8月1日(木) 6:00
夏らしい日差しが降り注ぐ7月21日の午後、日曜日の学習院大学のキャンパス内にある学習院創立百周年記念会館正堂を、愛子さまが訪問されていた。休日にもかかわらず、おしのびで母校に足を運ばれたのは、ご友人とともに学習院OB管弦楽団の演奏会を鑑賞されるためだった。
「楽団は、学習院輔仁会音楽部のOB・OGなどで構成されています。この日の演目は、ワーグナー、ハチャトゥリアンの楽曲のほか、チャイコフスキーの交響曲第6番『悲愴』で、愛子さまは2時間ほど演奏を楽しまれていました。
愛子さまは学習院初等科4年生で管弦楽部に入られて以来、チェロを愛好されています。ビオラを演奏され、同楽団に所属されていた陛下とも、このホールで幾度か共演されたことがあり、当時の思い出もよぎられたのではないでしょうか。演奏会では終始楽しげなご様子であったと聞いています」(皇室担当記者)
音楽は日本赤十字社での仕事とご公務を両立される愛子さまにとっても癒しであり、天皇ご一家の生活を彩ってきた。しかしご即位後の天皇陛下は、公の場でのビオラの演奏を控えられてきた。その背景には、陛下の比類ない“自制”があると、宮内庁関係者は語る。
「陛下は、天皇としての膨大なご公務を第一とし、これまで楽しみとされてきた登山やビオラ演奏を“封印”されているようにお見受けしています。練習のお時間もご即位前ほど取れないこともあってか、先月英国ご訪問時に王立音楽大学を視察された際にも演奏を勧められていましたが、陛下は固辞されているのです。
このようなご覚悟から、学習院OB管弦楽団の活動にも、ご即位後は一定の距離を置かれるようになったのではないでしょうか」
■愛子さまが守られる陛下が紡がれた“絆”
陛下は、母校である学習院の学生や卒業生との“絆”となっている管弦楽団の活動を大切にされてきた。
「しかし陛下はご即位前に、『今後は演奏会には出られなくなるでしょう』と、楽団の関係者にお話しになっていたそうです。
またOB管弦楽団だけではなく、学習院女子大学で歴史学の特別講義をなされたり、陛下は卒業後も学習院の現役の学校関係者や卒業生らと、非常に良好な関係を築かれていました。それだけに、心から安らげる場所が減ってしまい、陛下も寂しさを感じられているのではないでしょうか」(学習院関係者)
壮絶なまでの負担をご自身に課される陛下を支えるべく、愛子さまが立ち上がられたのが、管弦楽団との交流の再開だったのだ。前出の学習院関係者はこう続ける。
「じつは、愛子さまが学習院大学に進学された際、管弦楽団入団についての問い合わせが音楽部側にあったそうなのです。実際には、コロナ禍で愛子さまは通学を控えられたため、残念ながらご希望は叶いませんでした。ただ、陛下から在籍当時の思い出をお聞きになり、ずっと楽団の活動に興味を抱かれていたと聞いています。
今回OB管弦楽団の演奏会にお越しになったことは、陛下が築いてこられた学習院との関係を、愛子さまが受け継がれていくお気持ちが表れているように感じました。家族枠での参加もできるので、楽団側も今後の愛子さまの加入に期待が高まっています」
静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんも、愛子さまが陛下のプライベートでの交流を受け継がれることのメリットがあると話す。
「天皇陛下の代理として、愛子さまが学習院の関係団体との交流を担われることは、従来陛下が担われてきた天皇家の幅広いご活動や人間関係の一端を維持することに寄与します。また伝統的に皇室との深い関係がある学習院との関わりを愛子さまが受け継がれていくことは、伝統の継承という点で、天皇家と国民との精神的な安心感にもつながる一面があると言えます」
休日返上で、重責を日々担われる陛下のお心の負担を軽減するために活動されている愛子さま。さらには、国民から見えないところでも、懸命に奮闘されていた。
7月19日、翌週に控えた後宇多天皇七百年式年祭に向け、陛下と雅子さまが専門家からご進講を受けているが、じつはこの場に愛子さまも同席されていたのだ。
「当初、両陛下がご進講を受けたという動静が伝えられていましたが、愛子さまも同席されていたことが、その後になって明らかになったのです。
愛子さまは式年祭にも参列されており、殿上で祭祀に臨まれる陛下を庭上から見守られています。ご療養中のため十分に祭祀に臨めない雅子さまに代わり、その場に愛子さまがいらっしゃることは、陛下もお心強いかぎりでしょう。
大学卒業後、“単独のご公務が少なすぎるのでは”という一部報道もありました。しかし、愛子さまはメディアの目が届かないところで、陛下や雅子さまが臨まれるお務めを懸命に支えられているのです」(前出・宮内庁関係者)
愛子さまは、休日であっても陛下を支えるという使命に燃え、奮闘されている。そのたゆまぬご献身は、多くの国民の目が届かなくとも光り輝いている。