錦織圭「人生で一番悔いの残る」記憶と再び向き合うチリッチとの激闘から10年

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錦織圭「人生で一番悔いの残る」記憶と再び向き合うチリッチとの激闘から10年

9月25日(水) 16:50

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人生で一番悔いの残る試合を問われたら、「たぶん、あの試合を選ぶと思います」と、錦織圭は言った。

あの試合......それは、2014年の全米オープン決勝戦。雲の切れ間から満月がのぞく晩夏のニューヨークの空の下で、マリン・チリッチ(クロアチア)に3-6、3-6、3-6で敗れた一戦のことだ。

「負けたからというわけではなく、やっぱりあの決勝の大舞台で、いいプレーができなかったという悔いがあって」

それが「人生最大の悔い」の正体だ。

ジャパンOP初戦で34歳の錦織圭は35歳のチリッチと対戦photo by AFLO

ジャパンOP初戦で34歳の錦織圭は35歳のチリッチと対戦photo by AFLO



あれから、10年──。今、錦織がその試合について語る訳は、9月25日に開幕する「木下グループジャパンオープン」初戦で、そのチリッチと対戦するからである。

現在、錦織は34歳で、チリッチが35歳。最高位は錦織4位、チリッチは3位。そして現在のランキングは、錦織200位、チリッチが212位。これまで15度の対戦を重ねてきた両者だが、最後にネットを挟み立った時となると、2018年全米オープンまでさかのぼる。

10年前の決勝戦の日。「今後のテニス界の担い手」と目されたふたりは、いずれも周囲の期待に応えながらも、葛藤の時を過ごしてきた。

チリッチはその後も二度、グランドスラム決勝の舞台に立つが「ビッグ4」の壁を崩せず、頂点には手が届かなかった。一方で錦織は、年間上位8名のみが出場できる「ATPツアーファイナルズ」に2014年から3年連続で出場。「テニス界の顔」となるも、2017年以降は度重なるケガに悩まされた。

特にここ3年の錦織は、股関節の手術とひざの故障で戦線を離脱するうちに、時は流れる。一年以上も試合に出られず、2022年10月から翌年6月にかけて、ランキング表から名前が消える空白の8カ月も経験した。

時期を同じくしてチリッチも、ケガとの苦闘に月日を費やす。2022年10月には14位につけたが、年明けに右ひざを痛めてメスを入れた。

術後も完全回復はならず、今年5月に「これが回復のための最良の策」として、再び手術に踏みきった。「またトップレベルで戦いたいという情熱は衰えていない。それどころか、かつてないほどに強い」との言葉を、ソーシャルメディアにつづって。

【同世代のチリッチは思い入れのある選手】迎えた今年8月末。錦織がツアーの下部大会にあたるイタリアのATPチャレンジャーに出ていた頃、チリッチもまた、スペインのチャレンジャーで復帰戦を戦っていた。最初の大会は2回戦敗退。復帰2大会目のチャレンジャーは3回戦で敗れる。

そうして先日、中国・杭州市開催のATPツアー大会に出場したチリッチは、2回戦で西岡良仁、3回戦では内山靖崇に勝利。その後も駆け上がるスピードを緩めることのないチリッチは、決勝戦で地元期待のジャ・ジジェンを破り、一気に頂点へと駆け上がったのだ。

復帰からわずか3大会目、世界の777位で掴み取ったキャリア21度目のタイトル。それは「ATPツアー史上、最も低いランキングでのタイトルホルダー」という、殊勲の記録を伴った。

この杭州でのチリッチの戦いを、錦織はどのような思いで追っていただろうか。

「そうですね......復帰というか、プレーを戻してくるのは早いなと思いました」と、錦織が言う。

「ウッチー(内山)との試合も少し見てましたし、西岡選手との試合を見ても、プレーの質も高い。ミスはあるけど、プレーの速さや球の速さ、サーブももちろん顕在ですし、そこらへんのプレーは戻ってくるのが早いなと、率直に見ていて感じますね」

それら思いの根底には、チリッチに抱く盟友的な共感もあるのだろう。

「たしかに思い入れのある選手です。(ミロシュ・)ラオニッチだったり、チリッチらは、大きな場面で戦うことが多かった。ほぼ同世代ですし、同じ境遇を最近味わっている選手でもある。そこらへんの選手より、気持ちは入るかもしれないですね」

思い出を紡ぐようにぽつりぽつりと、錦織は篤実な口調に、熱い想いを込めていった。

一方で自身のテニスに関しては、多少のもどかしさを覚えているという。それは、急速に取り戻しつつあるかつての感覚と、対戦相手のレベルの変化の間に生じたジレンマでもあるようだ。

「ここ2試合、けっこうテニスがよかった分、ちょっと焦りがプレーのなかで出てしまっているなと感じていて」

【勝っていたら天狗になっていた可能性も】その「焦り」の正体にも、あたりはついている様子。

「言い訳ではないですけど、チャレンジャーに出て200〜300位の選手と試合をすると、やはりツアーレベルの選手に比べてボールも遅いので、自分から攻めないといけないし、実際に攻められちゃう。それがちょっとクセになり、自分のなかで攻め急ぐ気持ちが出たのかなと。あらためて、この2試合を通して感じました」

そのように現状を踏まえたうえで、「一回、落ち着いてプレーしたいなと考えながら、この何日間、しっかり練習できている」と、自分に言い聞かせるように言った。

幾度もケガに見舞われ、コートから離れるもどかしさや絶望を、彼は幾度も味わってきた。その行程では、懐疑的な周囲の声も、おそらくは耳にしてきただろう。

それでも錦織は、「希望を失わずにやりたいな」と、柔らかな声に渇望をにじませた。その希望が、手を伸ばせば掴めそうな距離に来たこの時に、日本でチリッチと足跡が交錯するのも、何か宿命めいたものがある。

人生で一番悔いの残る試合を問われたら、「たぶん、あの試合を選ぶと思います」と錦織は言った。ただ、言葉はここで終わりではなく、彼の思いはこう続いていく。

「でもなんか、負けたことに対して、すごい悔やんでいるとかではないんです。もしあれに勝っていたら、逆に天狗になって、その後、悪くなっていた可能性もありますし。自分のなかではしっかりがんばって結果も出してきたんで、あの負けが引き金になり、モチベーションになってくれたところもあります」

そのモチベーションに導かれ至った現在地を、そしてその先を、「あの試合」の再戦で確かめにいく。



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