テレビ大阪から生まれたテレビ番組『きらきらアフロ』。笑福亭鶴瓶と松嶋尚美が出演して、2001年4月から放送された。2024年9月26日(木)深夜2時20分からの放送で、約23年半の歴史に終止符を打つ。計1182回放送された事になるという。最終回に向けて、テレビ大阪やTVerでも総集編が放送や配信が行なわれる。また、2024年10月6日(日)まではテレビ大阪1階ホールにて入場無料の『きらきらアフロ展』も開催中。
【画像】『きらきらアフロ』初回放送
今回は当時26歳という若さで総合演出担当になり、現在はコンテンツ戦略局長の岡本宏毅氏に『きらきらアフロ』の向こう見ずで無謀で豪快な、今や伝説とも言うべき歴史を振り返ってもらった。
――番組開始時、岡本さんは26歳の若いディレクターで、鶴瓶さんは今の岡本さんと同じ49歳くらいの年齢でした。正直、どういう心境でしたか?
「ビビってましたよ(笑)。26歳で総合演出になり、鶴瓶さんのマネージャーさんからも直接本人と打ち合わせをと言われて、鶴瓶さんの収録現場である読売テレビの喫茶室まで行きました。好意的で優しい感じでしたけど、そこからは毎週毎週が勝負でしたし、鶴瓶さんも『若造に出来るのか?』と思ってたでしょうしね。台本もなく、予測不可能な展開が続く中で、ふたりのトークをどこで区切って収録を終わらすかというという判断には、相当な勇気とセンスがいりました。『なんでここで終わってくれへんねん!』というケースもあったはずですし」
――番組に手応えを感じたのは、いつ頃ですか?
「元々、テレビ大阪とTVQ九州放送の2局でしか放送されていなかったのが、2003年1月からテレビ東京で放送されるようになった時ですね。TNXは系列局が6局しか無いのですが、放送エリアが拡大しピーク時には北海道から沖縄まで全国約40局で放送されるまでになっていました。
2006年8月に大阪城ホールでイベントを開催して、1万人の動員があり、入りきらない方々向けに当時、城ホールの横にあった1000人くらい入る劇場でパブリックビューイングも行ないましたが、そちらもすぐに売り切れましたね。その年の11月には松嶋さんが結成したバンドKILLERSがメジャーデビューをして、2007年3月の日本武道館でのイベントではトーク収録だけでなく、KILLERSの解散ライブも行ないました。このイベントでも勢いは衰えず、1万枚のチケットは即完売でした。さらに、2008年1月3日にはハワイから生放送もしましたね。
ハワイSPの目玉としては、大晦日のNHK紅白歌合戦の司会に初挑戦する鶴瓶さんの密着取材を企画しました。NHK紅白歌合戦の裏側を他局のテレビ大阪で放送するという大胆なオファーでしたが、さすが公共放送のNHKさん!快く受け入れて頂きました(笑)。ハワイのホテルのプールサイドから生放送をしましたが、見物客が1000人近くも来てしまい、現地の警察が出動するし、放送の電波も不安定になったりと大変でしたよ。無謀な事をたくさんしてきましたけど、それ以上に番組の持つパワーを強烈に感じました」
――当時、私も取材でお世話になっていましたが、どんどん松嶋さんの知名度が上がっていったのが印象的でしたし、CDデビューや写真集発売や、とにかく色々な事に松嶋さんは挑戦されていましたよね。
「松嶋さんの成長と共に番組も成長していった感じでしたね。ある時、松嶋さんに『レッチリと共演したい!』と無邪気に言われまして(笑)。相手は世界的なアーティストなのでダメ元でオファーしたところ、なんとまさかのOKが出たということがありました。当時、バラエティ番組出演は世界初だったみたいです。緊張しつつ東京ドームのライブまで取材に行き、ボーカルのアンソニーと逢えたのですが、ゲリラ的にマメカラでデュエットをお願いしたら、楽しんでくれて盛り上がりましたね。レコード会社には本気で怒られましたけど(笑)。
他に印象的なロケでいうと、城ホールライブの時に松嶋さんが何故かPL学園の歌を歌いたいと言い出しまして、その曲フリを当時オリックスに在籍されていた清原選手にお願いするということがありました。ちゃんと話を広報に通していたはずが、本人には企画内容が届いてなくて…。ピリピリした雰囲気の中、ガングロ&巨体の清原選手にふざけた企画内容を直接説明している時はめちゃくちゃ怖かったです…。でもカメラが回ったら、そこはさすが関西人!サービス満点の笑顔で盛り上げてくれたので、ありがたかったですけど(笑)」
――そして番組開始から8年ほどで岡本さんは番組を離れてしまいますが、寂しさはありませんでしたか?
「寂しかったですけど、城ホールと武道館で達成感がありましたので、良い区切りでしたね。武道館の時は鶴瓶さんの事務所社長が諸々資金調達で1億円も集めてくれて、『ライブの演出で好きに使っていいよ』と渡された時は鳥肌が立ちました…。伝説のライブにしたかったので、普段は使えない高価な特効や鶴瓶さんの宙づりの演出などで全て使い切りましたけど(笑)。終わった後、社長と抱き合って喜んだ瞬間は未だに鮮明に覚えています。たった2時間のライブに1億円という予算をかけられたのは、演出家冥利に尽きますね…」
――番組を離れてからは、番組との距離感は、どうされていましたか?
「後輩に委ねましたし、私もテレビ東京に出向してバラエティ制作をしていましたから、未練がましくならない様に一切情報はシャットアウトしていました。鶴瓶さんの落語会に行ったり、松嶋さんと別の番組でお会いすることはたまにありましたけど。今でも松嶋さんが『初期の頃は本当におもしろかったね!』と言ってくれるんですが、とても嬉しいですね」
――2024年9月で番組終了と聞いた時は、率直にいかがでしたか?
「ずっと続けて欲しいとは思っていましたけど、よく続いたなとも改めて思いました。これだけの長期間続く事自体が凄いですよね。テレビ大阪発の番組として、ここまで熱狂的になった番組は無かったですから。大きなイベントまで開催ができて、ちょっとしたムーヴメントを作れたかなと…。テレビ大阪のバラエティ番組としては、一番長く続きましたので」
――もしも今後、また鶴瓶さんと松嶋さんと番組ご一緒する事があれば、どんな番組を作ってみたいですか?
「松嶋さんも50代、鶴瓶さんも70代ですから、落ち着いた大人向けの『きらきらアフロ』を特番としてやってみたいですね」
取材・文=鈴木淳史
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