のだとか。
肌の色のほかにも、ギャルとしての見た目に変化はあったのだろうか?
「会社では割と服装が自由だったので、髪の色を黒くしたことはないです。ネイルをしていて爪も長かったので、パソコンのキーボードを叩くとカチャカチャと音が響いていました(笑)」
ギャルモデルは25歳で引退、会社員を辞めて起業
20代前半の頃にはギャルモデルの事務所から声がかかり、ファッション雑誌やファッションショーなど、モデル活動もしていたという。
「当時は筋トレにはまっていたんです。それもあって、トレーニングモデルの活動をさせてもらえることになりました。トレーニングウェアを着てファッションイベントに出たり、他には活動の一部でジムに行ったりもしていましたね。4つのスポーツジムと契約して、パーソナルトレーニングを受けて、オープンエリアで筋トレをして……めちゃくちゃ体育会系でした」
ギャルモデルは25歳まで続けたそうだ。26歳で会社員を辞めて、現在の会社を起業するに至った。
「まずは大阪で3畳のシェアオフィスから3名で、現在の『株式会社アンドエーアイ』の前身である『株式会社ドリグロ』をスタートしました」
経営者としてギャルとは無縁に……と思いきや、意外な形でつながっていた。
“表現したい”という願いを押さえつけない
なんと、大阪オフィスのスタッフには「絶滅危惧種の黒ギャルが1人いる」とのこと。
「ギャル時代に一緒に海の家で働いていた人が、大阪オフィスの事務をやってくれています。信頼してるので、会社のお金まわりのことも安心して任せられます。ちなみに彼女の肌の色は、今でも真っ黒です(笑)」
会社では四半期に一度、バーベキューパーティーなどのイベントを行っているとか。その時にも「黒ギャル」の社員が大活躍しているそうだ。
「うちの社員はエンジニアが多いのですが、そのなかでも彼女はめちゃくちゃ盛り上げてくれます。彼女くらいパリピでムードメーカーな社員はいないんじゃないかな」
他にも、さまざまなところで、ギャルマインドは生きている。
西さんは、起業した会社でも、服装は自由にしたという。ここにも「“表現したい”という願いを押さえつけない」という想いが垣間見られる。
「さすがにハーフパンツにサンダルはダメだけど、長いズボンにサンダルならOK、ハーフパンツにシューズならOKにしています。髪の色も長さも自由にしていますが、誰も髪を染めていないので、社長の私だけ明るかったりするんですけどね」
——「なりたい姿になる」という、不屈のギャルマインド。そこには「年齢や肩書きを理由にして、やりたいことを諦める」という選択肢はない。臨機応変に形を変えながらも、自分のスタイルを貫き通す。この姿勢には男女を問わず、学ぶものが多いはずだ。
<取材・文/綾部まと、撮影/長谷英史、編集/藤井厚年>
【綾部まと】
ライター、作家。主に金融や恋愛について執筆。メガバンク法人営業・経済メディアで働いた経験から、金融女子の観点で記事を寄稿。趣味はサウナ。X(旧Twitter):@yel_ranunculus、note:@happymother
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