数々の伝説的ライブの舞台となってきた日本武道館写真/mizoula/PIXTA
1964年10月3日に開館し、数々の伝説的ライブの舞台となってきた日本武道館。開館60周年を記念して、1966年のビートルズから2024年の新しい学校のリーダーズまで、「ライブハウス武道館」の歴史を豪華写真で振り返る
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■ビートルズに始まる武道館伝説
日本武道館は、そもそも、その名のとおり武道のための施設だ。1964年に東京オリンピックの柔道会場として建設され、その後も柔道や剣道など数々の大会が開催されている。毎年8月15日に行なわれる全国戦没者追悼式など国家的なイベントも多い。
そんな「武道の聖地」が、なぜ日本が誇る「ライブハウス武道館」となったのか?
ビートルズ1966年6月30日から7月2日にかけて、武道館をポップミュージックの公演会場として初めて使用した。武道館の使用に反対する人々や殺到するファンに備えて、3000人の警察官が配置された厳戒体制でライブは行なわれた。ビートルズ唯一の日本公演となった。写真/共同通信社
大きなきっかけになったのが66年に行なわれた
ビートルズ
の来日公演だ。前年にオーケストラのコンサートはあったが、ポップミュージックのアーティストとしては初の公演。しかも人気は絶頂期。会場は観客が失神するほどの熱狂に包まれた。
ただ、当時は「ロック=若者の非行を助長する」として反対の声も大きく、厳重な警備体制も敷かれた。ひとつのライブが社会現象を巻き起こし、その後の日本のカルチャーに大きな影響を与えたという意味でも、まさに伝説のライブだった。
ディープ・パープル『ライヴ・イン・ジャパン』武道館公演が初めて音源化された(1972年発売)。ロック史上に残るライブアルバムの傑作として名高い。米ローリングストーン誌による「音楽史上最高のライブ・アルバム ベスト50」では32位にランクイン。提供/ワーナーミュージック・ジャパン
70年代に入ると、レッド・ツェッペリンやクイーンなど洋楽ロックバンドの来日公演がたびたび行なわれるようになる。中でも
ディープ・パープル
の『ライヴ・イン・ジャパン』は初めて武道館ライブをアルバムとしてリリースした記念碑的な一枚。ジャケットにも当時の熱狂がうかがえる。
チープ・トリック『チープ・トリックat 武道館』1978年の公演が音源化。同年に日本で先行発売され、翌年にはアメリカでもヒットし、ブレイクのきっかけに。ローリングストーン誌による「音楽史上最高のライブ・アルバム ベスト50」では13位にランクイン。提供/ソニー・ミュージックエンタテインメント
また武道館の名を世界に知らしめたのが
チープ・トリック
だ。77年のデビュー当初は本国アメリカよりも日本のほうが人気が高かったのだが、初来日公演の模様を収録した78年のライブアルバム『チープ・トリックat 武道館』を機にバンドはブレイク。海外アーティストにとっても憧れの場になった。
ほかにもボブ・ディランやエリック・クラプトンら数々の大物アーティストが来日公演を行なっている。
日本人アーティストによる最初の武道館の単独公演は71年に行なわれたザ・タイガースの解散コンサート。ソロ歌手では75年の西城秀樹が初だ。
矢沢永吉1977年に日本人ロックシンガーとして初めて武道館に立ち、2023年には通算150回目の武道館公演を成し遂げた、まさに「ミスター武道館」。前人未到の最多公演記録を更新中。写真は「FIFTY FIVE WAY EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2004」の武道館公演から。写真/Getty Images
ただ、武道館を「ロックの殿堂」に押し上げた象徴的な存在は
矢沢永吉
だろう。77年には日本人ロックシンガーとして初の武道館ライブを開催。その後にも度重なる公演を行なった矢沢永吉にとって、武道館はホームグラウンドとなった。
昨年には前人未到の通算150回公演を達成し、現在も日本武道館での最多公演記録を更新し続けている。
■「聖地」から「ライブハウス」へ
80年代には、武道館が「アイドルの聖地」にもなる。マイクを置いてステージを降りた80年の
山口百恵
の引退コンサートはその後もたびたび語り継がれた。82年に初公演を開催した松田聖子は女性歌手としての最多公演記録を保持している。
こうして、8000人から1万人を収容する大規模なコンサート会場としてだけでなく、さまざまな象徴的な意味合いを持つようになった武道館。八角形の形状、屋根の上にある玉ねぎ形の擬宝珠も特徴だが、それを世に広く知らしめたのが爆風スランプ『大きな玉ねぎの下で』。
85年、バンド初の武道館公演を機に作ったこの曲がヒットしたことで「武道館=玉ねぎ」のイメージも広まった。
BOØWY『GIGS JUST A HERO TOUR』1986年の「JUST A HERO TOUR」より、初の武道館公演を中心に収録されたライブアルバム。「ライブハウス武道館へようこそ!」という氷室京介(Vo.)のあまりにも有名なMCは、10曲目『IMAGE DOWN』で聞くことができる。©ユニバーサル ミュージック
86年には
BOØWY
初の武道館公演で曲の間奏中に発した氷室京介の「ライブハウス武道館へようこそ!」という言葉が名言として広まり、多くのミュージシャンにとって「武道館=目指す憧れの場所」としてのイメージが定着する。
88年には東京ドームがオープンし、BOØWYの解散ライブや美空ひばりの「不死鳥コンサート」など大きな話題を呼んだ公演の数々が行なわれたことで、大規模ライブ会場としての象徴的な意味合いはそちらに譲られることになる。
藤井フミヤ1990年代後半から2000年代後半まで、武道館での大晦日・カウントダウン公演を恒例化。写真は今年6月にデビュー40周年を記念して行なわれた通算111回目の武道館公演「40th Anniversary FINAL in 日本武道館」の様子。撮影/平野タカシ
それでも、90年代にはSMAPやKinKi Kidsがデビュー前に武道館公演を行なったり、00年代には
藤井フミヤ
のカウントダウンライブが年末の恒例となるなど、特別な意味合いを持つ公演の数数が武道館で行なわれてきた。
ももいろクローバーZ豪華出演者を招いた年越しイベント「ももいろ歌合戦」なども武道館で行なっているももクロ。彼女たちの初の武道館公演は2012年10月の「女祭り-Girl's Imagination-」。女性アイドルグループとしては画期的な女性客限定の公演だった。
10年代にはONE OK ROCK、サカナクション、
ももいろクローバーZ
などが初の武道館公演を開催。若手ロックバンドだけでなくアイドルグループにとっても「登竜門」になった。さらには14年に結成30周年を迎えた
怒髪天
の初武道館公演が盛況となり、40代以上のベテランバンドによる武道館公演も話題となった。
怒髪天1984年の結成から30年後にあたる2014年に開催された「怒髪天結成30周年記念日本武道館公演 ほんと、どうもね。」。全国各地からファンが集まり、立ち見客が出るほどの大盛況となった。撮影/渡邉一生(SLOT PHOTOGRAPHIC)
そのバトンは15年のフラワーカンパニーズ、17年のTHE COLLECTORS、Theピーズに受け渡され、目覚ましいヒットはなくとも地道にライブハウスで活動を続けてきたバンドたちにとって、武道館は長く愛してきてくれた全国のファンや仲間たちとそのキャリアを祝う「晴れの舞台」となった。
■今なお神聖視される特別なステージ
YOASOBI2019年に結成し、コロナ禍の期間にヒットを連発し、大躍進を遂げたYOASOBI。ふたりが初めての有観客ライブ「NICE TO MEET YOU」を行なったのは2021年12月。場所は武道館だった。客席にはマスク姿の観客も見える。撮影/Kato Shumpei
今では首都圏にアリーナ会場も増え、武道館にはかつてのような「到達点」としての意味合いは薄れている。それでも、21年にコロナ禍を経て初の有観客ライブを行なった
YOASOBI
など、ここ最近でも象徴的なライブは多い。
新しい学校のリーダーズ2021年に世界デビューを果たし、2023年末には紅白歌合戦に出場。彼女たちの初の武道館公演は、今年1月に開催された「青春襲来」。現在も日本にとどまらない活躍を見せている。撮影/usamiryo
撮影/Richard Chiaki
今年には
新しい学校のリーダーズ
がブレイクと海外進出を経ての初武道館公演を開催。そのライブでもそうだったのだが、アリーナ中央にセンターステージを組み、360度ぐるりとお客さんに囲まれる形でのパフォーマンスを行なうことができるのも武道館の特色だ。
そうでない通常のステージセットでも客席との距離は近く、ホールとしての使い勝手もいい。かつては「音が悪い」と言われたこともあったが、00年代に高い指向性で遠くまで音を届けることができるラインアレイスピーカーが普及してからは、音響面も大きく改善した。
今年で60周年。武道館はこの先も「ライブの聖地」としてたくさんの特別な瞬間を生んでいくはずだ。
●柴 那典(しば・とものり)
1976年生まれ、神奈川県出身。音楽やサブカルチャーを中心に幅広く執筆を手がける。単著に『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)、『平成のヒット曲』(新潮新書)など
取材・文/音楽ジャーナリスト柴 那典
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