7月13日、ペンシルベニア州での演説中に狙撃されたトランプ前大統領。容疑者は20歳の大学生で、共和党員だったと報じられている
7月13日に起きた前大統領暗殺未遂事件。トランプは右耳を撃ち抜かれ出血したが、そのまま大統領選挙にも臨む予定だ。もし1インチ(2.5㎝)ズレていたら。あの日、あのとき分岐した別の世界線でアメリカと世界はどうなっていたのか?もうひとつの"もしトラ"を考える――。
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■〝大嫌いな移民〟に命を救われた
9月15日、自らが所有するフロリダ州のゴルフ場でのプレー中、またしても暗殺未遂事件に遭ったドナルド・トランプ前大統領。
その約2ヵ月前、7月13日にペンシルベニア州で行なった選挙集会での演説中に狙撃された事件も記憶に新しい中、再び起きたトランプの暗殺未遂事件は、今のアメリカ社会で大統領選候補者暗殺が現実的なリスクとして存在することを改めて感じさせた。
幸い、今回の事件ではシークレットサービスの対応で発砲を未然に防ぐことができたが、7月の銃撃事件では銃弾がトランプの右耳に当たり、流れ弾で集会参加者のひとりが死亡、ふたりが重傷という事態に。
そうなると、やはり考えてしまう。銃撃の瞬間、もし、トランプの顔の角度が少しでも違っていたら?風向きや風の強さが違っていたら?米保守層のカリスマとして熱狂的な支持者を持つそのトランプが、大統領選の最中に暗殺されていたら、アメリカは、世界はどうなっていたのだろうか?
「あのときトランプが本当に暗殺されてしまっていたら、その存在は神格化され、支持者たちはいっそう熱を持ち、〝神〟としてあがめていたかもしれません」
そう語るのはアメリカ現代政治が専門の国際政治学者、上智大学の前嶋和弘教授だ。
「7月の銃撃事件の際、トランプの支持者たちは『銃弾が頭部をそれて暗殺が未遂に終わったのは神のご加護だ』と喜んでいました。
実際は銃撃の瞬間、手元にあった移民問題の資料を見ようと頭を傾けたおかげで命拾いしたといわれており、ある意味、彼が嫌う移民に救われたともいえるんですが。
いずれにせよ、仮にあのときトランプが暗殺されていたら、その死によって『トランプ神話』は完全に確立し、信者たちはまるでイエス・キリストのように『偉大な神・トランプの復活』を信じ続けるといったことになっていた可能性もありました。
これは1963年に46歳の若さで暗殺された民主党のジョン・F・ケネディ大統領(当時)が、その後、アメリカのリベラル層で神格化され、ある種の妄想や陰謀論も含めた『ケネディ神話』が今も生き続けているのと同じです。
そして、その結果、共和党はこれまで以上に『トランプ支持者の政党』という性格を強めていったと思います」
■ヴァンスを選んだのは暗殺されないため?
暗殺によって神格化されたとしても、大統領選挙は迫ってくる。その場合、大統領選そのものはどうなっていたのだろうか?
自分たちが信奉する神のような存在を殺されたトランプ支持者たちは、前回の大統領選(2020年)後に支持者たちが起こした議会議事堂襲撃事件を超える深刻な衝突に発展していた可能性はないのだろうか?
「トランプ支持者たちが各地で激しい抗議活動を起こした可能性はある」と語るのはアメリカの保守層に詳しい国際政治アナリストの渡瀬裕哉氏だ。
「もともとトランプ支持者の一部はディープステート(闇の政府)の陰謀を本気で信じている人たちですから、もし7月の事件でトランプが本当に暗殺されていたら、それはすなわち『ディープステートの陰謀が裏づけられた』ということになり、一部地域では暴動や銃撃事件が起きて、治安が悪化していたでしょう。
また、7月の銃撃事件の時点では、まだ共和党の副大統領候補も決まっておらず、トランプの後継候補が存在しなかったので、『こんな状況で大統領選はやらせない!』と選挙自体行なえない州が出ていたかもしれません」
そんな暗殺を巡る混乱の中で選挙が行なわれた場合、存在感を発揮した可能性がある人物がいるという。
もしもトランプが暗殺されていたら、その支持者たちはジョン・F・ケネディのおいで陰謀論者に人気のロバート・F・ケネディ・ジュニアを信奉していたかもしれない
「それは当初、無所属から大統領選に立候補し、その後、選挙戦から撤退してトランプ支持を表明したロバート・F・ケネディ・ジュニアです。
彼はケネディ家から問題児扱いされて事実上の絶縁状態ですが、それでも伯父のジョン・F・ケネディと父親のロバートを暗殺され『アメリカ最大の陰謀論』に彩られた家系の人物ですし、自身も反ワクチンの言説などで知られるバリバリの陰謀論者ですから、トランプというカリスマが失われた場合には、陰謀論者たちの票の受け皿になる可能性があります。
ちなみに陰謀論者は右派だけでなく左派にもいるので、共和党だけでなく、一部の民主党票もロバート・F・ケネディ・ジュニアに流れていたかもしれません」
ちなみに、この7月の暗殺未遂がトランプの副大統領候補選びにも影響したのではないかと渡瀬氏は指摘する。
暗殺未遂後、トランプが副大統領候補として発表したJ・D・ヴァンスは、自身に属性の近い白人男性。「自分を殺しても、トランピズムは継承されるから暗殺しようとするな」と牽制するためでもある?
「僕が注目したのが、7月の銃撃事件後にトランプがJ・D・ヴァンスを副大統領候補に選んだことです。普通に考えたら、大統領選で支持層を広げるためにも女性や非白人系の候補を選んだほうが有利なのに、彼があえて自分の熱烈支持者の『白人男性陰謀論者』を選んだのは、自分が暗殺されないためではないかと思うんです」
どういうこと?
「例えば、元国連大使のニッキー・ヘイリーのような『トランプよりも中道的に見える人物』が副大統領候補ならば、トランプを排除したい人にとって暗殺は一定の意味があるかもしれません。
しかし、ヴァンスのように『トランプに忠誠を誓う陰謀論者』が後継者になれば、トランプを暗殺しても何も変わらない。結果的に自分が暗殺されるリスクが減ると考えてヴァンスを選んだのではないか、と思うんです。まあ、実際にはまた暗殺未遂事件が起きたわけですが......」
■1インチのズレで崩れていた民主主義
トランプが暗殺された場合の影響は大統領選にとどまらない。前出の前嶋氏は陰謀論にとらわれたトランプ主義者たちの暴力が全国に広がっていた可能性もあるという。
「トランプが神格化されるということは、彼の周りにある陰謀論的な言説が〝教義〟となることを意味します。当然、〝自分たちの神〟を殺された支持者たちの復讐の念や怒りの爆発が、彼らにとっての〝聖戦〟という形で噴出する可能性があるわけで、アメリカ社会がテロの時代に入っていく。
それも9.11の同時多発テロ以降、アメリカ人が『テロ』という言葉から想像するイスラム教徒などの外国人によるテロではなく、アメリカ社会の深刻な分断を背景とした『アメリカ人によるホームグロウンテロ(自国産テロ行為)』が国内で頻発するような状況になりかねません」
厄介なのが、アメリカにおける銃の認識だ。
「何しろ、人口約3億4000万人に対して、銃はその倍以上あるといわれていますから。半自動型のAR-50やAK-47(カラシニコフ)のようにトランプの暗殺未遂に使われた軍用ライフルを一般人でも買えるのがアメリカという国で、自分たちの大統領候補者が狙われても共和党の銃規制に反対する姿勢はまったく変わりません。
それは市民の『武装の権利』がアメリカ合衆国憲法の修正第2条によって保障されているからですが、実はこれ、単なる銃所有の権利ではなく『悪い政府がいたら市民がそれを武力で倒す権利』、つまり『革命権』でもあるんです。
2021年1月6日の議事堂襲撃事件も、武装して議会を襲った人々にとっては、ディープステートの陰謀からアメリカを守るための〝聖戦〟であり革命権の行使だととらえられていた。
そう考えると、仮にトランプが暗殺されてしまい、その神格化がさらに進んでいたら、あのときよりもはるかに深刻な事態を招いていた可能性は大いにあります」
そして前嶋氏は「その分断はどこまで行くか予想がつかない」と語る。
「暗殺という暴力によって現状を変えてしまうと、その状況を統治するのが難しくなる。そんなガバナンスできない状態というのは、政治学的に見ても非常に厄介なんです。
日本でも10月に公開される映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は一部の州が独立を宣言し内戦状態に突入したアメリカを描く衝撃的な作品ですが、現実に深刻な社会の分断が進む現代のアメリカでは、そうした『内戦』が現実に起こるリスクも単なる絵空事とはいえないのです」
その上で渡瀬氏は、トランプが暗殺されていた場合、世界にも大きな影響があったのではないかと推察する。
「トランプを『民主主義の敵だ』と憎んでいる左派リベラルの人たちの中には『いっそ暗殺されて、いなくなったほうが良かったんじゃないか』と、思っている人がいるかもしれません。
しかし、仮にトランプが殺されていたら、アメリカの治安は悪化し、それを抑え込むために警察権力や監視がどんどんと強化され、世界最大の民主主義国であるアメリカの民主主義や自由がどんどんと失われることになる。
それは結局、中国やロシアを勢いづけることになるし、ほかの民主主義国でも『暴力で政治を変えてもいいんだ』という考え方が広がって、結果的に世界情勢は荒れる方向に進むでしょう。
暗殺が未遂に終わり、星条旗をバックにガッツポーズをするトランプみたいな写真まで撮られ、トランプの支持者もなんとなく『災いを転じて福となす』的な雰囲気に収まった。そう考えると『トランプが殺されなかったから、結果的に民主主義が守られた』という現実を理解すべきなのかもしれません」
トランプの強運が生んだ1インチ(2.5㎝)のズレで、世界は最悪のシナリオを免れたのかもしれない。
取材・文/川喜田 研写真/時事通信社
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