10月9日(水) 17:43
<日本オープン事前情報◇9日◇東京ゴルフ倶楽部(埼玉県)◇7251ヤード・パー70>
東京ゴルフ倶楽部での日本オープンは2001年以来、大会最多8回目の開催となる。今大会出場のうち、23年前にプレーしたのは藤田寛之、宮本勝昌、アマチュアだった宮里優作の3人しかいない。多くの選手にとっては初めて足を踏み入れるコースだが、石川遼は“再会”に感慨深い思いで大会を迎える。
小学5年生だった石川少年は、父・勝美さんとともに東京ゴルフ倶楽部で開催された日本オープン観戦に訪れた。「あまり記憶がいい方ではないんですけど、見に来たのは覚えている。ジャンボさんからサインをもらったなとか、宮里聖志さんに『がんばって』と勇気を出して声をかけたこととか、ここで手嶋(多一)さんの優勝を見ていたなとか…」。断片的にではあるが、23年前のシーンが脳裏に浮かぶ。
当時、絶大な人気を誇るジャンボ尾崎のスタートを見ようと1番ティに向かった。「すごい人だかりで見えなかったんですけど、父に肩車してもらったらジャンボさんの上半身、音、弾道がちょうど真後ろから見えたんです」。その後理由は分からないが、石川少年はギャラリーの最前列から1歩前、ジャンボ尾崎の目の前に「ちょこっと」出てしまった。
ジャンボは目の前の石川少年がかぶっていた帽子を手に取り、「無言でサインを書いてくれたのをすごく覚えています。その日から襟足を伸ばし始めました」。当時はジャンボに憧れて襟足を伸ばすゴルファーは多かったが、石川少年も例外ではなかった。
影響されたのは髪型だけではない。大勢のギャラリーを引き連れて、大歓声が起こったり、砂ぼこりや足音の大きさに驚いたことは鮮明に記憶の中にある。初めてジャンボのカリスマ性を感じた瞬間でもあり、「(観戦した)経験が今の自分に絶対につながっている」と多大な影響を受けた時間だった。
それから6年後の2007年。15歳でツアー優勝を遂げ、日本ゴルフ界をけん引する存在になった。同年に日本オープン初出場を果たし、今年で14回目の出場となる。過去2位3回、3位1回とカップに手が届きそうでまだ届いていない。
昨年も最終盤まで優勝のチャンスはあったが、2打差の2位に終わり涙を流した。「2位を1位にするのはすごく難しいもの。その時の運だったり、流れだったり、かみ合わせだったり…。自分の中ではまったく運がなくても上位でプレーすることが、すべての試合での目標です」。
23年前とは違い、今年は選手としてプレーをする。開催コースの印象は「自分が経験した中では1、2を争う深いラフ」とフェアウェイとグリーンサイドの剛ラフを警戒する。フェアウェイキープのためにティショットで使うクラブ選択が各選手によって分かれそうだが「自分の中ではプランはできている」と準備は整った。
「常にフェアウェイからグリーンを狙えるのがパー3なので、150ヤードのパー3とか350ヤードのパー4でどれぐらい(バーディを)獲れるか。1日1、2アンダーとかでプレーできたら非常にいい感じなのかなと思います」。23年前、鮮烈な記憶として石川の心に刻まれた東京ゴルフ倶楽部。今年は選手として思い出を作りたい。