10月7日(月) 17:00
『日本エロ本全史』『日本AV全史』など、この国の近現代史の重要な裏面を追った著書を多く持つアダルトメディア研究家・安田理央による最新連載。前世紀最後のディケイド:90年代、それは以前の80年代とも、また以後到来した21世紀とも明らかに何かが異なる時代。その真っ只中で突如「飯島愛」という名と共に現れ、当時の人々から圧倒的な支持を得ながら、21世紀になってほどなく世を去ったひとりの女性がいた。そんな彼女と、彼女が生きた時代に何が起きていたのか。彼女の衝撃的な登場から30年以上を経た今、安田理央が丹念に辿っていきます。(毎月第1、3月曜日配信予定)
※本連載では過去文献からの引用箇所に一部、現在では不適切と思われる表現も含みますが、当時の状況を歴史的に記録・検証するという目的から、初出当時のまま掲載しています。
キャバクラ嬢を対象とした異色の雑誌、『小悪魔ageha』(インフォレスト)の2009年3月号を手にした読者はページを開いて、度肝を抜かれたのではないだろうか。50人近くの黒服を着た、いわゆるギャル系の女性が目を閉じて手を合わせている写真が見開きページいっぱいに掲載されていたのだ。
そこにはこんな文章が大きく書かれていた。
【
大好きです。
飯島愛さん、
ゆっくり
お休みに
なってください。
ただそれだけで、他に説明は一切ない。それまでにも従来の雑誌のセオリーをぶっ壊すようなデザインや記事を連発し、注目を集めていた『小悪魔ageha』だったが、この2ページのインパクトは飛び抜けていた。日本の雑誌史においても特筆されるべき「事件」だと言ってもいい。
そして『小悪魔ageha』の読者層にとって、飯島愛がいかに大きな存在だったのかを、改めて思い知らされた
飯島愛の急死が報道されたのは2008年12月24日の夕方。クリスマス・イブだった。テレビのニュース速報でその突然の死が伝えられ、人々を驚かせた。
翌日の新聞各紙でも、飯島愛の死は報道された。
【
飯島愛さん死亡渋谷の自宅、知人発見
4日午後3時15分ごろ、東京都渋谷区桜町の高層ビルの一室で、元タレントの飯島愛さん=本名・大久保松恵=(36)が倒れているのを知人女性が発見し、119番通報した。飯島さんはすでに死亡しており、警視庁は、25日に行政解剖して死因を調べる。
渋谷署によると、この部屋は飯島さんの自宅で、リビングでうつぶせに倒れていた。目立った外傷はないという。女性は数日にわたって飯島さんと連絡が取れなかったため訪問。管理人の鍵を使い入ったという。
飯島さんはタレントとして活躍。00年には、生い立ちをつづったエッセー『プラトニック・セックス』を出版し、ベストセラーになった。07年3月に芸能界を引退したが、今月6日には宇都宮市であったエイズ啓発の催しに出演していた。
(朝日新聞2008年12月25日朝刊)
朝日新聞は同日の夕刊にも続報を載せている。
【
死後時間経過か飯島愛さん
東京都渋谷区の自宅で24日夕、遺体で発見された元タレントの飯島愛さん(36)=本名・大久保松恵=について、渋谷署は25日、飯島さんの遺体には一部に腐敗があったと明らかにした。発見時で死後ある程度の時間が経過していたとみられる。一方、同日午前に行政解剖を実施したが、死因は特定できなかったという。
飯島さんは今月6日に宇都宮市であった催しに出演したが、その後、連絡が取れなくなったことを心配した知人女性が24日夕に訪れて発見した。
(朝日新聞2008年12月25日夕刊)
飯島愛の死は、その後も思い出したように度々記事となって語られる。
【
クリスマスイブに遺体で発見された飯島愛さん享年36 亡くなる1カ月前のブログに綴った〈1人じゃ生きていけない〉(文藝春秋2020年10月号)
】【
飯島愛没後10年腐乱死体の真相(アサヒ芸能2019年2月14日号)
】【
飯島愛・波乱万丈の人生亡くなる2年前から痩せ始め、直前には『裏切られた』…何が彼女を孤独死に追い込んだのか(デイリー新潮2023年11月23日)
】【
「飯島愛さん謎の孤独死から15年…関係者が明かした体調不良と、“暗躍した男性”の存在」(日刊ゲンダイデジタル2023年12月15日)
】「デイリー新潮」の記事は、こんな一文で締めくくられている。
【
何が彼女を孤独死に追い込んだのか。「もう15年前のこと。そっとしておいて」。飯島のそんなつぶやきが聞こえてくるようである。
】とはいえ、彼女の死はことあるごとに思い出され、語られ続けている。
それは飯島愛というタレントが、確実にある時代を象徴する存在であったことの証明である。
AV女優からお茶の間でも知られる有名タレントへと転身した「成功例」として、Tバックブームを巻き起こしたセクシーなアイドルとして、あるいはギャル文化のカリスマとして、バラエティ番組で活躍する親しみやすい芸能人として、さらにはベストセラー(自伝『プラトニック・セックス』00年 小学館)を執筆した新しいタイプの文化人として、様々な面から、飯島愛は語られる。
飯島愛がデビューした1992年は、バブル崩壊が本格化し、日本経済が急速に落ち込みはじめた時期だ。
しかし、前年にオープンしたジュリアナ東京に代表されるワンレン・ボディコン姿の若い女性たちが踊り狂う享楽的なイメージも強い。出版業界でもヘアヌードブームが巻き起こりつつあり、少女たちの間にもブルセラ・援助交際ブームが浸透しつつあった。
バブル崩壊の不安から目を逸らそうとするかのように、性的な文化が乱れ咲いていた時期でもあったのだ。
そんな時代の空気を象徴するように登場したのが、飯島愛だった。
彼女が芸能界から引退した2007年、そして突然の死を迎えた2008年は、サブプライムローンの破綻から端を発したリーマン・ショックなどの世界的な金融危機が背景にありつつも、バラク・オバマが黒人初のアメリカ大統領に就任したり、iPhone登場によるスマートフォン時代の到来、ボーカロイド「初音ミク」の発売や「ニコニコ動画」サービス開始など、新しいフェーズの幕開けというムードを感じられる時期だった。
東京・亀戸で生まれ育った大久保松恵という女性が、「飯島愛」という名を得て活動した16年間を追うことで、この時代のある一面が見えてくるのではないか。そう考えて、この文章を書き始めた。
アダルトメディアの歴史の研究をライフワークとしている筆者が、今後のテーマとして考えていたのが「90年代」だった。
好景気に支えられた高揚感のあった80年代とは違い、あらゆるメディアが半ばヤケクソのように、ここ数十年の中でも最も暴走していたのが90年代という時代だったように思えるのだ。
誰もが何かに取り憑かれたかのように熱に浮かされ、より過激な表現を求めていた。
近年、コンプライアンスの面からこの時代を断罪する動きもあるが、それも致し方ないとは思う。しかし、良し悪しは別として、その時代の空気は記録しておかなければならないと考えていた。どんな切り口で90年代を描くのがいいのだろうと悩んでいた時に、太田出版編集部から突然、「飯島愛について書かないか」と持ちかけられた。
この連載はタレント「飯島愛」の実像や素顔に迫ろうというものではない。あくまでも、彼女がメディアでどのように報道され、消費されてきたかの変化の過程を検証してこうと思うのだ。
「飯島愛」がこの時代において、どんな役割を求められていたのか。そこから、90年代から00年代にかけての日本の社会で起きた決定的な変質の一面が見えてくるのではないかと考えている。