遠藤航がプレーするリヴァプールFCの本拠地「アンフィールド」歓喜と悲劇の130年の時を経て~欧州スタジアムガイド

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遠藤航がプレーするリヴァプールFCの本拠地「アンフィールド」歓喜と悲劇の130年の時を経て~欧州スタジアムガイド

8月21日(水) 6:55

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欧州サッカースタジアムガイド2024-2025

第7回アンフィールド(Anfield)ロンドンのウェンブリー・スタジアム、マンチェスターのオールド・トラッフォード、ミラノのジュゼッペ・メアッツァ、バルセロナのカンプ・ノウ、パリのスタッド・ドゥ・フランス......欧州にはサッカーの名勝負が繰り広げられたスタジアムが数多く存在する。それぞれのスタジアムは単に異なった形状をしているだけでなく、その街の人々が集まり形成された文化が色濃く反映されている。そんなスタジアムの歴史を紐解き、サッカー観戦のネタに、そして海外旅行の際にはぜひ足を運んでもらいたい。連載第7回はアンフィールド(イングランド)。 リヴァプールの本拠地であるアンフィールドphoto by ロイター/アフロ

リヴァプールの本拠地であるアンフィールドphoto by ロイター/アフロ





【リヴァプールの本拠地】現地時間8月16日から、イングランドでサッカープレミアリーグの2024-25シーズンが開幕した。1992年のプレミアリーグ設立当初から参加しているクラブの一つが、かつては日本代表MF南野拓実(ASモナコ)が在籍し、現在は日本代表のMF遠藤航が所属するリヴァプールである。



赤いユニフォームの色からついた愛称「レッズ」でお馴染みのリヴァプール。1892年に創立されたクラブは、UEFAチャンピオンズリーグで過去6度のタイトルを獲得し、優勝杯「ビッグ・イヤー」の永久保持を認められている。プレミアリーグ以前はイングランド1部リーグで最多となる18回の優勝を誇っていたが、プレミアリーグになってからはなかなか優勝できず、2019―20シーズンにプレミアリーグ初制覇を達成し、30年ぶり19度目の戴冠となった。



そのリヴァプールのホームスタジアムが「アンフィールド(Anfield)」である。実はこの場所、もともとは永遠のライバル、エヴァートンのホームスタジアムだったことはよく知られている。

「アンフィールド」という名前は、周辺のエリアを指し、もともとの語源は古英語と中英語を合わせた言葉で「斜面にある野原」という意味だという。エヴァートンは1884年にアンフィールドをホームグラウンドとして使用し始めたが、賃料や土地買収の問題でクラブと所有者の折り合いがつかず、現在も使用している近隣のグディソン・パークへと移っていった。

【伝統の一戦「マージーサイドダービー」】そこでアンフィールドのオーナーは、新しいクラブを創設した。それが現在のリヴァプールだ。ちなみにリヴァプールとエヴァートン両者の対戦は、イングランド北西部のマージーサイド州の西部に河口を持つマージー川にちなんで「マージーサイドダービー」と呼ばれ、1894年から行なわれているイングランドのなかでも屈指の伝統の一戦である(2023-24シーズン終了現在、リヴァプールの99勝68敗77分だ)。



アンフィールドで最も有名なスタンドは、設立当初から存在した熱狂的なゴール裏である「コップ(kop)」と呼ばれるスタンドだろう。1895-96シーズン、2部で2回目の優勝を果たしたリヴァプールは、地元ファンに報いるために、ゴール裏に新たにスタンドを設置し、2万人ほど収容のスタジアムとなった。地元紙の記者が、イギリス軍が南アフリカで苦戦の末に勝利した第2次ボーア戦争(1899~1902年)において、「スピオン・コップ」という丘で、マージーサイド出身の兵士たちが多く亡くなり、その兵士たちを追悼する意味で名づけたという。

「コップ」は1928年には拡張され、3万人収容のスタジアムとなり、当時は世界で最も大きな一層スタンドになった。また、スタンド改修時には屋根も取り付けられ、ファンの反響する声はリヴァプールが「コップに向かって攻めている時は、ボールをゴールに吸い込ませることができる」と言われるようにもなった。

1950年代に6万人ほど収容のスタジアムとなったが、アンフィールドも例外ではなく、安全面が重視され、1994年には座席制となり5万人ほどに減少し、コップは1994年には立見席から1万2,390人収容の座席スタンドへ建て替えられている。



アンフィールドのゲートはふたりの名将の名を冠している。ひとつはアンフィールドロード側にあるシャンクリー門で、1959~73年の15年の在任期間に、リーグ優勝3回、FAカップ優勝2回、UEFAカップ優勝1回を達成したビル・シャンクリーの名を冠している。

シャンクリーはアイデアマンとしても知られ、応援歌としても有名な「You'll Never Walk Alone」は、もともと流行歌だったが、この監督の名言とも言われている。またユニフォームのキットを全身赤にしたのもシャンクリー監督の発案だという。大通りに面したこの門には、シャンクリーの銅像と記念碑も設置されている。

【犠牲者を悼む石碑】もうひとつはコップ側にあるペイズリー門で、こちらはシャンクリーの後を引き継ぎ、1983年までチームを率いたボブ・ペイズリー監督の名がついている。

ペイズリーは1976年にリーグとUEFA杯の2冠を達成。翌年にはリーグ2連覇も達成し、欧州チャンピオンズ・カップとヨーロッパ・スーパー・カップを制した。その後もリーグ戦4回、リーグ・カップ3回、1978年と1981年欧州チャンピオンズ・カップを制した。これらの輝かしい成績のため、ボブ・ペイズリーは「イングランド・フットボール史上最も成功した監督」と評されている。

また、ペイズリーはグラウンドの入口の壁の上に「This is Anfield」のサインを掛けさせた。これは、相手チームをアンフィールドへ入場するアウェーのチームを怖がらせようとする目的だった。だが、しばらくすると、リヴァプールの選手が試合での幸運を祈るために、出入りするたびにサインに触れるようになった。ちなみにこのサインには、アンフィールドのスタジアムツアーに参加すれば、ファンも触ることができる。

このサインは、メインスタンドの改築の際に一時的に撤去され、2016-17シーズンのリヴァプールのホーム開幕戦に先立ち、新しいメインスタンドのトンネルからピッチへの出口に設置された。当時、リヴァプールを率いていたユルゲン・クロップ監督は、チームが少なくとも一つの主要なトロフィーを獲得するまで、選手たちがサインに触れることを禁止し、?2019年のUEFAチャンピオンズリーグ決勝で優勝したあと、選手たちに再び触ることを許可したという。



そしてシャンクリー門の脇には、もう一つ記念碑が設置されている。それが「ヒルズボロ・メモリアル」である。1989年のFAカップの準決勝、リヴァプール対ノッティンガム・フォレスト戦で起きた群集事故「ヒルズボロの悲劇」で亡くなった96名の犠牲者を悼む石碑だ。1997年からリヴァプールでプレーを続けて、500試合以上出場したスティーブン・ジェラードの従兄弟は、この悲劇で亡くなっている。なおエンブレムに見られる両脇の炎も、この悲劇を追悼している。

リヴァプールはかつて、アンフィールドから創設当時のエヴァートンが使用していたスタンリー・パークに移転しようとしたが、結局、断念した。アンフィールド周辺の土地を買い取り、6万人収容のスタジアムに改修することを決めた。今年の2月にはアンフィールドロードスタンドの改修がほぼ終わったという。



今年6月、日本の航空会社のJALグループがリヴァプールとオフィシャルパートナーシップ契約を締結し、クラブの「オフィシャル・エアライン・パートナー」となった。そのため、アンフィールド内に「Japan Airlines Lounge」が設置される予定だという。

昨シーズンは惜しくもプレミアリーグ3位に終わったリヴァプール。2015―16シーズンから指揮をとり、悲願のリーグ優勝も果たしたユルゲン・クロップが退任し、今シーズンからオランダ人のアルネ・スロットが率いている。相手チームが「要塞」と恐れるアンフィールドで、新たな歴史を刻んでいくことができるか。

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