その女性の洋服からのぞく、褐色の肌と隆起した筋肉が眩しい。歯を見せて豪快に笑う姿から、あけすけな性格がうかがえる。池袋ソープランド『桃李』に在籍する、通称“筋トレソープ嬢”の伊織さんだ。高校時代は最高で77キロあったという体重も、そのボディラインがトレーニング成果を物語っている。
現在もパーソナルトレーニングジムに通う彼女だが、昨年はボディビル大会に初めて出場するなど、精力的な“筋トレ欲”をのぞかせる。だが筋トレと出会う以前の半生は、まさに壮絶。「筋トレに出会って前向きになれた」と語る彼女の、肉体以上に変化した部分とは――。現在の笑顔に至るまでの軌跡を追う。
借金がふくらみ、昼職以外で働くことを迫られる
伊織さんが生まれたのは茨城県。父母と弟と暮らした。高校を卒業すると、「絵を描くのが好きだったから」という理由で都内のデザイン専門学校で学び、卒業後は広告代理店の営業職に就いた。
「広告代理店の営業職は割合長くやりました。ほかにもネイリストなどの仕事も経験しました。ソープ嬢になったのは、30を過ぎてからですね」
だがそれ以前にも、風俗界隈での経験はあった。
「若くて愚かだった20代のころ、クレジットカードでした買い物の借金などが180万くらいになってしまいました(笑)。昼職以外に割の良いアルバイトが必要になって。最初は、チャットレディのような画面越しで男性と応対する仕事をやったのですが、とりたてて容姿が良いわけでも声が可愛いわけでもない私は、あまり稼ぐことができませんでした。ログインしてきた男性が、風のように去っていってしまうんです(笑)。
売れている女の子たちを見てみると、猫耳をつけてみたり、声を可愛く発してみたり、とにかくキャラクターが研究されている。素直に『すごいな』と感じましたね。私は営業職のクセが抜けなくて、ついハキハキ話してしまうから、男性からすれば色気がなかったのでしょう」
「歯が1本もないおじいさん」を接客…
その後、伊織さんは風俗のあらゆる業態を転々とした。だがどれも出稼ぎ程度の感覚。結局、本格的に根を下ろしたのは、池袋の店舗型ヘルスだった。風俗の“洗礼”も受けた。
「好意のない相手と性的なことをする機会って、日常ではあまりないですよね。今でも覚えているのですが、最初のお客さんは、歯が1本もないおじいさんでした。通常ならそうした関係になりようがない相手からむき出しの欲望をぶつけられて、私はガタガタ震えました。でも、すぐに『やるしかない』と奮起しました」
“洗礼”もあれば、与えられたものもある。
「今にして思えば未熟な考え方ですが、当時の私は、『キモい客』と『マシな客』という分類をしていたように思います。指名客のなかに、遊び方がスマートで、無茶な要求をすることもない行儀のいい客がいました。何度か指名してもらううちに惹かれ、数年の交際の末に結婚しました」
夫に風俗の仕事がバレてしまい…
男性との交際が真剣になるタイミングで、店舗型ヘルスを退店。昼職のネイリスト一本に集中することになった。だが問題は出てくる。
「広告代理店の営業職はインセンティブがあったので、若くても頑張り次第で稼ぐことはできました。しかしネイリストは技術職なので、収入がかなり下がりました。結局、私は夫に内緒で風俗に戻ることにしました。
数年間は隠せましたが、それが夫の知るところとなり、結婚生活は終わりました。帰ると机の上にコンドームが置かれていて、『これは何?』と(笑)。正直に話さざるを得ないですよね」
技術の向上と、他の嬢と一味違う「写メ日記」
時間軸が前後するが、夫に内緒で戻った風俗で、伊織さんは打ちひしがれる体験をした。
「年齢的に中途半端で、とても苦労しました。若くはないけれど、堂々と『熟女です』ともいえない年齢です。熟女店に勤務したときは、お客さんから『あなた若いでしょ』とがっかりされることもありました。特別なスキルがあるわけでもなく、武器になるものが何一つない。自分が“地雷嬢”になっていくのを自覚しました。指名本数がゼロの月もざらでしたから」
このままでは戦力外。「風俗の本場といえばソープ」と一念発起し、吉原のお店に転籍した伊織さんは、講習などへの積極的な参加によって、風俗嬢として活路を見出した。
「当時の私はぽっちゃり体型、可愛くもない。若くてきれいで、しかも努力をしている風俗嬢をたくさん見てきました。そのなかに、有名な先生のところでマット講習を受けに行くなどの実践をしている子がいることに気がついたんです。私も、同じように勉強させていただくことになりました」
吉原から池袋に移って感じたギャップ
技術面が格段に上がったことに加え、もう1つの武器が伊織さんを助けた。
「広告業界にいたので、インパクトのある打ち出し方を考えるのが苦手ではないんです。風俗嬢が写真入りで書く『写メ日記』には通常、お客様へのお礼だったり、日常の他愛ないことだったりを書きます。でも私は、これまで印象に残った客について“いじったり”して、なかなか反響がありました。お客様はもちろん、スタッフや同じ店の嬢まで読んでいて、『面白かったです』なんて言われて(笑)」
吉原から現在の池袋へ拠点を移したのは、4年ほど前。当時はギャップに戸惑う場面もあったという。
「吉原は遊び方がこなれている男性が多かったのに対し、池袋は活力があって元気な感じのお客様が多いので、従来通りのやり方が通用しないこともありました。吉原では好評だった写メ日記での“お客様いじり”も、掲示板では『あの女、客を舐めてるのか』『殴りに行く』とかボロクソ書かれていて(笑)。最初は少し怖かったですね」
ジムに通って最初の半年で「16キロくらい落とした」
現在の伊織さんの代名詞である筋トレソープ嬢への道は、どのように拓けたのか。
「これまでホストクラブへ頻繁に通っていたのですが、“推し”が卒業していくタイミングが重なってしまって。打ち込めるものを探していた時期に、ホストの子から紹介してもらったのが、パーソナルトレーニングジムでした。
最初の半年で16キロくらい落としたので、お客様からは賛否両論ありました(笑)。もともとぽっちゃりしていたので、それがよくて通ってくれたお客様もいたでしょうからね。ただ、私自身が、筋肉のある身体に魅了されたんです。トレーナーにも『私もその身体になれますか?』と質問したのを覚えています」
見違えるような体型を手に入れた伊織さんは、筋トレを通してこんな考え方を学んだという。
「単に見栄えが良くなっただけではなく、私は『自分を大切にしていいんだよ』という教えを得たと思っています。人が筋肉をつけ、痩せていく過程には、当然ですが、“体に良いこと”が必要です。栄養バランスのいい食事、ストレスのない環境、十分な睡眠時間。そんなことはみんな分かっているけれど、日常生活において犠牲にしてきていますよね。それは、自分を犠牲にして、命を摩耗させているんだと気付きました」
父はギャンブル中毒で、母はアルコール依存症
自分を大切に――なかなかそうした境地に至れなかった背景には、伊織さんの生育歴も無関係ではないのかもしれない。
「私の父母は、暴力を振るうような人たちではありませんでした。ただ、父はギャンブル中毒で、母はアルコール依存症でした。思い出すのは、小学生のときに私が痴漢に遭ったことを父に報告すると、彼は『そういうのはお母さんに言って』と言いました。子ども心に、『私には何の関心もないのか』と思いました。2人は私が高校生のときに離婚し、私と弟は母に引き取られています。
その後、私が20代のときに父が孤独死をしました。脳の病気でそのまま亡くなり、放置されたのちに発見されたようです。警察から遺体の写真を見せてもらいましたが、腐敗がかなり進んでいました。ずっとその写真のことは触れないようにしてきましたが、最近、弟と2人で話したとき、弟が『お父さん、溶けちゃったね』と呟いたんです。それが切なくて、でもすごくおかしくもあって、あれから時が進んだんだなと感じましたね。
母は父の死後、アルコールによる肝機能障害で亡くなりました。朝に起きてこないところを、同居の弟が発見したようです。彼女も、アルコールが好きで飲んでいたというよりは、ままならない日常のストレスの捌け口として、飲まなければ眠れないから飲んでいたように私には見えました」
自分をすり減らしながら対価を得ているからこそ…
伊織さんは、性風俗業に従事することと自分を大切にすることの関連性について、こんな見方を示す。
「もちろん、風俗をやっている人のすべてが家庭環境に問題があるわけではなく、一般化できないことは大前提です。ただ、風俗業には、自分を傷つけすり減らしながら対価を得る側面があることは否定できません。そのときに大事なのは、仕事で自分を犠牲にしがちだからこそ、もう片方では『自分を大切にしよう』と思えるマインドを形成することではないかと私は考えています。私にとっては、それが筋トレでした。万人がそうでなくてもいいと思います。ただ、生きるためにやっている仕事で自分を壊す方へ傾倒しないでほしい。できるなら人生を楽しい方へ自分で導いてほしい。私も決して器用に生きてきたわけではないけれども、きっかけがあることで変われたので、そんなささやかな願いがあります」
暴力や罵倒を用いなくても、日常において尊厳が蹂躙される場面はある。まして露骨で醜い欲望に対峙する機会が多ければ、自らを無価値と信じ込み、人生に期待しない態度で生きるほうが楽な場合さえあるだろう。
だが自分が変わることで、世界はどんどん色づいていく。灰色だった視界に彩りが戻れば、人生にも意味が宿る。果てしない新陳代謝の先に伊織さんが手繰り寄せた人生は、確かに希望に満ちている。
<取材・文/黒島暁生>
【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki
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