M-1チャンピオンでありながら、これまで数々のやらかしをしてきた迷える40歳、ウエストランドの河本太が、さまざまな先輩・仲間に人生相談を受けに行く不定期連載「人生相談する側チャンピオン」。
爆笑問題の太田光さん、田中裕二さんを迎えた第2回は、人生相談のはずが前回の流れから漫才の歴史をたどることに...!?(全4回、4日連続更新)
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■そもそも漫才とは?
――前回、「ツービートとウエストランドの漫才スタイルはほぼ同じ」という話がありましたが、井口さんがひとりでボケてツッコむウエストランドのスタイルは、漫才の源流に近い形なんでしょうか?
太田
いや、漫才の源流というともっとカッチリした演芸で、さらにその前の世代なんですよ。エンタツ・アチャコとか中田ダイマル・ラケットとかから近代漫才が始まって、てんやわんや師匠とか、Wけんじとか、(青空)球児・好児とか、我々が子供の頃見てた演芸場に出てる演芸の人っていうのは、作家がいて、きちっと割り振った台本があって、それを覚えて客前に出るものだった。
でも80年代に漫才ブームが起こって、そういうこれまでの流れは関係なくなってしまった。ツービートも紳助・竜介も、B&Bもザ・ぼんちも、のりおよしおも、それまでのセオリーを無視した漫才をやって、言ってしまえばコンビふたりのバランスはすごく悪いんですよ。面白いほうがただただ面白いことを言って、その横に、漫才の形式に見せるために相槌を打つ人がいるっていう。でもバランスは悪いんだけど、我々はそれを見ててすごく新しく感じたんですよね。で、俺らはさらにそういう漫才に影響を受けてやってるから、もっと素人芸なわけですよ。劇場も行ってないし師匠もいないし。
ところがそこに学校っていうのができるわけ。授業で「漫才とはこうやるもんです」って教えるから漫才の定義みたいなものが生まれて、そこでずいぶん意識が変わったんじゃないかっていう気がする。
田中
だって今は日常から違うもんね。「ツッコんでよ」とか「ウケるよね」なんて言葉は皆無だったからね。「ツッコミどころ満載」なんて言わなかったもん。「スベる」とか「サムい」とか、ああいう言葉を一般的に使うようになったもんね。
太田
ああいうのは楽屋ネタだったよね。つまんないことになったなーって思うよ。
河本
じゃあそのことに関係するふたつめの相談なんですけど...。
人生相談②
「ウエストランドの漫才において僕は、これからも井口の横でうなずいていればいいんでしょうか?」(東京都・河本太・40歳)
河本
僕らのスタイルがもしツービートさんたちに近いとなると、これからも井口に対してうなずき続ければいいってことですか?
太田
それじゃダメでしょうね。
一同
(笑)
田中
もし河本が『(オレたち)ひょうきん族』の頃にいたら、うなずきトリオの一員としてすごく人気出たと思うんだよ。
太田
それもほんの一瞬だけどね。B&Bの洋八さんと、紳助・竜介の竜介さんと、ビートきよしさんで、うなずきトリオっていうのがいたんですよ。
田中
河本だったらうなずきトリオの中でも一番になれたと思うよ。だってさ、大瀧詠一さんに曲を作ってもらえたんだよ。すごいじゃない。
太田
コイツはその3人よりもしゃべらないですからね(笑)。
田中
でもさ、3人はポジション的なことでいうと一応ツッコミなんだよ。まあB&Bの洋八さんはツッコミもせず、ただ困ってるみたいな人だけど。でも河本はボケなんだよね。そこが面白い。
――河本さんがネタ作りに挑戦するというのはどうでしょう?
河本
作ったことはありますけど、井口に言わせると漫才として成立してなかったみたいですね。
太田
でもそれもさ、何をもって成立してるかって考え方によってまた違うからね。俺らの時代は、これで漫才が成立しますっていう基準がなかったから。
河本
なるほど。だから成立してないというより単に面白くなかったんでしょうね、たぶん。
太田
そういうことだ。
一同
(笑)
田中
ただ、コイツは生き方だけは誰よりも芸人なんだよ。昔の芸人みたい。
河本
それだけはよく言われます。能力がともなってないんですよね。
――そういう河本さんだからこそ、人に話を聞きに行く連載をやったら面白いんじゃないかと思ったんですよね。
太田
それは誤解だな。そういうこと言う人って必ずいるんですよ。「爆笑問題は田中のほうが面白い。田中のおかげでもってる」とか。いやもう勘弁してよ(笑)。
田中
「実は分かってます」風の人ね。
河本
田中さんと僕を一緒にしないでくださいよ。田中さんはスターですよ。
太田
スターじゃないよ。「ケンミンSHOW」やってるだけの男だよ。
河本
十分すごいじゃないですか!(笑)
太田
コイツは「ケンミンSHOW」のカンペ読んでるだけの男。
田中
あとは全員に話聞くだけね(笑)。
■爆笑問題のネタなんて誰でも考えられる
――僕や河本さんは十代の頃に「ボキャブラ天国」が直撃した世代なんですけど、「ボキャブラ」のネタは田中さんが作ってたんですよね?
田中
そうそう。「『ボキャブラ』に関してはダジャレだからお前が考えろ」って言われてね。
太田
最初は俺が考えてたんだけど、だんだんネタ作りに忙しくなってきてね。だってつまんねえヤツってダジャレうまいじゃん。親父ギャグ言うやつなんてだいたいつまんねえヤツなんだよ。
河本
そうですよね、とは言いづらい...(笑)。でもあれだけのオバケ番組でヒットしたギャグを連発するってすごいことじゃないですか。
太田
だって「ボキャブラ」っていう番組がヒットしたのはダジャレの要素だけじゃないからね。
河本
それもそうか...。
――ネタ作り担当でない河本さんが、田中さんのようにこれからダジャレを作り続けるなんていいんじゃないかと思ったんです。
田中
......いやダメでしょ(笑)。
一同
(笑)
河本
まず出しどころがないし(笑)。
太田
そうなんだよ。河本がダジャレを書いたとして、それをいかに面白く見せるかっていうことこそが漫才師の腕なんですよ。さっきの話もそうなんだけど、河本がネタを書いて面白くなかったとしても、それを面白いように見せるのが芸なの。だから、誰がネタを書いたかなんてたいして重要ではなくて、その瞬間にいかに表現するかのほうが重要なわけなんです。だから、ウエストランドはやってないと思うけど、俺らは早々に作家を入れたのね。
つまりネタを作るのは誰でもいいと思ったわけですよ。爆笑問題のネタなんて誰でも考えられる。そこが重要なんじゃなくて、「ここはもっと強い表現にしよう」とか、「コイツのフリをこうしたほうが面白い」とか、大事なのはそういう表現の微調整のほうなんですよ。それでなんとなく面白いように見せるっていう。
「ボキャブラ」もそうだよな。例えば「ジョニーが来たなら伝えてよ、二次会庄屋だと(二時間待ってたと)」ってネタがあるんですけど、あれなんて誰でも思い付く、もうどうしようもないネタじゃないですか。
田中
いやアレ一番気に入ってんだから!パチンコしてる時に思い付いてさ。
一同
(笑)
太田
あの程度のものなんて誰でも考えられる。でも、それを言う前のシチュエーションをいかにシリアスに演じるかとか、そういう落差で笑いが生まれるんです。
河本
そういう意味では、ウエストランドがM-1で優勝できたっていうのは、自分もそういう演技ができてたからなんですかね。
太田
まあそういう意味では一番ハマったんだろうね。ネタの面白さより何より、あの「コンテスト」っていう場にハマるっていうことが一番重要なんだと思うよ。
爆笑問題からの回答②
「うなずいているだけじゃダメ!ネタは誰が作ってもいいから、それをどうやって面白く見せるか研究すべし!」
***
■河本太(こうもとふとし)
タイタン所属。1984年1月25日生まれ。岡山県津山市出身。2008年に同級生の井口浩之とウエストランドを結成。M-1グランプリ2022チャンピオン。リフォーム会社に勤めていた経験から電気工事、配管工事が得意。趣味は登山、キャンプ。
■爆笑問題(ばくしょうもんだい)
タイタン所属。ともに1965年生まれの太田光、田中裕二が日大芸術学部で知り合い1988年に結成。数多くのテレビ・ラジオ番組のレギュラーや執筆活動を抱えながらも、隔月開催される「タイタンライブ」では新ネタで出演している。
取材・文/酒井優考撮影/山添 太
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