「息子を思うと感情がコントロールできなくて」MEGUMI出産後、仕事がゼロになりうつ状態に…たどり着いた子育て論

(撮影:須藤敬一)

「息子を思うと感情がコントロールできなくて」MEGUMI出産後、仕事がゼロになりうつ状態に…たどり着いた子育て論

7月21日(日) 11:00

【前編】「やばい、芸能人生終わった」MEGUMI明石家さんまの「胸大きいな~」に「うるせ~な」と返し…【美容本がベストセラーになるまで】より続く

女優であり、映画プロデューサーであり、ベストセラー美容本の著者。一見華々しい彼女の肩書は、幾度も挫折を味わった末に、手に入れたものだった。

18歳、歌手を夢見て上京するも、芽が出ない日々。「何者かにならなきゃ」と必死につかんだグラビアタレントから、MEGUMI(42)のキャリアは始まった。

「9割失敗で当たり前。考えるよりも行動して、“ダメなら次”と進み続ける」。令和に花咲く女性は、軽やかな発想を武器に、今日も球を投げる──。

■27歳で出産。仕事がなくなり「最近何してるの?」のひと言がつらかった

タレントとして順風満帆だった’08年に結婚、’09年に第1子となる長男を出産する。

「2800gくらいの子で、『やっと会えたね』と。私は人生で一番の大仕事を終えた気持ちでした」母親になった幸せを「味わったことのない達成感でいっぱい」とかみしめた。

産後2週間で雑誌の取材を受けるなど、仕事への意欲は尽きなかったが──。

「その後は、オファーをいただくのが“ママタレ”枠の仕事ばかりになりました。『冷蔵庫の中身を見せてください』とか。やりたいことと現実のギャップが大きくて、ダークサイドに入っちゃって……」ママタレのオファーを断っていると、あらゆるオファーが来なくなってしまう。

「気づけば仕事がぜんぜんなくなっていました。仕事関係、友達、いろんな人から『最近何やってるの?』『ママ業が忙しくて仕事断ってるんだね?』って言われて」メンタルの不調を感じた彼女は、自己啓発本を読み、カウンセラーに相談したりもした。

「子どもが泣いていれば、自分も泣けてくる状態……。病院で診断してもらったら、『産後うつ』と言われたと思います。復帰できなくて、収入も激減しちゃって、この先どうしようって……」

たまに来る仕事をポツポツとこなすという状況のなか、ある映画の出演依頼の声がかかる。白石和彌監督『孤狼の血』(’18年公開)で、役所広司演じる刑事と取調室で背徳行為におよぶ人妻という「体当たり」の役だった。

「数分と短い尺の出番でしたが、撮影は朝から晩まで丸一日でした。役柄の女性の生活感、話し方、特徴、考えられるプロファイリングをすべて書き出し、頭に入れて撮影に向かいました。死ぬ気で、命がけで臨んだんです」

その演技を白石監督から「芝居できるじゃないですか!」とねぎらわれた。続く白石作品『ひとよ』に、今度はなんと主要キャストの一人としてオファーされた。そして同作と『台風家族』での演技が評価され、第62回ブルーリボン賞助演女優賞を受賞するのだ。

「自宅で受賞の電話を受け、涙が出ましたね。グラビア時代を考えれば、演技が認められるなんて、夢にも思わなかったですから」そして、われに返った。「仕事がないってボヤいていても、なにも始まらない。誰も見てくれない。やっぱり自分から動かなきゃダメなんだ。動いて努力していれば、誰かが見ていてくれる。必ず道は開ける」

原点に帰ることで新境地を得たMEGUMIは、’20年のコロナ禍では、その思いを拡大展開した。

「最初の緊急事態宣言のとき、映画界はほとんどの撮影が中断され、多くの俳優が休業状態になってしまいました。私が思ったのは、生き残るためには『待ってちゃいけない』。つまり『自分で作品を作ろう』と」

関係者と1日3回Zoom会議を行い、リモート撮影でインスタ発信するドラマの制作を計画。「ヨーロッパ企画の上田誠さんに相談して脚本・演出をお願いし、ドラマで共演した大東駿介くんに依頼して、ドラマ『クラムジー・ジャーニー』をプロデュースしました。グリーンバック(撮影用の背景)をECサイトで買い、みなさんのご自宅に送って撮影したんです」

そこで会得したのは、コロナはおろか、どんな困難にも負けない、へこたれない女性の生き方。「自分で作品を撮れば役者も仕事がなくなることはない。自分で作れば、仕事はなくならないんです。『考えるより動く』から進化して、つねにいろんな球を投げるようになりました!」声を弾ませて言った。

新しいことにチャレンジすることをMEGUMIは「球を投げる」と表現する。その「球を投げる」一環が、’23年の年間ベストセラー1位を獲得した美容エッセイ『キレイはこれでつくれます』へのアプローチだったのだ。

「出産後に悩んでいた時代、ほうれい線が出たのを、スキンケアで克服しました。その経験をインスタにつづっていたら、あるとき編集者さんから、お声がかかったんです。『美容のお仕事もしたい』と思って投げていた球だったので、余計にうれしかったですね」

六本木でのトークイベント当日。司会に紹介されてMEGUMIが登壇すると、入場パスを得た限定50人が一様に、期待のまなざしで彼女を見つめた。

「こんにちは、MEGUMIです。芸能生活20年以上、母であり、お店(石川県金沢市の飲食店『Cafeたもん』)の経営もこなすなかで、『自分を整えるのは自分しかいない』という答えにたどり着きました」この日の衣装はシルバーのトップスにロングスカート、黒のレザーヒールに、シルバーのブレスレットがアクセントになっている。

「20代のころスキンケアを怠っていて、吹き出物やほうれい線が目立ちました。お肌のハリもなく、厚化粧してバラエティに出ていると、『MEGUMI、ババァ』『終わった』という、ひどいコメントばかりが目に入ったんです。

家に引きこもり、夢や目標もフェードアウトして、27歳の私は、自分らしさを失っていました。……そんなとき、私はシートマスクを朝と晩、欠かさず貼ることで、変わりました」かがやく肌の女優の言葉を、みな、うなずきながら聞いていた。

「スキンケアの積み重ねで確実に肌が変わる。肌が変われば、心が変われるんです」トーク後の「お渡し会」では、ファンは貴重な一瞬を逃すまいと、なにかしら彼女に声かけする。MEGUMIも、「ありがとうございます」「うれしい」と呼応して、必ずひとこと添えていた。ていねいなやり取りを終日繰り返し、結果530人に手渡した。

5月29日には自身がプロデュースするスキンケアブランド「オレリー」の商品が新発売された。「学生、社会人、母になったりと、女性の立ち位置はどんどん変わるのに、周囲は気づいてくれない。だったら自分で手綱を引いて、過渡期をサバイブすることを楽しんでほしい。本やスキンケアで、そのサポートができればと」

■40代を迎え人生の第2フェーズへ。「迷ったら、怖いほうを選びます」

「息子は、私にとって“弱点”っていうか、息子のことを思うと、感情がコントロールできなくなるんです」’23年春、長男が留学。彼女にとって、私生活に大きな変化があった一年だった。

「母は私が高校生になったころから、私になにも言わなくなった。だから私も、息子のことに一切口を出さないようにしようと思っています。でもこのところ、物理的に距離ができて、強烈に、複雑な思いが巡ってきて……

だからもう最近は、息子の面倒を最優先に見られるのも『ここ2、3年』と、覚悟して向き合っています。いまは3カ月に一度くらいの頻度で向こうに行って、どんな暮らしをしているか見て、息子が好きな餃子をつくって……。そこで、切ないけど、子離れしないとダメですね」

そこまで言うと、MEGUMIは居住まいを正して「仕事モード」に戻った気がした。「私も次のシーズンに行きなさいってことだと思うんです」

人生100年時代とは世にいうが、子育てにひと区切りをつけた後のMEGUMIは、どこに向かうのだろう。

「人生の第2フェーズは海外に向かいたい。日本の俳優のクオリティは高いはずですが、海外を本気でマーケットにしている人は少ないんです。海外の映画祭で日本の作品や、俳優が評価されるための球を投げたい」

5月には、カンヌ国際映画祭が行われているフランスで、日本の映画の魅力をアピールするイベント「ジャパン・ナイト」をプロデュースしてきた。そして現在、スペインと日本の合作映画、イギリス在住の日本人監督の撮る映画と、2本のプロデュース作品が進行している。

「本当に、プロデュース業って、大小さまざまな問題が、ひっきりなしに起きるものです。資金集めに始まって、ロケ弁が届かない、演者が病気になった、スタイリストが来なくなった……でも、それを乗り越えた瞬間が好きなんです」

MEGUMIは「そもそも立てた企画のうち、日の目を見るのはほんの1割程度です」と明かして、次のように結んだ。

「だからいまも、いろんな球を投げているんです。選択肢に迷ったときには、私は、怖いほうを選びます。怖いけれど、やっていく途中で筋肉はついていく。それを繰り返し、経験してきましたから」

次なる一球から、目が離せない。

(取材・文:鈴木利宗/ヘアメーク:KIKKU/スタイリング:ミク)

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