実は実はITやガジェットが好きな武井壮
ひろゆきがゲストとディープ討論する『週刊プレイボーイ』の連載「この件について」。14
回目の対談となる武井壮さんは、芸能界に入ることを目標としていたものの、あえて芸能事務所には所属しなかったといいます。その理由はなんだったのか。そして、百獣の王が憧れる人を聞くと、なんとIT業界のあの人でした!
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ひろゆき(以下、ひろ)
前号では、武井さんがネタ作りのために「腕だけで高尾山を登った」という話がありました(笑)。芸能界デビューを目指していたとはいえ、こういうエピソードが役に立たない可能性もあるじゃないですか。そういう不安はなかったんですか?
武井壮(以下、武井)
不安はあったよ。でも、大事なのはスタートラインにつけるかどうか。つまり番組に呼んでもらえるかどうかということ。テレビ業界の人に気に入ってもらって一度でもチャンスをつかめば、絶対に面白がってくれると思っていたし、自分と同じような個性や経験を持っているタレントさんは芸能界にいないという自信もあった。
ひろ
確かに。武井さんと直接競合するようなタレントさんは今でもいないですもんね。
武井
商品でいえば、武井壮はほかの店には置いていない珍しい商品。だから、一度でも番組スタッフさんに認知してもらえれば、間違いなく「買ってもらえる商品」になると思っていた。
ひろ
ただ、ほかのお店が扱っていないということは、そもそも需要がない可能性もあるわけで......。
武井
もちろん、そういう不安もあった。30代の頃は不安で何度も泣いたことがある。しかも、一緒に競い合ってきた同年代のアスリート仲間たちは、指導者で結果を残したり、大手広告代理店に入ったり、起業して成功したりしていた。かつてのライバルたちに比べると自分はくすぶっている状態だったし、正直、焦りはかなりあったよ。ただ、彼らは仕事はうまくいっているけれど、商品価値は低くなっていると感じていた。
ひろ
商品価値とは?
武井
仕事が忙しくなると、自分を磨く時間が少なくなるでしょ。若くして成功して、お金はたくさん持っているけど、彼らは面白みに欠けていた。実際に五輪に出場して、めちゃめちゃすごかった人も、30代後半になると、自分の生き方と比べて「めちゃくちゃ面白い」という人はいなかった。だから、周りと比べて不安はあったけど、常に前向きな気持ちは持っていた。
ひろ
高く跳ぶために、深くしゃがむような感じですね。
武井
あと、芸能界で売れなくても、アフリカに行ってゴリラと一緒に暮らせばいいとも思ってた。
ひろ
どこまで本気なんだろ(笑)。
武井
けっこう本気。実は人類学者や動物学者と真剣に打ち合わせもしてた(笑)。あとは「日本の芸能界で成功しない=自分の人生が失敗」とは思ってなかった。誰よりも楽しいチャレンジをして、充実した時間を過ごすことのほうが大事だと思ってたから。で、地球上のどこかでチャレンジできる場所があれば、そこがアフリカのゴリラの群れであっても行ってやるという気持ちだった。成功すれば、そこからハリウッドもあると思ってたしね。
ひろ
とはいえ、芸能界でブレイクすることが目標なら、芸能事務所に所属するのが近道じゃないですか。でも、武井さんはそうはしなかった。
武井
あえてね。30歳までスポーツに本気で打ち込んで、その後に芸能界に進出するという計画はもともとあったんだけど、そのタイミングで芸能事務所に所属すると、自分という商品の中身が足りなくなると思ってたんだよね。
ひろ
でもアスリートが活躍する系の番組って割と多いですよ。
武井
そう。その頃は『筋肉番付』(1995年から2002年までTBSで放送)のような番組がはやっていて、多くの人が有名になっていったね。
ひろ
武井さんは日本チャンピオンなわけだし、十種競技でいろんな種目にも精通しているから、ブレイクのチャンスは十分あったんじゃないですか?
武井
でも、特定の競技や身体能力だけでテレビに出るのは不安定な気がしてた。ほかの番組では『筋肉番付』で重宝されるような能力はあまり使わないでしょ。しかも、スポーツ系の番組では、面白いことは基本的に言わない。だから、芸能事務所に入って『筋肉番付』みたいな番組に出たら、活躍の場を狭めると思ったんだよね。
ひろ
スポーツ系の番組以外に横展開はしづらいですよね。
武井
だから、すべての番組に出演できるような能力を身につけようと思った。そのほうが、長い目で見たときに芸能界に居続けられるだろうと。それに芸能事務所に入らなければ、ギャラはすべて自分の懐に入りますから(笑)。
ひろ
だから、芸能事務所にはあえて入らなかったんだ。でも、そうやって自分を磨いている最中に、前回の話にも出てきたように西麻布のバーで牛乳を飲みながら(犬のおやつの)骨をかじっていたわけですよね。「このやり方が本当に合ってるのかな」と心配になりませんでした?
武井
あとバーの前のダッシュもね(笑)。実は西麻布のバーで業界の人と話をする機会があって、そこで芸能事務所に所属することが絶対に必要なわけではないということがわかってたんだよ。
ひろ
とはいえ、芸能事務所に入らず骨をかじる道を選ぶというのは、勇気のいる決断ですよね。
武井
うん。でも、事務所に所属せずに12年たった今でもテレビに出続けているから、その決断は間違ってなかったと思う。
ひろ
ちなみに武井さんは憧れの人とかいるんですか?
武井
意外かもしれないけど、サイバーエージェントの藤田晋社長。実は藤田社長とは同い年なんだよ。それで彼の自伝『渋谷ではたらく社長の告白』(幻冬舎文庫)を本屋で立ち読みして、夢中になりすぎて読み切ってしまった。藤田社長が新卒で入った「インテリジェンス」という会社で、企業内起業する話を読んで「こんな同年代がいるんだ」「日本の従来のルールの中で、爆発的な活動量で周りの人を認めさせるような同い年がいるんだ」と、めちゃめちゃ衝撃を受けた。
ひろ
武井さんがIT業界に興味があったのは意外です。
武井
実はITやガジェットが好きで、高校では地理・歴史研究部に所属していてオタク気質でもあった。大学は工学部に進みたいという思いもあったけど、スポーツも得意だったので進路に悩んだ末にスポーツの道を選んだ。だから、ITには興味はあって、堀江貴文さんやGMOの熊谷正寿さんたちの活躍を見てうらやましく思ってたんだよね。「俺もあっちの世界で、ネット広告とかで起業したら成功できたんじゃないかなー」とか、30代の頃はそんな思いもあったね。
ひろ
つまり、「自分もIT業界にいて、彼らと仲良くしていたかもしれない」と。そんなことを神田の本屋さんで立ち読みしながら考えていたわけですね。
武井
うん(笑)。むしろ学生時代だから。スポーツから引退したときも、ずっとITの世界に行きたいという気持ちと、スターになりたいという気持ちの間で揺れ動いていたね。ただ、芸能界で活躍することを目指していた兄がいて、志半ばで病気で亡くなってしまった。そういった思いもあって、芸能の世界に挑戦しようと決めたんだよね。
ひろ
そうだったんですね。
***
■西村博之(Hiroyuki NISHIMURA)
元『2ちゃんねる』管理人。近著に『生か、死か、お金か』(共著、集英社インターナショナル)など
■武井 壮(So TAKEI)
1973年5月6日生まれ。東京都出身。タレント、元陸上十種競技日本チャンピオン。格闘技、野球、ゴルフなど様々なスポーツの経験を持つ。公式Webサイトは【https://gogotakei.com】、公式Xは【@sosotakei】
構成/加藤純平(ミドルマン)撮影/五十嵐和博ヘア&メイク/奥野誠
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