10月17日(木) 10:25
女性からの誘いを断れない男・嘉山諒(かやまりょう)は、付き合った相手に好きな本を尋ねては読むことを繰り返している。以前は読書などまったくしていなかった。そんな彼の変化に気づいた旧友・多田に対し、嘉山は「本を読むと人間のことがわかる気がするんだ」「俺はもっとわかりたい」と、読み始めた理由を穏やかに答える。
本書は1話読み切りの連作短編集で、嘉山が読む15冊とリンクした15の話が紡がれる。『エルマーのぼうけん』にはじまり、夏目漱石の『虞美人草』、坂口安吾の『いづこへ』など、登場する本は明治から昭和の日本文学が多くを占めるものの、一方でカフカの『変身』や、かこさとしの『からすのパンやさん』が出てくる意外性もあって、ページをめくるのが楽しい。
ふわふわ生きる嘉山と彼を取り巻く人々は、シンプルな線とコマ割りで描かれている。空間の使い方とセリフの間(ま)も心地よい。表紙のイラストと装丁に惹かれて本書を手に取った身としては、著者がイラストレーターでもあると知り膝を打った。
ちなみにWebマンガサイト「COMIC熱帯」での連載時と、今回刊行された紙の本において、本作は各話ごとに異なる2色のカラーで掲載されている。しかし媒体による色の表現法の違いか、人間の目の仕様なのか、前者は全体的にパッキリと、後者はやわらかな色遣いに見えた。勝手な好みで言えば、紙の手触りとも相まって、紙の本の色合いの方が作品世界に近いと感じる。
さて話が進むにつれ、画面は暖色から寒色へと変化していく。その間、嘉山は物語の中に入り込んだり、現実とフィクションの境界があやふやになっては多田に手間をかけたりと、楽しくも忙しい。それでも、より世界が青みがかるにつれ、嘉山は本を読むことの意味と人間についての思考にはまりこみ、「読めば読むほどわからなくなってくるよ」とひとりごちる。
本の向こうに、縁あった人との記憶や出来事がある。それはおそらく、嘉山に限った話ではない。誰しもにそれぞれなりの「あのこ」がいて、読んで、思い出して、考えて。そうしてわかることもあれば、わからないままの時もある。なぜ人は本を読むのか。読むことで、人を知ることができるのか──その問いに、はっきりと答えられる人はどれだけいるだろう。過去と自分の気持ちに向き合った嘉山の背中は、その答えのひとつを言葉なく語る。
巻末には、作中に登場した15冊の本に対する著者のコメントと、おまけマンガも載っている。それは自伝的なエッセイコミックで、著者がかつて団地に住み、移動図書館を利用していたというくだりが含まれていた。同じ経験を持つ者としては懐かしく、思わず頬がゆるんだ。本作が漫画家デビューとなった著者の今後を、長く応援したい。
(田中香織)