「観光地とは土地の演技である」蟲文庫・田中美穂×『観光地ぶらり』橋本倫史

「観光地とは土地の演技である」蟲文庫・田中美穂×『観光地ぶらり』橋本倫史

8月7日(水) 17:00

提供:

倉敷美観地区にある築100年以上の民家で古本屋・蟲文庫を営む田中美穂さん。『苔とあるく』『亀のひみつ』『星とくらす』等の著書を持ち、橋本倫史さんの『ドライブイン探訪』の文庫解説も執筆され、ふたりの付き合いは長年にわたる。生まれ育った倉敷で21歳からお店の帳場に座り続け、街を道行く人を眺めてきた田中さんが、橋本さんの最新刊『観光地ぶらり』をどのように読んだのか。対談は2024年5月19日、蟲文庫で行われました。

「日本人」って案外、移動を繰り返してきたんじゃないか

田中美穂(以下、田中) (豆を挽きながら)ちょっと、これからコーヒー淹れますね。

橋本倫史(以下、橋本) ありがとうございます。その――机の上に置かれてるのは鉄道地図ですか?

田中 そうなんです。これ、廃線になった路線も全部載ってて、楽しいんですよ。店番しながら、ボーッとこれを見て、あっちに行ったりこっちに行ったり。

橋本 (地図帳を繰りながら)こうやって見ると、北海道はほんと、いたるところで鉄道が走ってたんですねえ。今回の『観光地ぶらり』という本が出る前に、ちょうど青春18きっぷが使える時期だったということもあって、西日本をめぐって各地の書店にお邪魔して、「こんな本が出ます」とご挨拶にまわったんですよ。本のなかで羅臼と登別・洞爺を取材してるから、せっかくだから北海道の書店にも出かけたいなと思って、Googleマップを眺めていたんです。北海道の東半分にも、何か所かに本屋さんがあるから、「羅臼のことを取材した本を出しました」と案内を届けに伺いたいな、と。ただ、現在の路線図だと、「効率的にまわる」みたいなことはどうしても難しくて、いろんな町をめぐるにはレンタカーしかなさそうだったので、諦めたんです。

田中 あの時期はまだ、雪がありますもんね。

橋本 ただでさえ雪道を運転するのは不安なんですけど、北海道で町から町まで走るとなると、距離がかなり膨大になるんですよね。書店がある場所を見ていくと、釧路、中標津、斜里、網走、美幌になるんですけど、夏に移動するのでも大変な距離なのに、雪が積もっているとなると慣れていない人間には向いてないな、と。

田中 少し前に、北海道と香川県を比較した画像を見かけたんですけど、北海道の真ん中あたりに、香川がちょこんとあって(笑)。北海道、すごい広さですもんね。北海道の方も、西日本の人間に詳しい地名を言ってもわからないだろう思って「北海道出身です」とおっしゃるんですけど、ひとくちに北海道といっても色々ですよね。

橋本 そこに道路地図もありますけど、普段からわりと紙の地図を広げることはあるんですか?

田中 好きですね、地図。特に北海道は――倉敷に住んでいる友人や知人に、北海道出身の方が結構多くて――北海道は特によく見てます。以前、この斜向かいに住んでおられたご夫婦は、釧路のご出身だったんです。戦後の大阪で古道具や骨董の仕事である程度儲けて、60過ぎてここに移ってきたと。自分で焼き物をしながら、わりとのんびりしたお店をされていたんですけど、よく釧路の話をされてました。他にも網走の人とか、女満別(めまんべつ)の人とか、札幌の人とか、結構たくさんおられるんですよ。実家の話題が出たり、お土産をいただいたりしたときなんかに、北海道のどのあたりなんだろうって、調べたくなるんです。

橋本 羅臼を取材した回でいうと、喫茶店でたまたま隣になった方に話を聞かせてもらったんです。年配の方だったので、昔の北海道のことをご存知なんじゃないかと思って声をかけたんですけど、その方はもともと択捉で生まれて、まだ赤ん坊だった頃に引き揚げてきたとおっしゃっていて。北海道で話を伺っていると、ちょっと壮大な歴史に――歴史に「壮大」もなにもないと思ってはいるんですけど、それでもやっぱり「壮大」と言いたくなるような歴史に――行き当たるんですよね。それで言うと、マームとジプシーが穂村弘さんとコラボレーションした作品のなかで、穂村さんのご家族のことを描いているんですけど、そこに父方のひいおじいちゃんの話が出てくるんです。あるとき、北見にあるお寺を訪ねてみると、そこに屯田兵を模した小さな人形がいくつも飾られていたそうなんです。それを眺めていたら、曽祖父の名前が書かれた人形があって、その顔は父親によく似ていた――と。

田中 モデルというか、何か実在の資料をもとに作られたんですかね。

橋本 北海道の場合、昔の話を聞かせてもらうと、数代前に開拓の時代に行き当たる。そこからそれぞれいろんな人生を歩まれて、喫茶店でお会いした方のように択捉(えとろふ)から引き揚げてきた方もいれば、全然違う土地にまた移り住んだ方もいらっしゃると思うんですよね。今回の取材を通じて感じたのは、「日本人」って案外、移動を繰り返してきたんじゃないかな、と。

田中 そうですね。うちの親は両方とも兵庫県の山間部で、コンビナートの仕事で倉敷に来て、そのままずうっとこっちにいるんです。私はこのあたりで生まれて、しかも移動しない仕事に就いてしまったんですけど、人の話を聞いているとスケールが大きくて、「へえーっ」と驚きます。北海道の方は特にそうですね。いまは親しい友人も、ひょんなことで岡山に移ってきたのですが、「札幌で生まれ育ったから、四国なんて外国みたいに遠いところだと思っていたけど、岡山から30分ぐらいで渡っていけるんだと知ってびっくりした」と言ってましたね。

身近なものに引き付けて何かを読んでいる

橋本 昨日の晩に、昔の日記をちょっと読み返してみたんです。そうしたら、「こうだ」と思っていた記憶が、微妙に間違っていたことに気づかされて。というのも、2008年の終わりに、倉敷駅前にあったチボリ公園が閉園したじゃないですか。

田中 ああ、そうでしたねえ。

橋本 その年の年末は、ちょっと早めに実家に帰っていたんですけど、夕方のニュース番組で「あと数日で閉園します」と報じられていて。それを見た母親が、「ああ、うちは一度も行ったことがなかったねえ」とつぶやいたんです。その言葉を聞いて、「ああ、そう」で終わらせるのも冷た過ぎる気がして、「ちょっと行ってみる?」と母親に提案して、電車で倉敷まで出かけることになったんですよね。それで、母親が「天満屋」(駅前にあるデパート)に寄りたいっていうから、その時間は別行動することにして、僕はひとりで「蟲文庫」に来たんです。僕の記憶では、それ以前にも「蟲文庫」にお邪魔したことがあったはずだと思っていたんですけど、日記を読み返してみると、そのときが初めてだったんですよね。

田中 じゃあ、なんとなく東京でお会いした時期とほぼおんなじぐらいですかね?

橋本 そうなんです。南池袋の「古書往来座」で開催されていた外市というイベントで、2009年1月のゲストとして「蟲文庫」が出店されてるんですよ。たぶんきっと、その告知を通じて「倉敷・蟲文庫」というのが頭に入っていたから、せっかくだから実際のお店に出かけてみようと思ったんだと思います。

田中 私の中でも、思い込みの記憶が正されました(笑)。でも、人の話とか、全然違うふうにおぼえていることって増えましたね。

橋本 そうですね、多くなりました。それで、2009年以降は実家に帰省するたびに、倉敷で途中下車して、「蟲文庫」に立ち寄るようになって。でも、しっかりお話しするようになったのは、武藤良子(むとう・りょうこ)さんの「曇天画」という展示があってから、ですね。武藤さんから「倉敷で展示やるから」と教えてもらって、武藤さんが滞在している時期に僕もこっちにお邪魔して、この小上がりのようになっている場所で一緒にお酒を飲ませてもらって。

田中 そのあと、『hb paper』(橋本倫史が個人で制作していたリトルマガジン。3号だけ発行)で私を取材していただいて――私は人の顔をじいっと見ることはあまりないし、おぼえるのも苦手なほうなので、なかなか顔が一致しないんです。でも、それ以降はさすがに、来られたらわかるようになりました。

橋本 蟲さんにはその後、僕が作るリトルプレスを扱ってもらったり、最初に『ドライブイン探訪』という本を出したときには帯にコメントを寄せていただいたり、文庫化の際には解説を書いていただいたりして。そんな蟲さんがお読みになって、今回の『観光地ぶらり』はどんなところが印象に残りましたか。

田中 どれもこう、それぞれに印象的だったんですけど、たとえば、一昨日買い取った本のなかに、旧摩耶観光ホテルがでてきたんです。さっきもお話ししたように、私は両親とも兵庫県で、親戚もほとんど兵庫なので、小さい頃から兵庫県に出かけることは多かったんですけど、摩耶観光ホテルのことは全然知らなかったんです。そういうところからも、ほんとに観光として興味を持ちました。

橋本 僕も、ごく短い期間ですけど西宮に住んだことがあるのに、「神戸」と聞いても中華街とか、異人館とか、港町とかってイメージしか持ってなかったんですよね。でも、本に出てくる慈憲一(うつみ・けんいち)さんという方と知り合ったことで、灘に足を運ぶきっかけをもらって、僕がイメージする神戸とは違う神戸というのか、生活に近い場所としての神戸に触れるきっかけが生まれたんですよね。

田中 私の中でも、神戸というとおしゃれな場所みたいなイメージが子どもの頃からありました。去年、西東三鬼の「神戸」と「続神戸」を読んだんですけど、私の父方の祖父母は空襲で焼けてしまうまでは神戸の灘で酒屋をやっていて、父は神戸生まれなんです。あのなかに書かれているのは、ちょうど父が生まれた前後の話で、こんなに混沌としていたのかと驚いたんです。それもあった上で、この『観光地ぶらり』を読んだので、なおさら「へえーっ」と思って――橋本さんの質問に対する返事にはなってないんですけど、どうしても身近なものに引き付けてしまって。私も観光地で生まれ育って、今はそこで店もやっているので、自分との共通項に反応してしまうのは避けられないんですね。別に共感できるものを求めて何かを読んだり見たりしているわけじゃないんですけど、それでもついそういう読み方をしてしまうってことを再確認して。

橋本 いえいえ。

田中 神戸って、ここからだといちばん近い都会なんですよ。日帰りもできるから、10代の後半ぐらいになると、友達とふたりで「神戸行こう」って、青春18きっぷとかでいそいそと出かけていく街なんです。友人に『Olive』の愛読者がいたんですけど、『Olive』は当時、よく神戸特集を組んでいたんです。それで「ここに行きたい」「あそこに行きたい」と言われて、うん、じゃあ一緒に行こう、って。そんな感じですね、最初のイメージは。それと、私はもともと少しゆかりもあるので、余計に親しみのある街だったんですけど、神戸のことは何も知らなかったんです。

わかりやすい名物があると観光客も反応しやすい

橋本 今日は日曜日ではありますけど、連休とかではなく、普通の週末ですよね。でも、今日ここにくるまで美観地区を抜けてきたんですけど、結構観光客で賑わっていて。あちこちの飲食店に行列ができていて、びっくりしました。

田中 そうですねえ。どこの店も、これだけのお客さんを捌ける規模ではやってないんです。どうしてもこう、何人かずつしか入れないので、仕方がないんですよね。連休に道路が混むのと一緒で、どうしようもないと思います。たぶん、そんなことやコロナの流行もあって、テイクアウトのお店がずいぶん増えました。それはそれでよかったなと思うんですけど、ゴミの問題が大変で。最近は、なかなかゴミを捨てられるとこがないじゃないですか。食べ歩きのものから出たゴミを、買ったお店まで返しに行くというのもあんまり現実的じゃないですし。

橋本 どの観光地にも共通する問題ですよね。浅草だと、あまりにもテイクアウトのお店が増えて、別のお店の前を塞ぐようにして立ち食いする観光客が出てきたり、飲み食いしながらお店に入ってくる観光客が増えたりしたことで、食べ歩き禁止の看板を見かけるようになって。今日の倉敷で言うと、うどんの「ふるいち」の近くにあるお寿司屋さんにも、開店前から10人近く並んでいるお客さんがいて。

田中 食堂みたいなお店ですよね。父も母も、あんまり外で食べる機会のない人たちでしたけど、あそこはたまに行っていたみたいで。

橋本 わりとシブい感じのお店だから、ここにも行列ができるんだとびっくりしたんです。そこは入り口のところに「郷土料理 岡山ばらずし」と書かれた幕が出ていて、「せっかく旅行できたんだから、地元の名物料理を食べてみたい」と思うお客さんで行列ができてるんだな、と。

田中 『観光地ぶらり』のなかで、選択肢がいくつもあるよりも、わかりやすい名物があると観光客も反応しやすいってことを書かれてましたよね。あれを読んで、ああ、そうかもなあと思ったんです。

橋本 そういう意味では、僕が最初に「蟲文庫」にお邪魔した2008年と比べて、倉敷の観光地化が進んでるなと思うんですよね。10年くらい前だと、駅から美観地区に入って、ジャズ喫茶の「アヴェニュウ」を過ぎたあたりからはお店も少なくなってきて、あんまり通りを行き交う人もいなくなって、あれ、もう通り過ぎちゃったかなと不安になっているところに、「蟲文庫」の暖簾が見えてくるという感じだったんです。

蟲文庫(むしぶんこ)田中美穂(たなか・みほ)著書:たくさんのふしぎ『コケのすきまぐらし』田中美穂 文/平澤朋子 絵 (福音館書店)『苔とあるく』『亀のひみつ』『星とくらす』(WAVE出版)『わたしの小さな古本屋』(ちくま文庫)『ときめくコケ図鑑』(山と溪谷社)編著『胞子文学名作選』(港の人)

田中 その時代の記憶がある方は、「昔はもうちょっと静かなところでしたよね?」と言われますね。「あれ、まだ人がいる」と。

橋本 僕は「蟲文庫」にお邪魔することを目的として倉敷に来ているから、駅からここまでまっすぐ歩いてくるんですけど、観光客で賑わう美観地区を抜けた先に「蟲文庫」がある、という感覚だったんです。でも、この十数年のあいだに、「蟲文庫」より先のエリアにもお店ができ始めて、「蟲文庫」の前も結構な数の観光客が行き交うようになって、観光地の範囲が拡大していっているのを感じていたんですよね。倉敷に生まれ育った蟲さんにとって、この場所に店舗を移すときって、「観光エリアに移転する」という感覚はあったんですか?

田中 いや、そんなことはなかったです。私はここからすぐ近くにある幼稚園と小学校に通っていて、当時は市立図書館も美観地区のなかにあったので、このあたりは子どもの頃からよく知っていて。特にこの鶴形山(「蟲文庫」のすぐ裏手にある、標高40メートルの山)よりも南側にすごく馴染みがあるんです。最初に店舗を借りていたところは、倉敷駅から西にちょっと歩いた川西町というところの県道沿いで、車通りはあるけど人はそんなに歩いていないところだったんですね。そこに比べると、のんびり歩いている人がきっといるだろうなとは思ってましたけど、当時はかなり外れた場所という感覚でした。こっちのほうが自分も馴染があるし、町も落ち着いてるし、歩いている人ものんびりしているだろう、と。

橋本 じゃあ、ここを店舗として借りると決めた頃だと、蟲さんが小さい頃に見ていた感じとあまり変わらなかった?

田中 そうですね。今はかなりきれいになって、電線も地中化して、ちょっとテーマパークみたいなところもありますけど、当時は古くなって傷みかけてる建物もまだありました。ここは昔の街道なんですが、「以前は桶屋さんだった」とか「下駄屋さんだった」「お米屋さんだった」とかで、先代か先々代までは商店だったけど今は住んでるだけっていうところも多いんですね。でも、古い家だと日々暮して行くには不便な部分も多いので、段々とこう、代が替わったときなどに住居を移されたり、お子さんが進学や就職で県外に出られたままだったりして、もとの家を貸店舗にするというところも増えていると思います。

橋本 観光客向けの商店が増えているように感じるのは、そういうことも影響しているんですね。

<この記事をOHTABOOKSTANDで読む>

Credit:文・写真=橋本倫史
OHTABOOKSTAND

生活 新着ニュース

合わせて読みたい記事

編集部のおすすめ記事

エンタメ アクセスランキング

急上昇ランキング

注目トピックス

Ameba News

注目の芸能人ブログ