9月24日(火) 11:30
たいへんな怪作。いくつかのエピソードが入り組みながらミステリ調で小説は進むが、結末で正真正銘のSFだとわかる。もしかすると、こんなものはSFではないと怒りだすひとも、少しはいるかもしれない。
イギリスの海沿いの土地でテロ事件が発生。妻と娘とともに暮らす哲学者ティム・チェスタトン=ブラウンの玄関先で、黒いプードルが爆発し、たまたまその家を訪ねていた青年(本人はフリーランスのジャーナリストだと名乗る)マクファーソンが死に、チェスタトン=ブラウンも半身不随になる。この近辺にはさる大使の邸宅と海軍元帥の邸宅があり、そのどちらか、あるいは双方を狙ったテロの可能性があると、警察は睨み、捜査をはじめる。
別なエピソードでは、爆破に使われた黒いプードルの飼い主だった老女デイム・ヴィクトリアの生活が語られる。デイムはテロリストではない。ただ、孫娘のピフィンが怪しげな連中とつきあっていることを、彼女は知っていた。
また別なエピソードでは、憎悪と軽蔑と尊大さと嘲笑が混じった気質の作家バーナード・セント・オーステルの死について語られる。彼はピフィンの父親なのだが、それは小説が少し進んでからでないとわからない。バーナードの家族はほかに、妻アンと息子ジョンである。また彼は、秘書のマージョリーと不倫関係にあった。そのバーナードは仕事場のあるロンドンから自宅の田舎へとむかう列車のなかで、突然死を遂げる。妙な経緯というか人生の機微というか、作家の死後、妻アンと不倫相手マージョリーは恋に落ちて、ふたりでマヨルカ島へ移住。ふたりで美しいダンスを披露する〈ダンシング・レディーズ〉として、ちょっとした評判を得る。
このマヨルカ島に、先のテロ事件で車椅子暮らしになったチェスタトン=ブラウンも、妻のヴェロニカ、娘のエマとともに保養に来ていた。エマは青年イアンと懇意になる。そのイアンは、チェスタトン=ブラウンと哲学的な問答を交わしたあげく、自ら平然と海へと歩みいって、公衆が見ている前で死を遂げる。
......という具合に、エピソードが入り組んだかたちで連鎖し、登場人物と登場人物が結びついていく。その結びつきは多くは偶然によっているのだが、その偶然の先に、じつは別な人間関係を経由してなにかの因果があったとわかる場合もある。
イアンの母親である手相占い師ミス・プレンティスは、息子の遺灰を携えてポーランドへと赴く(イアンの父親がポーランド人という理由)。遺灰の入った小箱をめぐって、ワルシャワの空港税関でトラブルになるが、同じ飛行機に乗りあわせたレディ・クーパーがそのトラブルを預かるかたちで、現地の有力者であるドクター・クシャクに連絡をとる。レディ・クーパーとミス・プレンティスが同じ飛行機だったのは奇遇なのだが、このふたりはイアンが死んだとき、マヨルカ島の同じホテルに泊まっており、そのだいぶ前から旧知の間柄だった。いっぽう、レディ・クーパーとドクター・クシャクのあいだには、(長年連絡をしていなかったのだが)五十年前にさかのぼる友情があった。
クシャクは喜んでレディ・クーパーを迎えいれるが、遺灰の件については一筋縄ではいかない。クシャクは「君はピフィンという娘を知っているか?」と言いはじめたのだ。ここに至って、読者は唐突なタイミングで、チェスタトン=ブラウンを半身不随にしたテロ事件のエピソードを、そして作家バーナード・セント・オーステルの娘ピフィンのことを、思い起こすことになる。しかし、イギリスのことが、なぜ、このポーランドで問題になるのか......?クシャクの説明によって、それまでバラバラだったいくつものピースが嵌まっていくのだが、それ以上に新しい疑問が増殖し、それらの背景をなす複雑な経緯が予感される。
あえて言えば、この『缶詰サーディンの謎』は、トマス・ピンチョンのポストモダン陰謀論小説、あるいはスタニスワフ・レムの形而上学的アンチミステリに近い。しかし、ストーリーが気まぐれに脱線・枝分かれし、饒舌な蘊蓄が無造作に挿入されるあたりは、ピンチョンともレムとも違う、アヴァンギャルドな感覚だ。
これまで触れたプロットとは無関係に、ヴェロニカ(登場人物が交錯しているので、あらためて紹介すると半身不随になったチェスタトン=ブラウンの妻である)が、ここは偽物の地球であって、本物の地球は天文学者にも見つからないように太陽のまわりをまわっていると信じている。また、サーディン缶詰工場の場所を訪ねる正体不明の男についての噂がしばしば出てくる。もともとはテロ事件を捜査するなかでの情報だったのだが、事件との関連は薄そうだ。それよりも不思議なのは、その男の目撃事例が局所的ではなく、遠く離れた国で証言されることだ。まるで、さまよえるユダヤ人の噂のように。
偽物の地球はヴェロニカの妄想であり、サーディン缶詰工場を訪ねる男は都市伝説......そう解釈するのが普通だろう。しかし、まったく思わぬかたちでメインプロットにつながってくる。それ以上は、実際に作品を読んでいただくしかない。腰を抜かすことうけあい。
(牧眞司)