10月2日(水) 22:00
ミュージアム研究者・小森真樹さんが2024年5月から11ヶ月かけて、ヨーロッパとアメリカなど世界各地のミュージアムを対象に行うフィールドワークをもとにした連載「ミュージアムで迷子になる」。
古代から現代までの美術品、考古標本、動物や植物、はては人体など、さまざまなものが収集・展示されるミュージアムからは、思いがけない社会や歴史の姿が見えてくるかもしれません。
バンクシーはどこにでも現れる。世界一有名なこの匿名ストリートアーティストがゲリラ的にドロップした作品は、作品が公式とわかるや否や、その壁面を必死に削って持ち去り、ブラックマーケットに流して一儲けしようとする者が後を絶たない。最近では市場価格数百万円で取引されていることも知られたところだ[1]。
スコットランドのグラスゴーのアイコンには、“バンクシー的だがバンクシーではない”ものがある。グラスゴー近代美術館前広場に立つ初代ウェリントン公爵の騎馬像に、逆さまに工事現場のコーンが帽子のように被せられているのだ。
これは1980年代に匿名の誰かが始めたもので、撤去されるたびに新たな“帽子”が登場する。当局と匿名の誰かたちとのイタチごっこが繰り返されている(知ってる人は京大の折田先生をイメージされたい)。街の人々はそれを温かく歓迎し、今では街のアイコンの一つだ。
ブレグジット時にはEU旗、2020年にはBLM、22年にはウクライナ国旗……と各種時勢を反映しながら匿名の誰かはこの伝統を守り続けている。2013年市議会が防止措置で台座嵩上げを決議した際には、アーティストたちが署名運動を起こし、政治団体が抗議デモを組織し、伝統は守られている。
各種土産物が作られたりと、グラスゴー人が愛着を持った“三角コーン像”はもはや立派な観光資源だ。それはもちろん権威をおちょくる風刺であり、バンクシー同様にいわば“ツッコミを入れて”その意味を変容させているのだが、匿名で不特定多数の人々が協働してまた別の公共のあり方を生み出しているところが、とても面白い。みんなで公共空間へ〈介入〉しているのだ。
帝国主義批判で「介入」する
三角コーングッズはミュージアムショップでも販売されている。ケルビングローブ美術館・博物館(Kelvingrove Art Gallery and Museum)は、バンクシー関連書と並べてコーンデザインの靴下やピアスなどをとり揃えている。18世紀のタバコ商人プロボスト・パトリック・コルクフーンのコレクションに由来する同館は、グラスゴーを代表する“由緒正しき”ミュージアムだ。
「美術館(アートギャラリー)+博物館(ミュージアム)」という名のとおりに、そのコレクションは、15世紀から現代までの美術品、先史時代の考古資料、19世紀頃の動物の剥製や骨など博物学標本、さらには女性参政権や労働運動の資料など現代史を伝える物まで幅広い。ハイライトは美術品に、レンブラントの《鎧の男》とサルバドール・ダリの《十字架の聖ヨハネのキリスト》など。考古学や自然科学の資料には、19世紀末に全英周遊展覧ツアーを行ったアジア象の“サー・ロジャー”の剥製や、自身もミイラとして棺で埋葬されるほど熱狂した第十代ハミルトン公爵が購入した、紀元前650年頃の古代エジプトのミイラと石棺などがある。コレクションも展示の質も、無料公開とは思えないほどの充実ぶりだ。
2023年11月、このミュージアムに最新の展示が導入された。この切り口と方法が面白い。それはミュージアムの歴史へ「介入」するだけでなく、同時に常設展にも「介入」しているのだ。あたかもそれは三角コーン像の“ツッコミ”と呼応するかのようだ。今回はケルビングローブが採った「介入」の方法、展示とミュージアムの正統性に“ツッコミを入れる”方法はどういうものなのか見ていこう。
展示を加えてミュージアムの歴史へ「介入」する
ミュージアムに入ると美しい巨大な吹き抜け空間が広がる。すぐ目の前には目をひく濃赤色でモダンな展示パネルが置かれている。「帝国の歴史」とある。帝国を批判する展示である。現代から振り返り、来館者が立つこの場を二つの点から反省する。一つは「国=スコットランド」という場、もう一つは「ミュージアム」という場である。帝国の暴力にくみしたその姿勢を省みて歴史との向き合い方を模索する。パネルはこう宣言している。
スコットランドとは、歴史の過程で大英帝国(The British Empire)体制の一部となった、イングランドとは別の王国である。国家としての現代の正式名称はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland=グレートブリテン及び北アイルランド連合王国だが、ユナイテッド(連合)したキングダム(王国)の一つとして、スコットランドもまた大英帝国の一翼を成してきたのである。
展示パネルを読んでみよう。「ミュージアム」の方では、「本館は帝国のミュージアムである」という宣言から始まり、このミュージアムがタバコ貿易によって財をなしたコルクホーン旧邸宅に作られたこと、その財や数々の富裕層から寄付されたコレクションは太平洋奴隷貿易でしか成り立たなかったこと、コレクションには大英帝国軍が掠奪したものがあることが暴露される。さらに、その一方で黒人、アジア人やその他のマイノリティを描いた美術品はほとんど存在しないのだ、とも明示される。
「国=スコットランド」については、文化芸術やミュージアムなどを含むその社会制度が、いかに帝国主義による収奪や暴力つまり「他の人々」の犠牲の下で成立したのかが批判される。
太平洋横断奴隷貿易に依存した富が、産業、農業、鉄道、ミュージアムなどへと分配投資されることでスコットランドは発展し、一方植民地化によって搾取された国々では結果的にそれらが今も未発達で、この「南北」間の搾取構造を正当化するのが人種差別的な考え方という負の遺産である。このような説明だ。
ここにはさらに、言語から考えようという趣旨の説明があり、隣のパネルには用語集が並ぶ。コロニアリズム、エンパイア、レガシー(負の遺産)、レイシズム、レイス、ホワイトスプレマシー(白人至上主義)など、帝国主義に関連する用語を短く的確に説明している。正しい定義から示し、不毛な水掛け論やいがみ合いではなく、建設的な対話を議論に基づき作ろうという姿勢が伺える。
この展示改革はプロジェクト「不快感をキュレーションする(Curating Discomfort)」の一部として進められており、シリーズ展示として近隣のハンタリアンミュージアムでも実施されている。ケルビングローブの方ではこれを、グラスゴーの南アジアやアフリカのヘリテージ(歴史文化的ルーツ)を持つ若い世代による歴史文化遺産継承グループを招いて実現したという。
「グラスゴーとミュージアムの植民地主義」をキュレーションする
一階ホールの導入部分に続き、二階には新たに設置された本展示がある。これを見ていこう。
入り口にあるのは、“閲覧注意”の看板だ。「展示品の中には人種差別的な言葉やイメージを含むものもあり、不快感や苦痛を与えるかもしれません。私たちは、この不快感に寄り添い、人種差別の現実と向き合い、私たちがどのように人種差別に取り組むことができるかを共に考えるよう皆さんをご案内します」とあり、人を傷つける可能性のある展示の意義を明示し、同時にトラウマなど加害の防止措置にもなっている。
イントロダクションはビデオ展示だ。ヘリテージを持つ人の声で語りかける言葉が、実際の人の顔・貌から発せられることの力を感じる。
「グラスゴーは人口やその影響力で第二の都市です、つまりは、第二の帝国都市ということです」とスコットランド英語(ただしわかりやすく標準英語的)で喋るビデオの言葉を聴くと、パネルの文章とは違う深妙さが生まれる。
「この街の社会や経済、公共性の発展は、17、8世紀に奴隷化された人々が拷問され、働かされ、死んでいったことで生産された、綿や砂糖やタバコなどによる富で生まれたのです」。動画の背景で、グラスゴーの発展した街並みや美しい建築物が流れるのも、この搾取構造を目で見せていて見事だ。
多くの来館者がドキッとした顔で立ち止まって傾聴し始める。そのまま「これは深刻だな……」などと口にしながら、展示物を丁寧に見始める。それらの行動は、そうしなければ居心地が悪いからであるようにも見える。一緒に見ている人々への、そして同時に自分への言い訳の言葉のようにも響く。
10数点ほどの展示ケースがありそれぞれにテーマが設定されている。たとえば、アフリカへの奴隷と掠奪、人身売買、博物館による掠奪、帝国と盗用の象徴、帝国の製品、有色系女性の抑圧……など。見上げるほどの大型ドアが目を引く。カリブ海の英領西インド諸島のジェームス・フィンレイ社によって、1888年のグラスゴー国際産業科学芸術博覧会のために作られたもので、「帝国と盗用の象徴」と説明されている。
つまり、このアイテムは単に移送されてきたものですらなく、植民地主義の「達成と成功」を顕示するために開かれたメガイベント――万博のために新たに作られたものであった。博覧会の展示物は、見本市のように各種支配地域の文化をもってきて展示をするのみならず、支配者たちの鑑賞者の「まなざし」に向けてそれらしく生産されていたのである。万博という帝国主義・植民地主義の装置は、実際に文化財を盗むだけではなく、歴史家エリック・ホブズボウムらがいうように「伝統を捏造する」ことで二重に「文化を盗用」していたのだ。
展示では自然科学の物品も展示されている。そこで語られる物語は、植民地搾取の歴史だ。生物学・植物学・薬学などの研究開発とは、原料となる資源の搾取と同時に、ときに伝統医療の方法を盗む知的財産の収奪をも引き起こし、帝国による搾取の歴史そのものである。
こうして芸術と自然科学の歴史を横断しながら帝国主義・植民地主義の歴史を反省する姿勢を見せることができる点に、「博物館+美術館」というこの施設の総合性が発揮されている。
さらに現代史の展示へと続く。アパルトヘイトを終わらせた南アフリカの大統領ネルソン・マンデラや、2020年のBLM運動の時のプラカードなどが並んでいる。奴隷制とは今に至る問題なのだ、と実感させられる。
新聞の切り抜きがランダムに貼られている。「ジョージ・フロイドは死ぬまで膝を押しつけられて息ができなかった。シェクもそうだった。ジョージ・フロイドは言った、『息ができない』。シェクもそうだった。」読んでいて、こちらも息を呑む。シエラレオネからスコットランドへの移民一世シェク・バヨー氏が警官による拘束中で死んだ2019年の事件を報じるものだ。報じられた直後には論争にもなるほどだったが、、イギリス国外ではあまり知られていない。“ジョージ・フロイド”は、アメリカだけではなくここにもいたのだ。
パネルには、「私たちはここにいます。あなたがそこにいたから」とある。歴史家のイアン・サンジェイ・パテルが、第二次大戦後の移民世代“ウインドラッシュ“を迫害してきた英国の法や社会に根づいていた構造的人種主義について著した著書のタイトルだ[2]。
【
彼の地の人々は、やって来てあなたの隣に住むことを決して意図してはいませんでした。しかし、私たちは来て、根を張り、家族やコミュニティを作り、ビジネスを築き、国会議員になりました。私たちがここイギリスにいるのは、あなたが私たちの故郷を訪れ、そこをあなたの植民地として主張し、掠奪し、名前を変更し、私たちを奴隷にし、契約労働を強制したからです。私たちが今ここにいるのは、あなたが私たちに大英帝国に属していると言ったからです。私たちの歴史はあなたの歴史です。では、なぜあなたは私たちが「元いた」場所へ戻れと私たちに言うのですか?[3]
】特にこの箇所の展示は、皆顔を背けたいような表情で見ていた。「不快感」は見事にキュレーションされていたのだ。
新しい展示セクションはこうしてコレクションに新しい“不快な”物語を与える、「グラスゴーとミュージアムの植民地主義」についてのキュレーションなのである。
常設展にも「介入」する
ミュージアムの姿勢を「宣言」するようなエントランスホール展示、そして新たに特設された帝国主義・植民地主義の暴力を批判した脱植民地主義展示は、スコットランドにあるミュージアムというこの場自体の歴史へ「介入」している。興味深いことに、「介入」はさらに常設展示のなかへと続いていく。
スコットランドアイデンティティという展示室がある。タータンチェック、バグパイプ、ハギス(名物の内臓詰)、有名な王族やセレブリティ……と、スコットランドの典型的な文化や歴史を紹介し、スコットランドの愛郷心・愛国心がいかに形成されてきたのかを説明する展示だ。入ってすぐにある巨大な写真作品はロン・オドネルの《これぞスコットランド人(The Scotsman)》。上に挙げたものはもとより、さらに「スコットランド」を表現する何百ものアイコンを合成して作られた作品だ。コミカルに“らしさ”を伝えて楽しい。
一方で、ときおりこの部屋の展示各所には小さなパネルでQRコードが示されている。スキャンすると、メインのキャプションとは別の物語が書かれたサイトに遷移され、音声が再生される。18世紀のロバート・ナッター・キャンベルと妻マーガレットが美しく着飾って凛々しい姿が描かれた《キャンベル家の肖像》では、たとえばこう。
【
名前、年齢、病気や身体障害などの情報で整理され、彼らは生まれた時点で自動的にロバートの所有物となった。カリブ海での奴隷生活で父親が蓄えた巨万の富とともに相続されたのだ。奴隷として生まれ彼らの多くは若くして亡くなった。その232人の自由を犠牲にして得たロバートの利益は、彼の特権的なライフスタイルの資金源となったのである[4]。
】スコットランド啓蒙主義というこの国の一時代を築いた立役者だ、という通常のキャプションにある通り一遍の教科書的語りは、その裏側で犠牲となった人々への暴力と表裏一体だったとはっきり説明されている。それも非常に痛ましい感覚が伝わってくるものだ。さらに展示室のキャプションには、「黒人もアジア人も有色系も一才不在。これらの絵画は、『スコットランドアイデンティティ』について一体何を伝えているのでしょう?」とある。このフレーズはパンチラインのように効いてくる。
展示の各所には、QRコードなどデジタル技術も駆使しつつ複数の展示キャプションが並列されているのである。文字通り王道のスコットランドの物語に対して、その歴史の影に存在した人々からの視点の物語を挿し挟み「介入」しているのだ。
ケルビングローブ美術館・博物館は、自らの帝国主義の歴史に自ら「介入」する。こうした“ツッコミ”によって様々なものの見方の存在が示される。それは、人々がこれらの歴史の伝え方や価値観について言葉を交わす土台となる。用語集で正しい定義を伝え、コレクションや美術品の来歴を明らかにすることで、無知な状態をなくし不健全な議論を避けるのは、健全な公共性への第一歩だ。コーン像よろしく、人々を巻き込みながらケルビングローブは“輝かしい負の歴史遺産”を残す方法をミュージアムで決めていくはずである。
[1] バンクシー専門の作品価格変動サイトまで作られている。「バンクシーバリューコム」https://banksy-value.com/
[2] Ian Sanjay Patel, We’re Here Because You Were There: Immigration and the End of Empire (Verso Books, 2021)
[3] 当該書籍の展示パネルへの引用箇所
[4] ウェブ上には詳細なキャプションとともに、朗読による音声読み上げもなされている。ユニバーサル化であるともに、「人の声で聞かされる」という力も与えている。https://app.smartify.org/en-GB/tours/city-of-empire?utm_campaign=dash-qr-creation&utm_medium=offline&utm_source=qr-code&tourLanguage=en-GB