孤独な旅行者から日本の家族共同体へ

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10月13日(日) 14:00

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地球ドライブ27万キロ 『地球ドライブ27万キロ』(河出書房新社)著者:大内 三郎 Amazon | honto | その他の書店
木村  著者は勤め先の電機メーカーを退職して、一九六九年から九年間にわたり六大陸、百十カ国、二十七万キロを、フォルクスワーゲンのドリバリー・バンに乗って走破したという人で、その記録を一冊にまとめたのがこの本です。

話は一つ一つ非常に具体的で、たとえば、最初にヨーロッパに渡ったときは簡単な英語すら通じない。その緊張感のあまり「通じ」がなくなってしまう。

丸谷 きょうはウンチの話ばっかりだねェ。(笑)

木村 いわれてみればそうね。(笑)ただ、ここのところは大変印象的です。八日間、糞づまりになって、しまいには指を尻につっこんだ。爪の先で糞をかき出すと、最初は乾いたのがボロボロ出てきて、そのあとサラミのような固いのが動きはじめ、ついにはドッとすべてがうなりながら押しだされてきた。(笑)これからあと、自分は「国際人」になった、「クソ度胸」がついたと彼はいうんですね。(笑)たしかに国際人と国内人を分けるのは語学や知識じゃなくて、こういう体験かもしれません。

ということでヨーロッパを皮切りに世界中をドライブするんですが、車の中で酸欠になりかかったり、砂漠でエンジンが落ちたり、イランでは全財産を盗まれたうえ、悪性の風邪にかかり〈見知らぬ土地の見知らぬ路地裏、その片隅のうす暗い車中でひっそり天涯孤独の背をまるめてねている。汗臭い枕が頬からずり落ちる悲しみのしずくをぬぐっていた〉と、独り旅をした人間ならば、誰もが痛感する辛さがきわめてリアルに描かれています。途中、東ドイツ娘のマリアとか、ケニア娘のマリア――この人はマリアさんが好きらしいんですけど(笑)それに南アフリカ娘のトニーシャといった女性たちとの交歓もまじっております。

そうした旅を通して彼が体得したのは、インターナショナルということは、単に欧米のマナーを真似することではない、いま人類の四分の三は貧しいのであって、その人たちとともに手づかみに食べるマナーを身につけてこそ、はじめて国際人といえる、黒人の肌を抱き、インディオの体臭を嗅いだこともなくインターナショナルといってほしくない、というわけですね。

彼の生き方は日本人ばなれしたものですが、国際社会で私たちが生きていくうえで、貴重な教訓を与えてくれます。

山崎 この人は、昭和十七年ですが、満洲生まれなんですね。満洲生まれがもつ、日本に対する奇妙なはみ出し方が底の方にあって、しかも直情で知られる水戸で育っている。それに加えて、私が一番印象深かったのは、彼が一九六〇年代に青春を過ごした人間だということです。つまり全共闘世代なんです。この世代の人たちは、日本の近代化の直系の末裔(まつえい)で、ちっとも新しい人種ではない。きわめて勤勉な真面目人間なんですね。その真面目人間を突然、繁栄が襲った。急激な変化の中で自己を失った彼らは、主張すべき自己の代用品を欲した。エリック・ホファーがいうように、その代用品がしばしば過激なイデオロギーだったり、飛躍した観念になったりするわけですね。

著者の大内さんは大学へは行っていなくて、そういうイデオロギーには触れなかったわけですが、そのかわり過激な行動をしてみたいと、世界放浪に出る。

帰ってきたら、彼は浦島太郎になっていた。現代日本は全共闘世代から見ればいらいらするような社会に変貌していたわけです。普通、こういう類の本は、老人たちに対して、俺たちは若いぞという姿勢で書かれるはずなのに、彼は逆で、自分がおじいさんになったかのように、若者にお説教を垂れる。このごろの子供はしようがないから、ひとつ修学旅行にインドにでも行かせろ、とか。そしてこの軽薄短小の時代にせっせと二千枚もの原稿を書く。(笑)そういうおかしさと、どことなく切ない感じがとても面白かった。

丸谷 山崎さんが浦島太郎と、おっしゃったんで具合が悪いんだけど、僕は、この人、子供の時にお母さんから浦島太郎の話をさんざん聞かされたんじゃないかと思うんですよ。(笑)浦島太郎がやったことを、自分もしたんですね。カメにあたるのがフォルクスワーゲンで。そういえば、ずんぐりしていて、なんか似てるじゃない。(笑)

山崎 乙姫さまもいたしね。(笑)

丸谷 竜宮にあたるのは、世界百十カ国なわけです。玉手箱がさァ何だったのか、それがこの本の一番なところなんですが、ともかく浦島伝説の現代版だという気がすごくしました。

つまり、浦島伝説というのは、日本は島国だから、ほかの世界に憧れる、その憧れを実践した人はヒーローになるということですね。木村さんは日本人ばなれしているとおっしゃったけど、日本の神話を実践した人だともいえるんですね。

木村 そうですね。しかもこれはギネスブック新記録だというんでしょう。世界中の人たちから見ても、変ったことをしたわけです。

山崎 それにつけても、これは全共闘世代だと思うんですよ。この世代はひどくいらいらした世代なんですが、それをぶつける対象の原因が自分の内に求められないから、外に求める。その結果、遠い外国に飛びだして、帰れなくなっている連中がたくさんいるんです。よど号の犯人や、重信房子のような赤軍派の連中だけではなく、ニューヨークの日本料理屋でアルバイトを永久に続けているような人たち。

木村 でも赤軍派と違って、この著者には世界一周という積極的な目的があったわけで、土地土地で、さまざまな人間体験をする。アンデスでは、部品を取りに行くため、たまたま出逢ったインディオに車の見張りを頼む。もしかして車を盗られたのじゃないかと疑って帰ると、インディオはちゃんと見張りをしていたというので、自分の至らなさを反省する。スーダンではみな親切で、自分が食ったメシの代金までほかの人が払ってくれる。

丸谷 サハラ砂漠近くの町で、子供たちと何日も過ごす場面があるでしょう。ところがそこの子供たちは遊びを知らない。喧嘩とか水浴びとか、石油缶を叩いてダンスを踊るくらい。世の中にはこんなに遊びを知らない子供もいるものかとびっくりする。しかしそれは働かなきゃいけないからだ。〈遊ぶ前に、ここの子供は生きなければならない〉。あのエピソードは何だか胸が痛くなるような感じでした。

木村 同じところに、十五歳くらいの少女がきて「ねぇ、あたしと寝ない」という話も紹介してありますね。これも胸が痛くなる。

丸谷 痛くなりました?(笑)

木村 アッハハハ……。

山崎 面白いのは、筆者は大学教育を受けていない。そういう立場をかなり意識的に使っていて、無智を装って言いたいことを言ってしまう。コロンビアへ行けば、ここは汚くて泥棒の国だ、どうしようもない、と平気でいう。スーダンの国民はみな善良だが、善良というのは無力ということだとか。チリは、当時、左翼政権で、理想的政治をやっていたと思われていたのに、これもボロクソにいう。文化人類学者ならカヤッパ・インディオの村へ入ったら、その習俗について、もっと尊敬の目をもって書くところを、野蛮で汚くて異様だとずけずけ書く。

驚いたのは、アフガニスタンで、ハンセン氏病の子供が路上で大人にコンドームを売りつけているという痛烈な皮肉ね。

著者自身、大人が子供の無邪気さを装って「王様は裸だ」といってるような感じがある。

丸谷 それはありますね。だから妙に空白な感じがする、ところどころ。けれどもこの人の文章はなかなかいいと思いました。

井伏鱒二氏の説によると、漂流譚というのは、漂流から救われてからが書くのが難しいというんです。それを少し敷衍(ふえん)していうと、旅行記、冒険譚というのは、後半が難しいものでしょう。事実、この本も後半になると、少し味が落ちる。

木村 そう思いますね。

丸谷 ところがこの本は、終り方が非常にいいんです。家へ帰ってくる、すると出発した時には、まだこの世に生まれていなかった姪(めい)が「おじちゃん、おかえんなさい」と出迎える。母親は「……よーぐ、かえって、きたごど……」といって寿司を注文する。孤独な旅行者から日本の家族共同体へ。外国の女たち、多分、ひと晩だけの関係だった女たちから、姪と母に帰る。マグロやイワシの缶詰から寿司へ帰る。そのコントラストがうまくいってます。文才という点では別にすごいと思わなかったけれど、構成の能力はすばらしいと思いました。

木村 この人には精神の輝きっていうものがあると思いますね。非常に用意周到で決して無謀ではない。薬は正露丸から精神安定剤まで用意してるし、毒蛇やサソリの血清はどこで入手できるかも調べている。しかも自分の身を守るという姿勢が強い。コソ泥にあったときは刀をもって飛びだしたし、お金をごまかそうとするガソリンスタンドの兄ちゃんがいると、首を絞めて悪事を白状させる。普通の日本人なら大体泣き寝入りしてしまうところですけどね。

山崎 彼が日本人ばなれしていると思うのは、待つことができる人間だという点ですね。失くした証明書を再交付してもらうために何ヵ月も平気で待てる。これは性急な日本人には珍しい。

この本の中で、僕が一番感心したのは、砂漠を踏破するところでもなければ、雪道を走るところでもない。次々と現れる小役人と格闘する場面なんです。彼はそれを「ペーパービジネス」と呼ぶんです。冒険とは決して自然との闘いではなく、あらゆる面倒な世俗の事務をくぐり抜けることであるという。

そして彼の括弧付きの「冒険」なるものが、結局、国家から国家への旅であって、自分がもつ括弧つきの「自由」なるものは、要するに日本という国家が保障している自由にすぎないと自覚する。これは非常に鋭いと思います。

ただ、そのあとの付け足りのような文明論がいけません。「未開人は開かれていて、文明人は閉ざされている」というように簡単に飛躍する。

丸谷 ああいうところが安直でねえ。どうも自分の言葉で書いてないし、自分の頭で考えていない気がする。

たださっきの素材ということでいえばこういう本こそ、人間が物を考える素材になる本だと思いますね。

木村 人間に対する信頼が、最終的には大事だということがこの本には書いてある。それを体験から学んだということは、この人の大きな収穫だったんじゃないでしょうか。

山崎 玉手箱が何であったかを付け足すならば、そういう目で異質の他人を見ることができるようになった人間が、帰ってきて自分の母親を見たことだと思います。彼のいう“未開人”とですら仲良くなれる人間になって、もう一度もとの家へ帰ってきた。そこでは世代の断絶なんて問題にもならない。これで彼はあの近代的いらいらを卒業して、やさしい平凡な家庭の一員になれたんじゃないでしょうか。

木村 この人は結局、元の大手電機メーカーの傍系会社におさまってしまう。しかし、こういう人を積極的に使える能力を企業がもつということが、これからの日本が世界に発展していくうえで、きわめて大事じゃないかと思うんです。

もっとも、今ごろこの人は、会社の窓際に坐っているんじゃないか、という気もしないではないですが……。(笑)

地球ドライブ27万キロ 『地球ドライブ27万キロ』(河出書房新社)著者:大内 三郎 Amazon | honto | その他の書店

【この対談・鼎談が収録されている書籍】
三人で本を読む―鼎談書評 『三人で本を読む―鼎談書評』(文藝春秋)著者:丸谷才一,木村尚三郎,山崎正和 Amazon | honto | その他の書店

【書き手】
山崎 正和
1934(昭和9)年京都府生まれ。劇作家、評論家。中央教育審議会会長。文化功労者。京都大学文学部哲学科卒業、同大学院博士課程修了。関西大学教授、大阪大学教授、東亜大学学長等を歴任。著書に『世阿弥』『鴎外 闘う家長』『社交する人間』『装飾とデザイン』等。

【初出メディア】
文藝春秋 1984年4月号
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