雅子さま30年来仕えたベテラン女官が勇退…長期ご療養、愛子さまの登校不安も支えた“恩人”

7月17日、天皇陛下と雅子さまは国際会議「第10回太平洋・島サミット」に参加した太平洋各国・地域の首

雅子さま30年来仕えたベテラン女官が勇退…長期ご療養、愛子さまの登校不安も支えた“恩人”

7月24日(水) 6:00

蒸し暑い空気が漂うなかでも、流水の文様があしらわれた淡い緑色の着物に身を包み、皇居・宮殿の玄関で、笑顔の雅子さまは賓客を見送られていた。7月17日、日本で開かれていた国際会議「第10回太平洋・島サミット」に参加した太平洋各国・地域の首脳夫妻を宮殿に招き、宮中茶会を開かれていた天皇陛下と雅子さま。皇室担当記者は、

「茶会は立食形式で、ミクロネシアやフィジー、トンガなど14の国と地域から来日した23人の首脳夫妻と、両陛下は飲み物や軽食を囲みながら和やかに懇談されていました。お見送りにいたるまで心を尽くされる雅子さまのおもてなしに、招かれた各国首脳夫妻も感激して皇居を後にしていました」

英国ご訪問という大任を成し遂げ、雅子さまは着々と、令和の国際親善を加速させようとされている。その陰で、雅子さまが皇室に入られてからほとんどの年月をともにされてきた、“恩人”との別れがあったのだ。

「7月12日付で、女官の岡山いちさんが退職したのです。岡山さんは両陛下のご成婚の翌年にあたる1994年1月に東宮女官に着任し、天皇陛下のご即位後も女官として仕えてきました。2011年1月からは、4年にわたり東宮女官長代理も務めています。何度か東宮女官長の交代がありましたが、岡山さんがいるからこそ、天皇ご一家を支える体制に大きな混乱が生じなかったといえます」(前出・皇室担当記者)

女官の存在が皇室の方々にとってどれほど重要なのか、元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんに聞いた。

「侍従職の女官や東宮女官は、国家公務員試験の合格者でも他省庁からの出向者でもありません。侍従と同じく、公私にわたってお世話をしますが、女官はよりプライベートな領域に関わります。プライベートに深く関わることから信頼関係が重視される職種であり、人脈を駆使して適任者を探し、採用しているようです」

侍従や女官は清掃や洗濯などに携わる職員らを束ね、皇室の方々に随行して国内外の出張や泊まり勤務もする重要な役職だ。岡山さんを古くから知る宮内庁関係者は、次のように語る。

「30年来両陛下にお仕えしているだけあって、行事での所作に精通し、祭祀などで装束を着付ける“お服上げ”にも詳しく、両陛下や職員からも信頼を得ていました。近年は大ベテランとして、ほかの女官を指導・助言する役目を担っていました。

ふっくらとした容貌や体格から“肝っ玉母さん”という雰囲気があります。いっぽうで、温和な語り口や優しい雰囲気がまったく崩れない方です。メディアを警戒して淡々と接する女官も少なくありませんが、岡山さんは分け隔てなく記者の問いかけにも応じ、非常に温厚な人柄で知られてきました。

こうした仕事ぶりや人柄もあって、幼い愛子さまにとっても安心感を与えてくれる存在だったと聞いています」

■実母を介護しながら女官の激務に臨んだ

愛子さまが物心つかれたころから頼りにされていた“ばあや”のような存在だった岡山さん。彼女が、陛下と雅子さまからの絶大な信頼を得るようになったのは、これまで数多くの苦難に直面してきた天皇ご一家に寄り添い続けた30年の日々があるからにほかならない。

「岡山さんは学習院大学卒業後、児童養護施設でのボランティアをはじめ、福祉分野へ深く関わってきたそうです。ご主人と死別された少し後に東宮女官となりましたが、高齢のお母さんを娘さんと介護されながら、宿直もある激務に臨んでいたのです。岡山さんの責任感や献身ぶりに、ご体調を崩されてしまった雅子さまも、お側でのサポートを託すことができたのだと思います」(前出・宮内庁関係者)

雅子さまがご病気のために長期のご療養に入った2004年春。環境を変える「転地療養」のため、雅子さまと愛子さまは軽井沢にある小和田家の別荘に滞在された。陛下と“別居”と報じられ、“離婚危機”とまでささやかれる事態に……。小和田家の知人は、この当時をこう振り返る。

「軽井沢に雅子さまと愛子さまのお荷物や生活用品を持っていくなど、お手伝いをしていたのが岡山さんでした。突然東宮御所から軽井沢に行くことが決まり、周囲は対応に苦慮していたのですが、岡山さんはいつもどおり穏やかな様子だったと聞いています。雅子さまや小和田家のご家族も精神的におつらい状況でしたが、岡山さんには大きな安心感を抱かれていたのではないでしょうか」

愛子さまが学習院初等科2年生だった2010年3月、“登校不安”のために欠席されがちとなっている状況を宮内庁が発表した際にも、岡山さんの活躍があった。愛子さまを守られようと懸命に奔走し、心労も募らせていた雅子さまを、岡山さんはすぐ側で支えていたのだ。

「雅子さまが愛子さまに同伴されて通学されるときも、後ろから荷物を持つ岡山さんをお見かけしています。このころ、雅子さまのプライベートでのお出かけには、ほぼ毎回のように岡山さんが随行していました。

愛子さまが4年生時に山梨県の山中湖での2泊3日の校外学習に参加された際、雅子さまも同行されたのですが、岡山さんは雅子さまにぴったりと付き従い、ともに愛子さまを見守られていたのです」(前出・皇室担当記者)

■ご訪英、ご就職を見届けたように

5年生となったころには愛子さまは登校不安を克服され、その後は学業やスポーツ、芸術にも生き生きと打ち込まれ、健やかに成長されていった。

そして今年4月、日本赤十字社に就職され、愛子さまは社会人となられた。その頼もしいお姿と、英国ご訪問から帰国された両陛下を見届けたかのように、岡山さんは退職することになった。前出の宮内庁関係者は、彼女の心中をこう推し量る。

「侍従や女官には定年はなく、70歳前後に退職する方が多いのですが、岡山さんはずっと仕えていました。ご病気などとは聞いていませんが、77歳というご年齢もあって、“十分に務めを果たせなくなった”と考えられたのでしょう。ただいちばんは、両陛下による英国ご訪問、愛子さまのご就職を見届けた安堵もあったようにお見受けしています」

積年の献身を、陛下と雅子さま、愛子さまも全力で労いたいとお考えだという。

「岡山さんのこれまでの恩義に報いようと、両陛下と愛子さまは慰労される場を設けられたそうです。雅子さまも涙ながらに、これまでの感謝を贈り物とともにお伝えになったと聞いています。

退職する側近の職員には、絵画や工芸品などが贈られる慣例があります。両陛下からのお気持ちが込められた品だからこそ、受け取った職員にとってかけがえのないものとなるのです。

宮内庁を離れてからも、侍従や女官らを折々に御所に招かれるなど、生涯にわたって感謝を伝えていくことが、天皇家に伝わる労われ方になっているそうです。退職後も、岡山さんは天皇ご一家を見守られていくことでしょう」(前出・宮内庁関係者)

苦楽を30年間共にした“肝っ玉ばあや”との涙の宴。しかし、これまでと変わることなく、雅子さまと岡山さんの絆は、永遠にほころぶことはないだろう。

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