元ANZEN漫才のあらぽんによるコンビ解散の経緯のメディア初告白が、エンタメ情報のニュース番組「ABEMAエンタメ」(毎週月~木曜夜11:00ー深夜0:00ABEMA NEWSチャンネル)で全編無料配信されている。
【写真】“ひょうたんアート”の作品を集めた個展を初開催したあらぽん
■あらぽんとみやぞんの幼なじみコンビANZEN漫才
2009年に結成したANZEN漫才は、同じ保育園に通っていたあらぽんとみやぞんの幼なじみコンビで、2024年3月にコンビを解散すると、みやぞんは事務所から独立し、フリーとしてテレビ番組などで活躍する一方で、あらぽんは「芸人としての仕事は、今はほぼない。去年まではゴールデンウィークはめちゃくちゃ働いていたのに、今年はフルで空いていた」と告白する。
そして、「ショッピングモールに行くと、芸人が営業の仕事をしている。その時に『お客さんにバレたくねー』と思った。電車で中吊り広告でみやぞんの名前を見かけた時も、『あらぽんがみやぞんの広告を見てる』とまわりの人から思われたくないと感じた」と現在の胸中を赤裸々に吐露した。
そのあらぽんは、新たな表現活動として、「コンビ解散を伝えた日から、ひょうたんを使ったアートを始めた。そこからずっと作り続けている」と語り、8月には“ひょうたんアート”の作品を集めた個展を初開催した。芸人仲間や学生時代の友人たちの力を借りながら設営した会場に番組のカメラが潜入すると、元放送作家の鈴木おさむや、ビビる大木ら恩人たち、昔からのファンが姿を見せるなど、あらぽんのもとには絶えず人が集まる姿があった。
■650万“ひょうたん”くらいは
また、あらぽんが「ANZEN漫才解散の経緯」をメディア初告白する。
まずは、年間250本ほどの仕事があった人気絶頂期の最高月収を「ちょっとにごしてもいいですか?650万“ひょうたん”くらいは、僕でもいただいていた時があった」とその上で、「当時は天狗になっていて、家賃24万円のタワマンに住んでいた」と苦笑いを浮かべた。
しかし、その頃のコンビの関係については、「コンビの仕事が減って、相方と会わなくなった。半月、顔をあわさないこともあった。そうなると、マネージャーをとおして間接的に話すようになり、気づいたら、あまりしゃべらなくなっていった。相方に疲労が見えると、『今、これを話さないほうがいいのかな』と気をつかいすぎることもあった。ネタを作っても、練習ができないから、全部作り損になった。『作ってもどうせできないもんな』と心が折れたりした」とふり返った。
また、「みやぞんがいないと何もできないところをどうにかしたくて、もがいていた。いろんなものに手を出しすぎて、結局、実らない期間があった。あせっていた」と“じゃないほう”芸人のかっ藤を吐露する。
さらには、「みやぞんだけ『天才てれびくん』(NHK)の収録が始まった。それが土日の収録で営業仕事が入らなくなったし、これまでお笑いコンビで起用されている番組だったから、『俺は出られないんだ……』という気持ちが大きかった。当時、娘は2歳とはいえ、パパの隣にいつも誰がいるかはなんとなく認識している。『なんでパパいないの?』と子どもに聞かれたら、なんて言えばいいんだろう?子どもは“じゃないほう”なんて理解できないのに……と思っていた」と苦悩を明かした。
そして、解散の経緯については、「何年も前にみやぞんから独立する話は聞いていた。『コンビで独立するの?』と聞いたけど、そうではないという返しをされたと思う。コンビ歴は20年超えていたが、『僕が想像していたコンビとは違うな』と引っかかった。コンビという気持ちがそこまでないのであれば、おたがいに離れたほうがいいなと思い、僕から解散の提案をした」と初告白する。
コンビ最後の日には、「『今日で終わりなんで、ありがとね』とおたがいに言ったのを覚えている」と回想した。
再び、みやぞんと漫才をする可能性について、あらぽんは「また、おもしろいものをコンビの時みたいな感じで作れるかって言ったら、それはできないと思う。おたがい気をつかうと思うし、言えることも制限されている。白黒はっきりさせた会話ができる人と漫才をやりたい気持ちが今はあります」と語っていた。
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