言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界
意味が意味にならない世界に生きてたら
どんなによかったか
戦後日本を代表する詩人、田村隆一の代表作「帰途」の中の一節だ。
言葉の味をねぶり尽くし、その意味について深く考え続けてきたはずの詩人が言う「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」という吐露に、どれほどの想(おも)いが込められているのか、私には想像もつかない。
ただ、雅楽をなりわいとする今、「ドレミなんかおぼえるんじゃなかった」と時々、思う。
雅楽が基準とする音の高さは、ピアノなど現代のクラシック音楽やポップスで使われる音より少し低い430ヘルツに設定されている。また、「高めの下無(しもむ)(#F)」「低めの下無」など、場面によって音の高さを調整することも多い。そもそもドとレの間がはっきりと分かれているわけではなく、微妙な高さの音を行き来しながら楽器を演奏したり、歌を歌ったりする。そんなときに、自分が子どもの頃からピアノで培ってきた音感が、少し邪魔に感じられることがある。自分の耳が「正しい」と感じる音程やリズムが、雅楽において良いものになるかというとまた別の話だ。
絶対音感があるせいで、全ての音がドレミに聞こえてしまう。しかしその枠組みに全ての音楽を当てはめることなんて、到底無理なことだ。ピアノでおぼえたドレミを一度頭の中から消し去った状態で、雅楽を味わい、演奏することができたら、どんなによかったか。
ドレミのない世界はなかなか体験できないが、言葉のない世界は、我々音楽家には身近かもしれない。東京藝大には音楽療法の授業がある。さまざまなディスオーダー、ディスアビリティを抱えた人や子どもに、音楽を通してコミュニケーションや自己表現などを働きかける試みだ。使うものは楽器でなくても、面白い音の鳴る木の実、綺麗(きれい)な音が出るお皿などさまざま。障がいにより発話のなかった子どもが、音楽を介すことで自分を表現し、それを周囲の人が受け取ってコミュニケーションがはじまっていく。受講した私も少し体験したが、言葉のない世界で行われる表現と受容は、縛られるものがなくとても自由で、不思議な安心感がある。自分の感覚を言葉の枠組みに嵌(は)めて表現してしまうことのもどかしさを、私もきっと感じていたのだろうと思う。
意味を見つけなくてもいい。意味がなくてもいい。ありのままであることの尊さを、ただ感じていたい。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 41からの転載】
かにさされ・あやこお笑い芸人・ロボットエンジニア。1994年神奈川県出身。早稲田大学文化構想学部卒業。人型ロボット「Pepper(ペッパー)」のアプリ開発などに携わる一方で、日本の伝統音楽「雅楽」を演奏し雅楽器の笙(しょう)を使ったネタで芸人として活動している。「R-1ぐらんぷり2018」決勝、「笑点特大号」などの番組に出演。2022年東京藝術大学邦楽科に進学。
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