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お笑いコンビ・髭男爵の山田ルイ53世さんは、中学2年生から約6年間、引きこもり生活を送りました。幼いころから優秀で、勉強もスポーツもできたという山田さん。学校に通えなくなった時は、「どうして自分が……」という戸惑いでいっぱいだったと振り返ります。
山田さんの引きこもり生活はどのように始まったのか、当時の様子を語っていただきました。
この記事のポイント
優秀だった自分が……なんでこんなことに!?
気付かぬうちにすり減っていた心……張り詰めていた糸が切れる
やめたくてもやめられない。勉強までの過剰なルーティン
家族と顔を合わせるのを避けるように
引きこもりや不登校は、誰でもなりうるもの
優秀だった自分が……なんでこんなことに!?
「このままでは学校に行かれへん」。
中学2年生の夏休みが終わり、始業式を迎えた朝、山田さんはベッドから出られませんでした。夏休みの宿題に、一切手を付けていなかったのです。
「あの優秀なオレが、宿題を終わらせないままで学校に行くなんて、ありえへん」。そう思うと、体が動かなかったと言います。そのまま1週間がたち、1か月がたっても学校には行けず、長い引きこもり生活が始まりました。
幼いころから勉強もスポーツも得意で、小学校では児童会長を務め、友達に囲まれ女子にもモテる。先生にも親にもほめられる優等生で、近所の大人たちからは「よくできた息子さんでうらやましい」と言われ、「自分のことを神童だと感じていた」という山田さん。自分の意思で私立の名門進学校を中学受験し、見事、合格しました。
中学入学時の山田さん
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中学校に入ってからも、成績は学年で1桁台と優秀で、先生からは「東大に行ける」とまで言われていたそうです。
「自分の中では『神童感』と名付けているんですが、オレはすごい、オレはできると思っていて、自己評価もめちゃくちゃ高かったんです。なんなら、周囲の人間をひそかに見下しているようなところもありました。
だから、学校に行けなくなった時は、『なんでオレが!?』という戸惑いと焦りでいっぱいでしたね。それまでは学校に行くのが嫌だったわけでもないし、友達もいたし、勉強もできたし、まさか自分が引きこもるとは思ってなかったんです」
気付かぬうちにすり減っていた心……張り詰めていた糸が切れる
では、引きこもりのきっかけは何だったのでしょうか?
「自分でも気付かないうちにいろんなものを抱え込んで、ギリギリの状態になっていたのだと思う」と山田さんは振り返ります。
「1学期の最後に、通学中に粗相をしてしまうという事件があったんです。それも引き金の一つだったことは間違いないのですが、張り詰めていた糸が切れたというか、たまっていたいろんなものが一気にあふれ出した感じですね。
不登校や引きこもりって、本当にいろんなケースがあると思うんですけど、僕の場合はいじめなどの外的な要因ではありませんでした。完全に自分の内面の問題なんですが、だからこそというか、当時は自分に何が起こったのか、どうしていいのかがわかりませんでした」
やめたくてもやめられない。勉強までの過剰なルーティン
実は、夏休みの宿題に手を付けられなかったのには、理由がありました。決してやる気がなかったわけではなく、正確には「やろうとしたけれど勉強までたどり着かなかった」のです。
「当時、勉強を始める前のルーティンがあったんです。最初は机を片付ける、部屋を掃除する程度で、中学受験の時はこうしたルーティンをきちんとこなすことがプラスに作用していました」
しかし、そのルーティンはいつしかエスカレートしていきます。教材の角を全部きっちりそろえる、部屋に飾ってあるトロフィーをピカピカに磨く、それが終わったら次は……と、やるべきことが多すぎて「勉強にたどり着く前にヘトヘトになっていた」と言います。
「大人になってから専門家のかたと話す機会があったんですが、それは強迫性障害(強迫神経症)だろうと言われました。当時は、自分でもちょっとおかしいなとは思っていましたが、やめたくてもやめられなくて。特に顕著になったのは引きこもってからですが、ちょうど不登校になる手前のあの夏休みが始まりだった気がします。とにかく、一連の行動をしてからでないと、勉強をやっても意味がないと思っていました」
家族と顔を合わせるのを避けるように
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自分自身が戸惑うと同時に、「我が子が突然引きこもりになって、親も相当戸惑っていた」と山田さん。家庭内はどんどん険悪なムードになり、家族と顔を合わせるのを避けるようになりました。
「優秀で従順な息子が引きこもるなんて想像もしていなかったはずで、親も心の準備ができていなかったんやと思います。かなり干渉されましたね。自分にとっては、自分は水槽の中でじっとしている魚で、水槽をガンガンたたかれて『早く動け、動け』とせかされるような、そんな感覚でした。
親なりに苦しかったんでしょうが、正直、当時はもう放っておいてくれと思っていました。そのため家族を避けているようになり、そうしていると昼夜逆転生活になり、動かないからまたブクブクと太って……。身も心もどんどん『神童だった自分』から乖離(かいり)していきました」
引きこもりや不登校は、誰でもなりうるもの
著書『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス)の刊行をきっかけに、自身の引きこもり経験について人前で話す機会が増えた山田さん。あくまでも「自分に関しては」という枕ことばをつけて話すようにしていると言います。
「引きこもりや不登校は、原因やきっかけも状況も、人それぞれ。自分の場合はこうだったけど、それが他の人にもあてはまるわけじゃありません」
ただ、一つだけ確かに感じていることがあります。それは、「引きこもりや不登校は、人生において誰でもなりうる状況である」ということです。
「学校を休みがちでちょっと心配……というタイプだけじゃなくて、明るく元気でがんばっている子にも、実は内面で抱えているものがあるんじゃないかと思います。
『うちの子は大丈夫』ではなくて、うちの子にもそういうことがあるかもしれないと、ちょっと気にかけてあげてもいいかもしれないですね。特別なことじゃなくても、気持ちを聞いてあげるとか、そういうのでいいんじゃないでしょうか」
少しずつ引きこもり生活が長引くなか、何を思い、どのような生活を送っていたのか。引き続き、山田さんに当時の様子をお聞きします。(続く)
(聞き手/文:笹原風花)