期待の新人ボクサー・伊藤千飛
日本ボクシング界にまたひとり、世界を狙える楽しみな選手があらわれた。
先月21日、東京・後楽園ホールで開催されたプロボクシング興行(第23回WHO′NEXT DYNAMIC GLOVE on U-NEXT&G.O.A.T MATCH Vol4)のセミファイナル、バンタム級8回戦にプロ2戦目の19歳、伊藤千飛(真正ボクシングジム)が出場。KO負けはもちろん、ダウン経験もないラン・コウコウ(中国)を終始圧倒してTKO勝利(8回1分16秒)した。
「ラン選手は気持ちの強いファイターで手こずってしまいました。でも最後、ストップに持ち込むことが出来て良かったです」(伊藤)
今年4月のデビュー戦ではヨーティン・トンカン(タイ)相手に初回55秒KO勝利している伊藤は、2戦連続KO勝ちにも反省しきり。じつは伊藤、初回にランを連打でダウン寸前まで追い込んだ際、両拳を痛めてしまったのだ。
以降はジャブでリズムを作り、時折、オーソドックスからサウスポーに切り替えてボディを叩き込み相手のスタミナを削るなど、強打から一転、テクニックで相手を翻弄。セコンドの山下正人会長からの「拳は握らなくて良い。パンチは小さくまとめて打つように」という指示を忠実に実行し、2戦目とは思えない落ち着いた試合運びを見せた。
そして8回、コーナーで気合を入れるように大きな声を出すと、開始のゴングと同時に再び攻撃のスイッチが入ったように攻撃を仕掛けた。タイミングの良い左ジャブからのワンツー、いきなりの右ストレートから返しの左フック、角度を変えながらのアッパーなどでタフな相手を追い詰め、最後は速射砲のような連打を浴びせて試合をストップさせた。
■師匠は長谷川穂積を育てた名伯楽、山下正人試合終了後に控室をたずねると、パイプ椅子に座り、両拳を氷水の入ったバケツに入れる笑顔の伊藤がいた。おでこの左に軽い赤みは見られるものの綺麗な顔。隣で穏やかな表情で見守る山下会長は、アクシデントに見舞われながらも乗り越えた愛弟子の試合をこう振り返った。
「今日は簡単には倒れない非常に良い相手でした。拳を痛めていなければ、もっと早い回で倒せたかもしれませんが、8回まで戦えた事は良い経験になった。初回を終えてコーナーに戻ってきた時は『拳を痛めたら世界戦でもやめるんか。試合中に怪我をしても、それなりの戦い方をせなあかん』と発破をかけました。いまは何もかもがプロとして初めての経験。失敗を恐れず、若さを生かして挑戦して欲しいですね」
山下会長は元兵庫県警暴力団対策本部の刑事で、選手未経験ながらトレーナーライセンスを取得した異色のキャリアの持ち主だ。技術指導だけでなく、選手のやる気を引き出す能力に優れ、世界三階級制覇を達成したレジェンド、長谷川穂積はじめ、ミニマム級4団体王者の高山勝成、元WBA世界スーパーバンタム級レギュラー王者の久保隼など数々の世界チャンピオンを育てた。そんな一時代を築いた名伯楽が、還暦を過ぎたいま情熱を注ぐ逸材が、19歳になったばかりの伊藤だった。
「山下会長とは、ボディ攻撃の練習に重点を置いて取り組んできました。上(世界)を狙うためには、相手のディフェンスを崩したり、スタミナを削るボディブローの技術が重要になる、とアドバイスをいただいています。たくさんミットを構えていただいたおかげでスタミナ面は自信が持てるようになりました。でも、技術的にはまだまだです」(伊藤)
■寺地拳四朗も「いますぐ世界レベルでも戦える」と太鼓判伊藤は今回の試合前、10月13日にWBC世界フライ級王座決定戦を控える寺地拳四朗とのスパーリングを経験した。フライ級の拳四朗に対して伊藤はバンタム級。階級はふたつ違うものの、長らく世界の最前線で活躍し続ける拳四朗と拳を交えた経験は、プロ2戦目で異例の抜擢となったセミファイナル、そして初の8回戦に向けて大きな自信に繋がった。
「拳四朗選手はめっちゃ強かった。フェイント、ワンツー、ステップイン、どれもすごく速い。特に左ジャブの回転が見えなくて、左ジャブからの右ストレートのワンツーを、顎に何発もまともに食らってしまいました」(伊藤)
一方、胸を貸した拳四朗も、
「現段階でも世界レベルで戦えるだけの実力はあると思います。自分自身も次の世界戦に向けて良い練習になりましたし、若い選手から良い刺激をもらいました。将来的に、世界チャンピオンを狙えるだけの実力は十分あります」と高く評価した。
目標とするボクサーについてたずねると伊藤は、
「井上尚弥選手に憧れています。もっとパンチに磨きをかけて、井上尚弥選手のように1発で相手をKOできるようなボクサーになりたい。そのためにも、もっと自分を追い込んでいかなければと思います」と答えた。
伊藤が憧れるモンスター井上尚弥は二十歳の時、当時日本人男子最速となるプロ6戦目で世界王座獲得に成功した。しかし山下会長は「焦らず、しっかりと段階を踏みながらキャリアを積ませたい」と冷静な答え。このあたりはさすがプロ20戦目、24歳で世界初挑戦して王座獲得、その後WBC世界バンタム級王座10防衛、3階級制覇、そして世界王者のまま35歳で引退した長谷川穂積を育てた名伯楽らしい考え方に思えた。
「しばらくはバンタム級で戦いたい」と伊藤は話す。世界主要4団体すべて日本人が世界王者(中谷潤人、井上拓真、武居由樹、西田凌佑)で盛り上がるバンタム級の覇権争いに、近い将来絡んで来るのか。一ボクシングファンとして注目していきたい。
■伊藤千飛(いとう・せんと)2005年6月25日生まれ、19歳。兵庫県伊丹市出身。元キックボクサーだった父親の影響で5歳からキックボクシングを始める。キックボクシング時代からパンチのみで戦うスタイルで、「関西ジュニア最強のキックボクサー」と呼ばれた。高校入学と同時にボクシング転向。興国高校ボクシング部に所属し、選抜2冠、アジアユース選手権3位入賞。卒業と同時に山下正人会長率いる真正ジム入門。今年4月のプロデビュー戦では1回55秒KO勝利を飾った。プロ戦績2戦2勝2KO。
取材・文・撮影/会津泰成
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