私が海外に進学する理由── 超難関大に挑戦した18歳、自分の「やりたい」はどう生まれた?

私が海外に進学する理由── 超難関大に挑戦した18歳、自分の「やりたい」はどう生まれた?

私が海外に進学する理由── 超難関大に挑戦した18歳、自分の「やりたい」はどう生まれた?

10月3日(木) 0:00

近年では、国内の大学への進学だけでなく、海外の大学を志望するケースも珍しくありません。また、オンラインで学べる大学が創設されるなど、高校生の学びには多様な選択肢が生まれています。

そんな選択肢を選んだ一人が、山口笑愛(えな)さん。この9月、日本国内の高校卒業後、アメリカ・ミネルバ大学に進学しました。

ミネルバ大学は全寮制でキャンパスを持たず、4年間で7か国(アメリカ、韓国、インド、ドイツ、アルゼンチン、台湾に加え、2025年から日本も追加)に移り住みながらオンライン授業を受ける新しい形式の大学です。企業やNPO、行政、研究機関などと協働するプロジェクト中心の実践的な学びができ、入学できるのは希望者の3パーセントに満たない超難関大学でもあります。2024年現在、約20名の日本人が学んでいます。

なぜ、彼女は新たな学びの選択肢を選ぶのか。山口さんの人生をたどると、自分らしい進路や将来について考えるヒントが浮かび上がってきました。



(写真提供:山口さん)

この記事のポイント

両親の言葉はいつも、「がんばりなさい」ではなく「楽しんで」 学びの中で抱いた疑問──「サステナビリティは我慢するもの?」 アイデアを行動に移せなかった自分が、やりたいことに前向きに もう一度、外側から日本を見てみたい

両親の言葉はいつも、「がんばりなさい」ではなく「楽しんで」

「友達からは、自由だねとか、人と違うこと考えているよねとよく言われるのですが、それは両親の影響が大きいと思います。安全面のことは気にしてくれたけど、基本的には自由にさせてくれたから。何をするにも、『がんばりなさい』ではなく『楽しんで』と声をかけてくれました」

裏表のない素直で真摯な言葉で語る山口さん。超難関といわれる大学で学ぶことについても気負いのようなものは感じられず、柔らかい笑顔が印象的な18歳です。

幼いころから水泳、ピアノ、習字、新体操、英会話など、多くの習いごとをしてきましたが、やめたいと思うことはなく、どれも長く続けてきたそう。

「公立小学校に通う普通の小学生でしたが、ひとりっ子だったので、両親が『いろんな友達ができるきっかけに』と、習いごとをたくさんさせてくれました。そこで仲良くなった友達と過ごす時間はとても貴重でした」

小学校5年生から約3年間、父親の転勤の都合でアメリカのサンノゼへ。現地校に通い、中学2年生で日本の学校に戻ってきました。それぞれの学校に慣れるまでに長い時間がかかりましたが、そこで得たものも大きかったと言います。

「サンノゼにはいろんな国籍の人がいますが、みんなとても寛容で、自分と違う意見や価値観を持っていても否定しない。『そういう考え方もあるよね』といったん受け入れて、『でも私はこう思うよ』って返すのが普通でした。

日本の学校だと、同じ価値観を持っていることが前提で、意見が違うと『それ違くない?』と友達にも言われます。ただ、自分のコミュニティーがあることや、言いたいことを察してもらえるのは安心感につながるので、アメリカ、日本それぞれの良さがあると思っています」

学びの中で抱いた疑問──「サステナビリティは我慢するもの?」

アメリカで身に付けた英語を生かし、中学2年生から、帰国子女枠で編入できるかえつ有明中学校を選びました。一番勉強したのは中学3年生だったと振り返ります。

「アメリカにいる間に、英語力や対話する力が身に付いた手応えがあったので、どうせならそれを生かしたいと思ったんです。高校ではプロジェクト科が週に4時間もある『新クラス』に入りたかったので、そこで初めて、成績を上げるために本気で勉強しました。

でも、がんばったというより、『いかに楽しみながら目標達成できるか』を楽しんでいたのかもしれません。音読すると声が記憶に残るので、歴史も音読しながらハイライトを入れて覚えました。アメリカではみんなノートをとるよりディスカッションを重視するんです。そのやり方が合っていたのかも」



かえつ有明中・高等学校(写真:同校提供)

かえつ有明高等学校のプロジェクト科では、自身の内面(感情やニーズ)に気付くためのワークや対話に大半の時間を割きます。自身が大切にしている思いからスタートしたプロジェクトを仲間とともに進めていくため、探究的な学びも「やらされている」のではなく、内発的、主体的な取り組みになっていくようです。

今の進路につながる大きなきっかけは、無事に新クラスに進んだ高校2年生の時に受けた環境活動家の谷口たかひさ氏の「環境授業」でした。

「その授業をきっかけに、なぜサステナビリティは一般的に『我慢しないといけないもの』という印象が強いのか? という疑問を抱き始めました。我慢しなければSDGsは達成されないのだとしたら、本当の持続可能性ではありません」

この時以来、『サステナビリティは我慢して取り組むのではなく、人間の幸福感と両立されるべき』という考えをもち、この分野の活動に取り組むようになった山口さん。習いごとも勉強も、ひたすら我慢して努力するのではなく、楽しむ方法を考えて実行してきたからこそ、その言葉からヒントを得ることができたのかもしれません。

アイデアを行動に移せなかった自分が、やりたいことに前向きに

その後、山口さんは、サステナビリティのリーダーが集うコミュニティー・イベント『サステナブル・ブランド国際会議2023』の、次世代育成プログラムに関するセッションで登壇する機会を手にします。そこではサステナビリティと「好き」を掛け合わせるワークショップ活動について発表しました。



サステナブル・ブランド会議での様子
(写真提供:山口さん)

さらに、2024年2月には、着物がリメイクしやすい作りになっていること、日本文化と深くつながっていることを生かし、着物のリメイクブランド「u縁me」を立ち上げます。まだ高校在学中の3年生の時です。

「私はそれまで、いろいろアイデアが浮かんでも、なかなか行動に移せませんでした。できるようになったのは、『やってみたらいいんじゃない?』と背中を押してくれる先生がいたことが大きかった。

学校の先生たちは、一人の人間として生徒に接してくれます。表面的なことだけでなく、生徒の感情や考えまで深く一緒に考えてくれるんです。そして、いろんな人に出会う機会、発表する機会をつくってくれました。アドバイスにも恵まれて、だんだん自分のやりたいことを実現できるようになっていきました」

もう一度、外側から日本を見てみたい

実は、ミネルバ大学についても、自分で調べてたどり着いた大学ではなかったと言います。

「ミネルバ大学の卒業生が高校に来てくださる機会があったのですが、私は参加できなくて。興味を持って参加した友達が、私にミネルバ大学のことを教えてくれました。そこで興味を持って調べたら、自分がやりたいことやこれまでの活動とも深くつながっていたんです」

高校のプロジェクトの授業で山口さんが取り組んでいたテーマは、「日本文化とサステナビリティの魅力を若い人たちにどう伝えるか」。日本文化に興味を持ったのも、一度海外に出て外からの視点を持つことができたからであり、いつかもう一度海外で生活をしたいという思いがありました。

「ミネルバ大学には世界100か国から学生が集まります。それに、複数の国の寮で生活しますから、私自身もいろんな国の文化を吸収して、日本文化が持つ特徴や魅力を再発見するチャンスがたくさんあるはずだと思ったんです」

周りの大人が出会いや機会をたくさん準備すること、偶然の機会をしっかりとつかみ、最後は自分で道を切り開き、進路を選ぶこと。その機会を多く与えられた環境が今の山口さんを形作ってきたともいえそうです。



自分ではすぐに用意が難しい学費を補うために、クラウドファンディングを実施。目標金額を達成した。

「クラウドファンディングで足りない学費を集めることにもチャレンジしたのですが、目標金額を達成できたこと以上に、その過程でたくさんのかたと出会えたことがすごく楽しかった。このつながりをこれから生かしていきたいと思っています。

大学はまだ始まったばかりですが、立ち上げた着物のブランドで、世界の文化と掛け合わせた新しい商品を作ることでも海外での学びを表現できるんじゃないか、衣服を通じて国籍を越えたたくさんの人たちとのコミュニケーションができるんじゃないか、と期待が高まっています」

自分自身が興味を持って楽しむことができれば、どんなことにも果敢に挑戦する力がわいてくる。習いごと、日々の勉強、高校の授業で取り組んだプロジェクト、そして自ら立ち上げた着物ブランド——。楽しみながら積み重ねてきたことすべてが、山口さんの海外への大学進学につながったようです。

「サステナビリティは『我慢しないといけないもの』ではなく『人間の幸福感と両立されるべきもの』」という山口さんの考えは、彼女の人生にも置き換えられそうです。

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