近年、客が従業員に対して悪質なクレームや言動で就業環境を害する「カスタマーハラスメント」が話題になっています。いわゆるカスハラに対しては、毅然と対応すると表明する企業が増えるなど、社会問題となっています。
そうした中、クルマの運転免許を取るために通う教習所でも、ときどきカスハラが問題になります。いったいどんなカスハラがあったのか、指定自動車教習所の指導員として約10年間勤務した経験を持つ筆者が、その実例を紹介しましょう。
教習所はサービス業?
一般的に教習所のイメージは「教官が怖い」とか「教官からパワハラを受けそう」といったものではないでしょうか。もちろん、今から20~30年前、あるいはそれよりも昔であれば、教官の意見が絶対で、かなりきつい指導が行われていたそうです。教習でミスをすれば、教官が足蹴りしていたなんて話も聞きます。いまでは絶対にありえないことですが。
ところが近年、教習所も経営が厳しく、ただ運転だけを厳しく教えているだけでは、生徒が集まりません。選んでもらう教習所になるためには、それではダメだということに教習所側がようやく気づいたのです。教習生が入校してくれることで経営が成り立っているわけで、そこで働くスタッフも「我々もサービス業なんだ」といまさらながら気づいたというのがここ近年の実情なのです。
こうした背景もあり、最近では教習所ごとに特色を出しています。例えば「褒めちぎる教習所」や「ミスをしても怒らない教習所」などを全面的に押し出し、通いやすさをアピールしている教習所も増えました。
こうなると、教習所に対する客(教習生や親)の要求がエスカレート。カスハラのような過度な要求をしてくる客も出てくるわけです。
筆者がかつて勤務していた教習所でもカスハラに該当するような要求をするモンスター客がいたことがあります。どんな要求をしてきたのかご紹介しましょう。
「娘を絶対に注意するな」と要求する母親
教習所に通う生徒のほとんどが学生という教習所もたくさんあります。筆者が勤務していた教習所でも、高校3年生から大学4年生という学生が占めていました。もちろん社会人もいますが、親と一緒に入校してくるパターンが多いわけです。教習生の親が費用を出していることがほとんどで、そうなると親が色々と要求してきます。
もちろん、そのほとんどがまっとうなことです。例えば、追加料金がかからないようにしてほしいとか、もっと料金を安くできないか、いつまでに卒業させたいといったことです。こうした要求は教習所でも把握していて、学生限定で試験に落ちても追加料金がかからないようにしたり、入校費用を割引したり、卒業するまでの通学スケジュールを決めたりと、いろいろと要望に応えられるような体制を整えています。
ところが、ごく一部の親は、度を超えた要求をしてくるのです。かつて、「娘を絶対に注意するな」といってくる母親がいました。教習所に通う娘は高校3年生で、すでに受験を終えて時間があるとのこと。実際に話してみるととても謙虚でおとなしいという印象でした。しかし、約1時間という技能練習の中で、どんなことを注意されたのか、毎日母親に報告していたのです。
教官を指定してくるようになり…
翌日になると母親から電話で「昨日は娘が〇〇という教官にこんなことを注意された。だから二度とその教官には会わせないでほしい」とまくし立ててくるのです。当然、技能練習ごとに教官を変えていくことになるわけですが、それにも限界があります。次第にその母親は、どの教官なら娘のことを注意しないのか、毎日娘から聞き取りをして、教官を指定してくるようになりました。
教官を指定すること自体は問題ありませんし、そういった指名制度のようなものは多くの教習所で用意しています。しかし、その母親の要求は、ほんの些細な注意すらするなというのです。
教習生は運転を習いに来ているわけですし、故意ではないにしろ危険な運転につながるようなことがあれば、命に関わることもあるので、当然教官は注意せざるをえません。でもその母親はそれすらもするなというのです。娘さんと接する際に、なにか教習所側として特別に配慮しなければならないことがあるのか聞いても、特に回答はありませんでした。
「卒業試験に3回も落ちたこと」に関しては…
結局、ほぼ注意することなく技能教習の全過程を終え、卒業試験に挑むことになりましたが、残念ながらというか、当然というか、試験は3回も不合格に。その原因が、教官が注意しなかったためなのかどうか、そこまで分析できていませんが、少なくても、ひとまず試験に受かるように細かい指導を受けていれば、3回も試験に落ちなくて済んだのではないかというのが教官たちの見解でした。
不思議なことに、その母親は娘が卒業試験に3回も落ちたことに関してはクレームなど何も言ってきませんでした。注意や指導を受けなければ落ちて当たり前と思っていたのか、真相は不明です。
こうしたケースを受け教習所では、理不尽で不適切な指導(叱りや叱責)は言語道断としながらも、親などから注意するなという要求には一切応じないようになりました。適切な指導はもちろん、教習生のためになるアドバイスを積極的にしていこうということになったわけです。何も指導しないのであれば教官は必要ありませんし、自分(教官)たちの存在意義を改めて考えさせられた出来事でした。
「免許の不正取得」を後押した教習所の末路
過去には、とんでもないモンスター客のせいで事件に発展したケースもありました。
教習所には学生ばかりではなく、免許の取り消しや失効などで再取得を目指し入所してくる40代以上の教習生もいます。関東近郊のとある教習所では、何度卒業試験を受けても合格できない男性がいました。そこでその男性は、教習所に対し脅しをかけたのです。
「次の試験で合格させなかったら、どうなるかわかっているのか」と。
その男性の身分はよくわかりませんが、いわゆる反社か、それに近い立場の人だったのではないかと言われています。
案の定、卒業試験には合格できず、しかし教習所は合格証書を発行し、卒業させてしまったのです。その後、男性が免許を不正に取得したことがわかり、逮捕。教習所にも行政指導が入り、その教習所は閉業に追い込まれたそうです。筆者がこの話を聞いたのは、当時のことを知っている先輩教官から。そのため、なぜ不正取得したのが明るみになったのか詳細はわかりません。
「カスハラ対策に力を入れる教習所」が増加
不正が故意ではなく、単に人的ミスで起きてしまったとしても、管理体制などが厳しく問われます。例えば、受講する順番が決まっている講習があり、手違いでその順番を間違えてしまったということは、たまにありますし、教習所に対する行政指導は、少なくても数年に一度は全国の教習所で起きています。
教える立場である教官と、教わる立場である教習生という関係上、教習所ではカスハラは起きにくいと言われてきました。しかし近年では、従業員や会社を守ることを目的に、カスハラ対策に力を入れる教習所も増えてきています。自治体でもカスタマーハラスメント対策として相談窓口を設置したり、専門家を派遣したりしています。
カスハラはどんな業界でも起きうる可能性があります。自分がどんな立場であれ、過度な要求はしないようにするという意識こそが、カスハラ根絶につながるのではないでしょうか。
<TEXT/室井大和>
【室井大和】
自動車ライター。出版社の記者・編集者を経て、指定自動車教習所の指導員として約10年間勤務。その後、自動車ライターとして独立し、コラムや試乗記、クルマメーカーのテキスト監修、SNS運用などを手がける。
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