9月24日(火) 7:00
「フランスの教育制度」と聞いて、何を思い浮かべるでしょう?「教育は無料」ということや、夏休みが2カ月間もあることを、ぼんやり連想されるかもしれません。日本のメディアで諸外国の教育が取り上げられる際、モデルとなるのは北欧諸国であることが多く、フランスの教育制度が参考になるとはあまり思えない印象です。とはいえフランスは、変化し続けるイノベーションの国。欧州委員会が公表した「ヨーロッパにおけるイノベーションリーダー国家」の1つでもあります。チャレンジングな国民性は今年夏、パリオリンピックの演出でも存分に発揮されました。そんな人々を育むフランスの教育制度がどんなものなのか、在仏27年、パリで暮らすひとりの生活者としての、筆者の体験を交えつつ解説します。
小学生も飛び級・留年?日本の義務教育には存在しない飛び級と留年。フランスではどちらも、小学校から存在しています。そのメリット・デメリットを考察する前に、「フランスの学校教育システムには共和国の理想が詰まっている」という肝心なところを、まず説明したいと思います。
フランス国民教育・青年省のHPを見ると、「教育制度の主原則」として「教育の自由、無料、中立、非宗教、義務」の5つの柱が掲げられています。さらに「1958年10月4日制定の憲法により、あらゆる段階における無料かつ非宗教の、公立の義務教育実施は、国家の義務である」とも。教育の機会を無料で提供することは、国の義務なのです(まさに義務教育!)。義務教育は3歳から16歳、日本の保育園から中学校までにあたります。
この「国家の義務」の教育を平たく解釈すると、裕福な家庭の子どもも、そうでない家庭の子どもも、移民・難民の子どもも、みんなが等しく国民教育・青年省の指導下にある学校に通い、都会であれ田舎であれ、条件は変わらないということ。経済的、地理的な不公平は、この大前提のもとにはあり得ません。2018年に公表された「貧困防止・撲滅の国家戦略」でも、教育の公平性は最優先事項の1つに挙げられています。
この国家戦略は、OECDの調査結果が明らかにした「フランスの貧困家庭の子どもが平均的所得を取得するまでには6代、約180年が必要」という現実を、一刻も早く解消すべく立ち上げられました。
平等な社会を実現するために重要な、平等な教育。そこではいろいろな環境下にある子どもたちが一つの学校に通い、ミックスされます。この「ミックスされる」ということも、教育には重要であると考えられています。
いろいろな環境の子どもが一つの学校に集まると、どういったことが起こるか?筆者の個人的経験から、「これぞメリットだ」と感じるのは、他人を理解することや助け合いが自然に起こることです。
長女が小学生だった2010年、修学旅行にロンドン日帰りを計画したやる気満々な先生がいました。始発のユーロスターで出発して終電で帰る、という強行プランでしたが、生徒も保護者も大賛成。ただし、子ども1人分のユーロスター乗車料金を捻出できない家庭もあります。そこで、「学校前で手づくりクッキーを販売して費用を集めよう!」というイベントが企画されました。子どもたち自ら家でクッキーを焼いて、スタンドで販売して。収益金の総額が後日、学校を通じて公表されました。
これは保護者たちのイニシアチブで起こった助け合いの動きですが、その一部始終を体験した子どもたちに影響がないわけがありません。事実、夏休み前の学校のお祭り行事に参加した時は、「ママ、ポールはお金がなくて何も買えないんだよ、このチケット(食券・ゲーム券)をあげてもいい?」と長女が駆け寄ってきました。見ると、ポールくんのまわりに友だちが集まって、みんなものすごい勢いで彼にチケットを手渡していたのです。結果、ポールくんは誰よりもクレープをたくさん食べ、ゲームもたっぷり楽しむことができた、ということがありました。
筆者の家庭も裕福ではなく、長女にとっては限りある大切なチケットでしたが、ポールくんにあげることを選んでいました。いろいろな環境の子どもが集まる学校で、体験から学ぶいい実例を見せてもらった出来事です。
こんなふうに、「いろいろな人がいる」ことを理解する場面は、先生がストで休む機会にもあると言えます。なぜ先生は休んだのか?子どもたちは考えます。そして、一人一人に権利があること、そしてそれを尊重すること、たとえ反対意見だとしても相手の話を聞くこと、などを学びます。これは同時に、自分自身も意見を持って、発言して、尊重される権利があると知ることにつながっています。
日本でも義務教育は無料です。しかし残念ながら実際は、経済的、地理的不公平が当たり前になっていることは明らか。都会の裕福な家庭の子どもたちは、小学校、中学校から私立の学校を受験します。その準備のために特別な塾に通うことも、もはや大前提です。日本の文部科学省が2022年に公表した「令和3年度子どもの学習費調査の結果」によると、小学校に子どもを通学させている保護者が1年間に支払った補助学習費(習い事は別)は、公立校通学の場合12万円、私立校通学の場合37.8万円でした。
さて、冒頭の飛び級と留年に戻ります。単刀直入に言うと、フランスの学校教育は経済的・地理的不公平を否定する、だからこそ飛び級と留年がある。
想像してみてください、自分の住む地域の学校に通いながら、優秀な子どもは飛び級してどんどん伸びてゆくことができ、学びに時間がかかる子どもはもう1年同じ学年を繰り返して、自分のペースで学んでゆける環境を。優秀な生徒だけを集めた進学校に通わせなくとも、あるいは特別なサポートのある学校を探して通学させなくとも、地域の学校に通い続けさえすればその子どもにあった教育が提供される、ということ。元フランス文化大臣のフルール・ペルラン氏は、韓国人孤児としてフランス家庭の養子になり、その後飛び級を繰り返して政治家になりました。こういったストーリーは多々あります。
この「地域の学校に通いさえすれば十分」という安心は、子ども本人にとってはもちろんのこと、たとえばシングルマザーにとっても大きな助けになります。筆者自身が当事者なので言及すると、親にとって、自分の経済力が至らないばかりに我が子に満足な教育を与えることができない、という事態ほど、情けなく辛いものはないでしょう。日本のシングルマザーの話を聞くたびに、フランスにいる自分はこの悩みがないだけ幸運だ、と思ったものでした。
では子どもたちの方は、飛び級と留年をどう感じているか?フランスの小中学生に質問したところ、「クラスに1人くらいは飛び級、留年の生徒がいて、特別なことではない」「ちゃんと理解していないことをそのままにして、先に進むことの方が困る」などなどの回答。日本的に「これまで一緒にいた友達と進級できないことは辛い、恥ずかしい」という意見はまったくなく、普通のことなので心配ご無用という雰囲気でした。
少し話がずれますが、軽度の障がいのある子ども2人の母(日本人)で、夫(フランス人)を事故で失った知人がいます。彼女は小さな子どもたちを、異国の地フランスで女手一つで育てることを選びました。決断の理由は、「弱者に手を差し伸べる社会だから」。彼女の子どもたちは父親の死後もずっと、それまでどおり地域の学校に通い続けました。
体育館なし、プールなし。体育の授業はどうなる?さすが自由、友愛、平等の国の学校教育、と言いたいところですが、残念なことにハード面の方は日本に比べ、よく言えば無駄なくミニマム、悪く言えば質素です。
小学校、中学校の校庭には、日本のような広いグランドもなければ体育館もなく、当然プールもありません。体育の授業は、市のグランドや体育館、市営プール等を使用します。そのために生徒たちは、グランドやプールのある場所まで移動しなくてはなりません。移動手段はスクールバスや徒歩、メトロなど。というわけで市営プールは、小中高校の生徒たちが体育で利用する時間帯と、一般市民の利用時間が、時間割りで分けられています。なんと不便!
とはいえメリットがないわけではなく、市営プールは基本的に室内の温水プールですから、オールシーズン利用可能。雨だから今日のプールはなし、ということは起こりません。天候の影響を受けずに1年を通じて使用できるので、そのエリアの小中高校生たちが順番にプールを利用して水泳の授業を行うシフトづくりもシンプルです。この「あるものをみんなで活用する」精神は、既存施設を競技場にしたパリオリンピック・パラリンピックでも見られました。
日本の小中学校は校庭の一角に自前のプールを持っていて、とてもぜいたくなことですが、1年間で2カ月ほどしか使わないプールを建設し、それを管理・維持することは、非常に大きな負担を伴います。
では、学校にプールがない国フランスと、ある国日本では、水泳の能力に差が生じているのでしょうか?2016年、フランス国立公衆保健庁がフランス本土に住む15~75歳に行ったアンケート調査によると、83.7%以上が泳げると回答(50メートル以上泳げる人は69%)しています。また2019年にOECDが行った国別調査の、水泳ができる15歳以上の割合を見ると、日本人はフランス人より少なく約60%。学校にプールがある方が水泳の技術が習得できる、というわけではないことがわかります。
プールは学校に必ず必要な設備とはいえそうにありませんが、反対に、フランスの子どもや若者(時には大人までも!)が、日本のマンガやアニメで見た日本の学校の校庭やグランド、部活などに、「憧れる」「羨ましい」「自分も体験してみたかった」というポジティブな意見を持っていることを、こういった声をきく場面にたびたび遭遇している者として、ぜひ書いておきたいと思います。
ちなみに筆者には子どもが2人おり、彼女らが小学生のころは毎年夏になると日本の公立小学校に体験入学をさせていました。今も、日本の学校の校舎のつくりがとても魅力的だったと話してくれます。例えば、手洗い場が広く、そこで歯磨きができること。フランスの小学校の廊下には、手洗い場はありません。他にも、給食当番があって子どもたちが自主的に動いていること、掃除の時間や家庭科など実生活で役立つ学びがあること、放課後も校庭で自由に遊べること、うさぎ小屋やビオトープ(池)があることなどなど。充実した設備やそこに自由に出入りできる環境は、フランスにはない日本の小学校の「いいところ」です。
日仏どちらの教育にも優れた点がある、と認識したところで、公平なフランスらしいシステムを2つ、ご紹介します。
1つは中学生に義務付けられた職業研修。日本の中学3年生にあたる最終学年に、3~5日間、仕事の現場を体験します。筆者の身近なところでは、レストランのサービス業、ピアノの修繕、ホテルの広報、といった職場で1週間を体験した生徒たちがいます。これは、その後の進路を決めるためというよりは、仕事の現場を見ること、知ることが目的。1984年に初めて試験的に実施され、1990年に一般的になり、2005年から義務となっています。
もう1つは、高校の卒業資格、バカロレア。このディプロマがないと高校を卒業したことにならず、したがって大学進学もないという重要なもの。(2024年のバカロレア合格率は85.5%で、2023年より0.6ポイント上昇。バカロレア不合格の生徒には再試験のチャンスがあるが、それでも不合格だった場合は留年し、同じ高校の3年生にもう1年通学することになります。しかしすでに3年生を留年している生徒は、同じ高校でもう1度留年することはできません。別の高校に転校し、3年生に通学することになります。)
高校卒業前に、フランス全土で一斉に、同日、同時間に実施されます。日本の共通テストのようなもの、とよく表現されますが、「普通バカロレア」のほかに、「技術バカロレア」「職業バカロレア」があります。全国統一の試験であるため、地域ごと、学校ごとに、質の面でのばらつきがありません。「バカロレアを取得した」と言う人は、その人がパリの人でも、海外圏の人でも、同じレベルだということです。高校の学校名が学力を図る目安になっている日本とは、大きく違っています。
これら職業研修制度とバカロレアは、公立・私立共通、全国共通です。なぜなら、指揮を執るのはあくまでも国民教育・青年省だから。この一貫性は不公平をなくすだけでなく、教育レベルの質を保証してもいます。高校に3年間在籍さえすれば高卒と言えるわけではない、という厳しさもあるからです。
2カ月間の夏休みのほかに、10月、年末年始、2月、の3回、2週間の休みがあり、夏休みに至っては1学年度終了後なので宿題なし。休みばかりで塾はないし、ゆるく感じられるフランスの学校事情ですが、ディプロマが全てという点では日本以上に厳しい教育制度と言うことができます。
その中で、いろんな人がいていろんな進路があることを知り、多様性を尊重しながら一人一人が自分自身の意見を持ち、自分の頭で考え行動して生きていく。そういう人間を育成するために、フランスの教育制度はあると痛感します。
フランスの教育制度は、大学にも特徴があります。大学事情については、また改めてお話ししますね。
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