来年で放送開始45周年を迎える『ウルトラマン80』。8月1日に「ザ☆ウルトラマン&ウルトラマン8045thスペシャルナイト」が開催され、来年3月19日には初のブルーレイBOXが発売されるなど、来たるアニバーサリーイヤーに向けて盛り上がりを見せている。
イベント出演を直前にひかえた矢的猛役の長谷川初範さん、城野エミ/アンドロイド・エミ役の石田えりさん、星涼子/ユリアン王女役の萩原佐代子さんの座談会を実施。久々の再会の喜びや撮影当時の思い出、『80』への想いを語っていただいた。
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◆これで最後?約45年ぶりの集結◆
――長谷川さん、萩原さん、石田さんが揃ってのイベントは、今回が初めてですよね。
長谷川そうですね。萩原さんとは30周年のイベントでご一緒したんですが。
萩原はい。まだ小さかった私の子どもたちと、楽屋で挨拶させていただきました。
長谷川そうだった。本当は石田さんだけでなく、隊員のみんなとも会いたいんだけど、もう辞められている方もいて。
石田しぶとく業界に残っている人だけ集まってるというか(笑)。でも、元気なのはいいことですよね。
――石田さんがウルトラマン関係のイベントに登壇されることも珍しい印象です。
石田苦手なんですよ、イベント(笑)。でも、今回はもしかしたら最後の機会かもしれないと思って、みんなに会いに行こうかなって。
長谷川石田さんとは『80』の撮影が終わってから、一度も会ってなかったんです。以前僕が出演した舞台『双頭の鷲』を観に来てくれたときは行き違いになって。
石田そうそう、あのときは楽屋へ会いに行ったんですけど、結局会えなかったんです。
長谷川あの日は先約があってすぐに帰っていて、翌日に訪ねてきていただいたことを知りました。
石田開演前に行けばよかったな。
長谷川まさか観に来ていらっしゃるとは思ってなくて……。とはいえ、映画とかで活躍は見ていたので、相変わらず元気だなと感じていました。
萩原私は23歳でこの世界を辞めて、3年前から再チャレンジしているんですが、まさか当時の感動をふたたび味わえるなんて……。今回のイベントは多分、私が一番うれしいと思います。長谷川さんは王子様みたいで素敵でしたし、えりさんのことは主演の教育映画を観ていて、『80』に出演する前から好きだったんです。
石田あぁ、ありましたね!
萩原えりさんのグラビアが載っていた『GORO」も当時買っていたんです。
長谷川『GORO」は焼肉屋で石田さんに「これ撮ったの」と言われて見せてもらったけど、鼻血が出そうだった(笑)。
石田うそ(笑)。
長谷川隊員みんなで「お、おぅ……」みたいな(笑)。だって、普段一緒にワーワー、キャーキャー言っていた人の、あんな綺麗な姿を見たらさ。
萩原本当、すごく綺麗でした。
長谷川しかも、ニコニコしながら見せるのよ。「これよ!」って感じで。あれは強烈だった(笑)。
萩原私の隊員バッジは、えりさんのバッジの使い回しだったんです、バッジの裏のピン留めがなくなっていて、輪ゴムが付いていました。
石田ダサい(笑)。すごく昔っぽい。
萩原えりさんはそんなに歳は変わらないんですが、とてもお姉さんな感じで。至近距離でバッジを付けてくださったときは、浮かれた姿を見せるとスタッフさんに怒られてしまうので、我慢するのが大変でした。縄跳びするシーンの撮影のときも、下着のことでアドバイスをくださいました。
石田私、優しかったんですね!過去形になっちゃったけど(笑)。
(C)円谷プロ
◆時代も国も越えた作品に◆
――撮影後に『80』を見返す機会はありましたか?
長谷川DVD化されたときに改めて観ました。当時はビデオデッキを持っていなかったし、放映日も撮影が入っていたので、ほとんど観ていなかったんです。観返すと、みんな若いなりにきちっと芝居していたなと思いましたね。DVDやBlu-rayになって残っても恥ずかしくないレベルのことをやっていたなと。ただ気になったのは、自分の顔がソフトクリームみたいにつるんつるんだったこと(笑)。俳優としてスタートしたときに山﨑努さん、若山富三郎さんとご一緒して、「こんな俳優になろう」と思っていたから、なんでウルトラマンに選ばれたのか自分では不思議だったんです。つるつるな当時の顔を見たときに納得しました(笑)。
石田私はピッタリだと思いましたけどね。
長谷川今見るとね。当時は学校が荒れている時代だったのに、とても健康的でした。実は僕、10代の頃にアメリカで初代『ウルトラマン』のテレビ放送を観ているんですよ。
石田なんかカッコいい。
萩原アメリカでやっていたんですか?
長谷川はい、英語の吹替で。ただ、それが軍隊みたいな喋り方というか、結構大げさな吹替で、子どもたちからブーイングが出ていたんです。だから『80』では、アメリカの人たちにも好かれる、英語に吹き替えられても素敵に見えるキャラクターを演じたいと、ひそかに考えていました。そうしたらある時、萩原さんも一緒にいたと思うんだけど、富士山のスキー場へ行ったときにアメリカの小学生たちがいっぱい来ていて、彼らからすごい人気だったんです。そのときは「やったな!」と思いました。
石田私も何度か観返しましたけど、みんながとても若々しくて、それだけでも素敵だなと感じましたね。
長谷川『80』からすぐ『遠雷』があったでしょ?
石田そうだね。すぐ後くらいかな。
萩原私も30周年のときに出たDVDや、ウルトラチャンネル(※円谷プロの公式YouTubeチャンネル)の配信で観ました。当時は何十年も残るとは夢にも思っていなくて、もし時間が戻ったらメイクだけはちゃんとしたいです(笑)。放送ギリギリのラインで出ていましたから。
長谷川ノーメイクでしたか?
萩原ほとんどノーメイクです。私はドーランを渡されて、自分でそれを塗っていたんですよ。
長谷川メイクやってもらえなかったの?
萩原はい。観返すとドーランが全部潰れちゃっていて、タコみたいでした(笑)。
長谷川メイクよりも、素で勝負できると思っていたんじゃないかな?だって、当時高校生だよ。
石田そのままのほうが綺麗だと思ったのかな、メイクさんは。あまりメイクしないほうが若さを強調できるって。
長谷川そうそう。分厚い化粧をしていたら、それこそ後で笑われてた。
萩原でも、口紅とマスカラはやらせてほしかったです(苦笑)。
――最後に皆さんにとって、『ウルトラマン80』はどのような存在ですか?
萩原私は幼稚園のときからウルトラマンや特撮が大好きで、出演できたことが夢のようでした。3~4年くらい前に、『80』のイベントでブラジルに呼ばれたことがあって。
石田ブラジルに!?
長谷川あるんだよ、そういうの。
萩原たくさんの方がいらっしゃったんですが、何人もの方が涙ながらに「私は『80』を見て盗みをやめました」とか、悪いことをやめたとお話されていたんです。「ありがとう」と言いながら泣いていて。その姿を見たときに、今までいろいろなことがあったけど、『80』は私の人生のギフトだったんだなと心から思いました。
石田すごいね!
長谷川警察官になった、って人に会ったこともありました。矢的先生に憧れて勉強して、アメリカの有名な大学に入った、って学生から連絡が来たこともあってビックリした。
石田私は今になって、ウルトラマンのすごさを改めて感じています。仕事でウルトラマンの話題が出たり、雑誌で特集されたり、45年近く経ってイベントがあったりして。当時はウルトラマンに出ることがこんなにすごいことだなんて、わかっていませんでした。
長谷川多分、僕らは冷めていたんだと思うんだよね。後からウルトラマンをやっている俳優さんは「ウルトラマンやりたかったんです」って人もいるけど、僕たち二人はそうじゃなかった。縁あって寄らせていただいた感じで(笑)。
石田そうかもしれない。
長谷川僕としては、隊員のみんなと戦った記録です。どう芝居をするのか真面目に話したり、現場で現実に押しつぶされたりして。それがこんなに長い間愛されて、後の世代の皆さんに見られているというのは本当に幸運なこと。先ほどもお話した通り、当時の芝居に自信があるし、何世代後で見ても決して引けを取らない、古く感じない作品になっているんじゃないでしょうか。
(C)円谷プロ
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