彫刻家の大森暁生さんが、創作において大事にしていることや警察の鑑識になりたかったところから現職に就いた理由、ファッション業界で仕事をするようになったきっかけなどについて語った。
大森さんは1971年東京都生まれの52歳。北千住に自身の工房「D.B.Factory」を構え、動物、昆虫、人物などのモチーフを実物大で制作し、そのストーリー性のある作品やインスタレーションが国内外で高く評価される人物だ。
大森さんが登場したのは、俳優の小澤征悦がナビゲーターを務めるJ-WAVEの番組『BMW FREUDE FOR LIFE』(毎週土曜 11:00-11:30)。同番組は、新しい時代を切り開き駆け抜けていく人物を毎回ゲストに招き、BMWでの車中インタビューを通して、これまでの軌跡や今後の展望に迫るプログラムだ。
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重視するのは上手さではなく「気配」
大森さんが得意とするのは、楠・檜を使用した具象的な木彫彫刻。また、木彫で原型をつくり、そこから型を取りそこに溶けた金属を流し込んで成形するブロンズ像も手掛けている。その作品群は、実物大のアフリカゾウや狼の顔から、ドラゴン・火の鳥といった伝説の生き物まで実に多彩で、いずれも今にも動き出しそうな迫力がある。まるで命が吹き込まれたかのようなその造形は、どのようなこだわりによって生み出されているのか?走り出した「BMW iX3 M Sport」の車中で語ってもらった。
大森:作品がどれほどうまく仕上がったとしても、「よくできてるね」「上手だね」という評価は、自分としてはちっともうれしくありません。突然背後に人に立たれたとき、ドキッとすることがありますよね。また、遠くからじーっと人に見られて、何故か視線を感じることもあるかと思います。彫刻がそういった「気配」を発するには、上手にできるかどうかは関係ありません。この「ドキッとする生っぽさ」みたいなものを目指していきたいですし、そういうものに自分がドキッとしたくて作っていくと、自然と作品は等身大になっていくんです。反面、ドラゴンや火の鳥といった神話的なものには、等身大の基準がありません。そのため普段等身大にこだわっているからこそ、逆に好きなように作れるということで、とたんに自由を感じたりするんですよね。
運命を変えた彫刻界の巨匠との出会い
実在するものを実物大で彫っていくことで、「気配」を生み出していくのが大森さんの制作スタイル。造形への飽くなき探求心により、子どもの頃から芸術家志望だったのかと思いきや、実はそうではなく、そのクリエイティビティの発露を全く別の職業に求めていたようだ。
大森:正直に言いますと、高校生の頃まで彫刻や芸術には全く興味がありませんでした。手でモノを作ることは昔から大好きだったんですけど、僕は芸術家志向ではなく、職人志向だったんです。今でも、伝統工芸を守っている方はもちろん、お寿司屋さんや焼き鳥屋さんなど、あらゆる職人さんを尊敬していますし、カッコいいとも思っています。とりわけ、高校時代に一番なりたかった職業が警察の鑑識でした。最近はコンピューターを使っているのかもしれませんが、当時は鑑識の仕事の一つとして、骸骨に粘土を付けて筋肉や皮膚を再現していき、元の顔がどんなものか復元するという作業がありまして。その様子を刑事ドラマなどで見て「カッコいいな」と思っていました。そこで「鑑識の仕事に就くにはどうしたらいいのか」と自分なりに調べ、高校の先生に聞いていくうちに、美術大学を卒業しなければいけないと知ったんです。
こうして美術予備校に通い始めた若き日の大森さん。予備校で鑑識の職に就きたいと考えている同級生はおらず「なんで自分はここにいるんだろう?」と思いながらも、デッサンや粘土の勉強に励んでいたという。その後、愛知県立芸術大学へ入学し、迎えた3年生のあるとき。進路変更を検討せざるを得ない、運命的な出会いを果たす。
大森:大学3年生のとき、彫刻界の大巨匠で「せんとくん」の作者として知られる籔内佐斗司先生の特別講義を受講した後、勇気を出して「ぜひ工房を見学させてほしい」と申し出ました。それで実際に工房を訪ねることになったのですが、その頃の自分にできることといえば、ポートフォリオを見ていただくことぐらい。なので差し出したら、籔内先生から「明日から手伝わないか?」と声をかけていただき、翌日から工房へ通うようになりました。当時の籔内先生は40代でバリバリ仕事をされていた頃。その姿を真横で見て、腕一本で食べていくことのカッコ良さを知り、すごく刺激を受けました。このときを境に、徐々に作家志向になっていった気がします。
度々足を運ぶ「自信を回復するための場所」とは?
彫刻家・籔内佐斗司さんとの出会いをきっかけに、大森さんは美術家の道へ。23歳から31歳まで約8年間、籔内さんの工房でアシスタントを務める中で、彫刻家としての技術から作品との向き合い方、工房のあるべき姿まで様々なことを学んだという。
そんな話をしながら、「BMW iX3 M Sport」は港区愛宕エリアに建つ名刹・青松寺の山門前に到着。この場所には、アシスタント時代に取り組んだ最後の大仕事となる仏像が飾られているそうだ。
大森:アシスタント時代の最後に任せられたのが、青松寺に収めた3体の祖師像と、4体の四天王立像でした。籔内先生の指示のもと、工房一丸で約2〜3年にわたって取り組んだ大仕事で、祖師像は現在非公開となっている一方、四天王立像はいつでも拝観することができます。僕もたまにこの辺を通ると、山門の前に車を停めて見に行くことがあって。いまだに「次の仕事こなせるかな」と自信がなくなることがあるのですが、そんなときにここに訪れると「当時まだ20代の自分がこんなことができたのだから多分大丈夫だろう」と、僕にとって自信を回復する場所になっているんです。
また大森さんは、工房の代表として現場を取り仕切っていた籔内さんの指導者として姿勢・在り方を振り返り、こう評した。
大森:籔内先生はスタッフに任せる勇気がある方です。指導する立場としては、具体的な指示を細かく出すほうが楽なものです。でも籔内先生は、いい意味で結果オーライというか。「まずやってみろ」というスタンスなんですよ。もちろん、要所要所でスタッフへきちんと指示を出したり、指導したりすることもありますが、基本的には自分で決定して自分で手を動かしていかないと先に進みませんでした。それに、自分が考えたアイデアが良ければ採用していただけることもあって、そこが大変であり、うれしさを感じるところでもありましたね。
UNDER COVERとのコラボ作品をパリコレに出品
青松寺を離れた「BMW iX3 M Sport」が次にやってきたのは、原宿のキャットストリート。大森さんはアシスタントを卒業して独立した直後、当時裏原カルチャー全盛期だったこの場所で、思ってもみなかったチャンスを掴むことになる。
大森:僕はもともと、洋服やファッションにさほど詳しくありませんでした。にもかかわらず、突然あるとき、 BLANKY JET CITYの照井利幸さんが展開していたアパレルブランド「ケルトアンドコブラ」から「骸骨の燭台(キャンドル)を作ってほしい」とのお話をいただいたんです。BLANKYというと、我々世代だとカッコいい反面、コワモテなイメージ。そのため緊張して、待ち合わせ時間の2時間前に行ったことを覚えてます。このキャンドル制作以降、ケルトアンドコブラのお仕事を何度かさせてもらったほか、照井さんが当時リリースしたアルバムのジャケットのドローイングも担当させていただきました。
こうした照井さんとの一連のお仕事がきっかけで、ファッションブランド「UNDER COVER」がパリコレに出品する衣装のうち、ハットとスカートの2点を木で作ってほしいとご依頼をいただきました。当時、荒川河川敷の工房で細々とやっていた僕にいきなりパリコレの話が降ってきたわけで、それはもう衝撃的な事件でしたね。
BLANKY JET CITYのベーシスト・照井利幸との仕事によって、大森さんは「アパレルの世界に招き入れていただいた」と振り返る。これまで未知の分野だったファッション領域での創作に取り組むことで、美術家としてある学びを得たようだ。
大森:我々が行う美術の仕事では、食べていくためにどうしても手頃なサイズのものを作りがちなのですが、そう単純なものでもありません。売れ線狙いで手掛けたものが売れないことなどざらにありますし。他方、ファッションブランドはパリコレなどのコレクションにおいて、トゲトゲが付いている服や身長の倍ぐらいある服など、とても街を歩けないような実用性度外視の衣装を出品しますよね。こうしたアイテムは直接販売するわけでも、一般ユーザーが着るわけでもありませんが、ブランドの哲学や考え方を明確に伝えることができます。それによって、多くの人がそのブランドに惚れ込み、「ブランドの哲学を身に付けたい」と思うようになる。だからこそ、1枚1万円、2万円もするTシャツが売れるわけです。そんなわけで僕は美術家として、売れやすいサイズの作品だけでなく、大きい作品を作ることで自分の哲学を強烈に打ち出さなければいけないと、アパレルの仕事を通して学びました。なので、今も大きい作品を年に1~2点、必ず作るようにしているんです。
大森さんにとって「未来への挑戦」とは?
異なる業界のクリエイティブからも貪婪に学び、自身の創作の可能性を拡張し続ける大森さん。その原動力とはいったい何なのか。
大森:僕は彫刻家の仕事をサービス業だと思ってるんですよ。見ていただける方に驚いてもらったり、ワクワクしてもらったり、ハッとしてもらったり。そのために工夫し、バリエーションを持たせることに日々注力しています。美術の世界において作家は、いわゆる「ヒット作」が出ると、同じものばかりを繰り返し作るようになる。僕はそれが嫌いなんです。他のエンタテイメントでいうと、たとえば、ある映画監督の最新作を楽しみに観てみたら、前作と内容が同じだった……なんてことはあり得ないですよね。しかし美術の世界では、それがまかり通ってしまう。だからこそ、毎回手を変え品を変え、新しいモチーフ、新しいアイデアの作品を作るよう心掛けているんです。
最後に「大森さんにとって未来への挑戦=FORWARDISMとは?」と質問すると、こんな答えが返ってきた。
大森:3Dプリンターがあらゆるものを具現化し、また、AIが自動で絵を描いてしまう時代になり、我々美術家は戦々恐々としています。しかし命を扱う作品には、いくら形をそっくりに模したとしても、機械では絶対に表現できない部分があると思うんです。作る側は人間ですが、見ていただくお客様もまた人間です。人間には、人間にしか表現できない部分を感じ取る力が備わっていると思うんです。なので、そういったポイントを意識していかにいい仕事ができるかが、自分にとってこれからの挑戦になるのかもしれません。
(構成=小島浩平)
番組情報
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小澤征悦
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