エイズとデルタのメモワール(回顧録)~パームスプリングス(後編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】

パームスプリングスのシンボル的な、マリリン・モンロー像。全長約8メートル。横の街灯やヤシの木と比べ…

エイズとデルタのメモワール(回顧録)~パームスプリングス(後編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】

8月11日(日) 8:00

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パームスプリングスのシンボル的な、マリリン・モンロー像。全長約8メートル。横の街灯やヤシの木と比べれば一目瞭然、めちゃくちゃでかい

パームスプリングスのシンボル的な、マリリン・モンロー像。全長約8メートル。横の街灯やヤシの木と比べれば一目瞭然、めちゃくちゃでかい

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第62話 「日本から世界とたたかう――」。そんな筆者の反骨(?)精神がもっとも発露したのが、2021年夏の、新型コロナウイルス「デルタ株」の研究のときだった。

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■反骨精神の結晶・デルタ株論文G2P-Japan誕生のきっかけのひとつとなる、エイズウイルス研究時代から脈々と続く反骨精神というか、「(日本から)世界とたたかう」という姿勢については前編でも紹介したところである。それがいちばん発露したのは、2021年の夏、新型コロナウイルス「デルタ株」の研究のときだったと個人的には思っている。

私の記憶が正しければ、ホテルにこもって論文執筆に集中する、いわゆる「カンヅメ」(16話)を初めて敢行したのも、この論文をまとめる頃だったと思う。

2021年の春に出現し、インドで流行拡大し、世界中に拡散したデルタ株。当時のニュースでは、今思い返せば現実とは思えないような、インドでの惨状が繰り返し報道されていたように記憶している。

――「デルタ株の正体とは?」それが当時のいちばんの社会的関心事であった。研究成果をプレプリント(査読前論文)で発表すると、それがツイッター(現X)でバズり、世界中から反響があった。また、その情報を元に、テレビからの取材依頼も多数受けることになった。民放のニュース番組の中で、初めて「G2P-Japan」というテロップが踊ったのもこの頃だった。

2021年始めのG2P-Japanの処女作(6話)の頃は、とにかく目の前のことをこなしていくことで精一杯だった。しかし、東京オリンピックを控えたこの頃には、現在のG2P-Japanを形作るコアメンバーも集結しつつあった時期でもあり、まだ手探りではあるけれど、本当の意味での「コンソーシアム」としての取り組みが始まった頃であったように思う。



G2P-Japanの当時のSlackには、実験結果の報告だけではなく、必要な検体の共有の相談や、それをいかに祝日やゴールデンウィークを避けて効率よくスムーズに授受するかなどといった、それぞれが活発かつ能動的に、実務的なやりとりをしていた痕跡が残っている。

東京・目黒の安宿に「カンヅメ」してまとめたデルタ株の論文は、デルタ株のコードネームである「B.1.617.2」にちなんで、6月17日にそのプレプリントを公開した。その後、東京オリンピックの開幕前日である7月22日に、最高峰の学術雑誌のひとつである『ネイチャー』に投稿した。

学術論文の審査の仕組みについてはこの連載コラムでも解説したことがあるが(29話)、学術雑誌に投稿された論文は通常、「レビュアー」と呼ばれる審査員のもとに送られ、査読・審査を受ける。

しかし、最高峰の雑誌である『ネイチャー』などの場合、投稿された論文の大半は、「レビュアー」のもとに送られることすらなく、「審査する価値なし」の判断を受けてすぐに返却される。最高峰の学術雑誌とは、そのくらい敷居が高いのである。



■「攻めていこーぜ!」そんな『ネイチャー』に投稿したデルタ株の論文であるが、無事「レビュアー」へと送られ、査読された。そして、東京オリンピックの閉幕から1週間ほどが経った8月19日、「リバイス(改訂依頼)」を通達するメールを受け取り、武者震いを覚える。こうなればあとは、「レビュアー」に指摘・要求されたことに、ひとつひとつ答えていくだけである。

「リバイス」と呼ばれる修正原稿をまとめていた頃のことは、実はあまりよく覚えていない。「あとひと押しで、あの『ネイチャー』に論文を載せることができるかもしれない」という高揚感と緊張感が入り混じった時間だった。

「ここまできたのに、もしダメだったらどうしよう」と不安に駆られたり、「まあもしダメでも、命まで取られるわけじゃないし」とひとり鼓舞したり。それらをひとりで堂々巡りしていたように思う。

つまり、私や熊本大学のI、宮崎大学のSにとっては、アメリカ・コールドスプリングハーバーの研究集会に毎年のように通い、エイズ研究に従事していた頃から夢に見ていた、「世界とたたかう(53話)」状況となったわけである。

このときのこの感覚は、エイズ研究からG2P-Japanに参入した私たち3人だけではなく、北海道大学のF、東海大学のN、広島大学のIら、当時のG2P-Japanのコアメンバー全員が共有していたと思う。

日本からでも、みんなで力を合わせれば、世界と充分にたたかえる――。

それが質感を伴って掌の中にあり、それをみんなで共有していた。オンラインでのやり取りではあったけれど、それでもみんなの本気の意識はひしひしと伝わってきていたし、それが当時の私の原動力になっていた。



この頃は、斉藤和義の「攻めていこーぜ!」だけをひたすらヘビーローテーションしていた。その理由は、もうひとえにその歌詞にある。それをここで引用できれば良かったのだが、そうすると歌詞全文をここに載せなければならないくらいに当時の私の心情を描出しているので、もし興味があれば、ぜひネットで調べてみてほしい(そして、もしできることなら、この曲を流しながら、今回のコラムを読み返してみてほしい)。

「デルタ株とは?」という一般社会からの期待に応えるために奔走し、SNSを通して世界から注目を浴び、G2P-Japanのみんなで一丸となって取り組んだ10日間だった。

8月30日、すべての改訂を終えた論文を『ネイチャー』に再投稿した。緊張が解けたからなのか、みんなでひとつになってなにかを成し遂げることができたという達成感からなのか。投稿を終えた後、自宅のベランダで、タバコを吸いながらひとり涙したことを覚えている。

投稿した論文はかくして、9月28日、『ネイチャー』にアクセプト(採択)された。G2P-Japanとしてはもちろん、私個人としても初めて『ネイチャー』に発表した論文となった。



■友人たちとの再会エイズウイルスの研究からG2P-Japanを一緒に立ち上げた面々と一緒に、アメリカで開催されたエイズウイルスに関する研究集会に4年ぶりに参加する。カラッと晴れたカリフォルニアの空の下でビールを飲んでいたら、ふとそんな、2年前の夏のことが思い出されたりもした。

パームスプリングスで開催されたその研究集会には、コールドスプリングハーバーの研究集会にも参加していた、懐かしい顔が揃っていた。たとえば、現在はアメリカ・NIH(国立衛生研究所)で研究室を主宰しているアレックス・コンプトン(Alex Compton。ちなみに、13話のトップ画像に映っているのが彼です)。

東海岸と西海岸で雰囲気も違うけれど、アメリカという地で、4年ぶりの面々と交流する。懐かしいエイズウイルス研究の空気を吸って、懐かしい面々といろいろな話をして、少し感傷的な気持ちになったりもした。

もちろん研究集会であるので、エイズウイルスに関する研究発表もひさしぶりに聴いた。演者のスライドと、手元のMacBook Airの画面を交互に見ながら講演を聴く。

しかしここのところ老眼が進んでしまい、薄暗い講堂では、壇上の発表スライドと手元のパソコンの画面を交互に見る際に、どうしてもピントが合わなくなる。老眼鏡を鼻にかけて講演を聴きながら、4年前にはこんなことはなかったなあ......などと、やはりすこし感傷的な気持ちになったりもした。

文・写真/佐藤佳

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