北原佐和子語る「認知症専門病院で准看護士」として奮闘中。ケアマネジャー業も兼務《あの80年代アイドルの今》

“花の82年組”デビューだった北原(本人Instagramより)

北原佐和子語る「認知症専門病院で准看護士」として奮闘中。ケアマネジャー業も兼務《あの80年代アイドルの今》

7月13日(土) 16:00

「明菜は何かの話をした時に、『あんまり出過ぎちゃうと飽きられちゃう』というようなことを言っていました。あと、例えば『自分の歌の終わりがフェードアウトで終わるのは、やっぱりなんかちょっと違う』的な感じで言っていたりとか。本当にプロ意識が強いと感じていました」

そう語るのは北原佐和子(60)。中森明菜(59)や小泉今日子(58)らと同期の「花の82年デビュー組」だ。北原は高校卒業からのデビューなので“少し年上”だった。

「当時はプロモーションのため、みんなでバス移動したり、泊まる先は同じホテルだったりしたので、いろいろと話していましたね。あと、レコードは結構交換していました。みんなで新しいのが出ると交換したりしていましたが、明菜は交換しようとすると、『買って』っていう感じで言われたみたいなことは覚えています(笑)。

私の場合は、もともと芸能界に興味があったわけではなくて、大人たちにお膳立てされて、たまたま流れでなってしまったっていう感じでしたけど、明菜なんかは、やっぱりそうじゃなかったなっていう風に思いますよね」
ファッション誌『mcシスター』にモデルとして応募。掲載されたことがきっかけでスカウトされ芸能界デビューしたが――。

「当時、ボーイフレンドがいたんですが、事務所から別れるように言われ、お別れすることにしました。実際今考えると、もっと要領よく生きられたかな…という風に思うんですけどね(苦笑)。妙に正直だったかもしれません」

その後、女優へと転身。さまざまな人気ドラマ、映画に出演する。

「女優として活動するようになると、隙間時間が増えたんですよね。連続ドラマの撮影が入っている間は休みもなかなか取れないのですが、それが終わったとたん、今度は数カ月にわたって仕事がないこともあります。私は、やることがない状態が続くと気持ちが不安定になりやすくて、それがとてもつらかったんです。自分が芸能界、あるいは社会から必要とされてないのかな……なんて考えてしまうのが嫌でした。

日本舞踊や三味線など、女優の仕事に生かせるお稽古事に挑戦したり、乗馬の練習に行ったりもしていました。それでも、心の中にぽっかりと空いた穴のようなものがふさがることがなくて。『何か違う』という思いを抱えていました。

そうして30代を迎え、その先の人生を考えるようになりました。自分がこれまで歩いてきた道を振り返ってみた時に、いくつかの記憶が鮮明に浮かび上がってきたんです。それが、どれも福祉につながることばかりでした。特に印象が強かったのは、小学生くらいから続く思い出です。その頃は、夕方になると駅まで父を迎えに行っていました。父を待つ間、ご高齢だったり、視覚障害があったりする方が、券売機の前で戸惑っているのを見かけることが度々あったのですが、幼い私は勇気を持って声をかけることができませんでした。そんな日はいつも、家に向かう足取りが重かったんです。

大人になり、大雨の日に車を運転していたら、大通りでタクシーを探す四肢まひの男性を見かけたんです。手にもまひがあり、傘を差していたけれどずぶぬれでした。子どもの頃の記憶がよみがえって、『乗ってください』と声をかけました。

その方は手伝いはいらないとおっしゃり、シートや付近の金網につかまりながら、自力で車を乗り降りしていました。発話も不自由でしたが、週に2~3日、電車を乗り継いで仕事に行っていることなどを一生懸命話してくださったんです。ハンディキャップを抱えながら自分の足で立とうとするたくましさに、強く心を動かされました。私は10代でデビューして、大人たちがお膳立てしてくれたところに立って、仕事をしてきたのに、と。

そんな記憶が、10年以上もたってから鮮やかによみがえってきたんです。これは何かのメッセージなんじゃないかと感じました」

■女優業が介護に活きている

北原は05年にホームヘルパー2級(現・介護職員初任者研修)の資格を取り、グループホームなど複数の施設に勤務。17年にはケアマネジャー(介護支援専門員)と、難関資格を取得し、女優業の休みを利用して介護士として働くようになる。その後、准看護師の資格も取得し、現在は東京・三鷹にある認知症専門『のぞみメモリークリニック』で准看護師としても勤務している。介護歴はすでに18年におよぶ。

「自分の足で立ち始めて、自分で介護の道を選択をするようになったら、生きてるという実感を感じたんです。

かつて、私たちが声をかけると『うるせえ』と怒鳴る認知症の男性がいました。時には拳が飛んでくることもあり怖くて、どう関わっていいか分かりませんでした。ある日、みんなで歌を歌っている時に、その男性の好きな『故郷を離るる歌』というドイツ民謡を歌いましょうって、他のスタッフが言い出したんです。それを聞いて私は『?』と思ったわけです。会話も難しい人なのに、歌を歌うなんてと。

ところが歌い出したら、その男性は目に涙をためて、それまで見たこともないような優しい表情をしているんです。仕事でドイツに駐在していた時期があったそうなので、当時のことを懐かしく思い出したんでしょうね。その方のこれまでの人生の歩みに触れたように思えて、何とも言えない喜びがありました」

女優業が介護に活きることも多いという。

「多くの先輩たちに教えていただいたことが、実は介護の仕事でも生きてることはいっぱいあります。以前、演出家の先生に舞台上で『ここは消えてくれる?』って言われたことがありました。当時は意味が全くわからなくて。一晩考えて、舞台に立っていながら、微動だにしない自分を演出してみたんです。そしたら、『消えてるよ。OK』と言われて。

介護の現場では、その利用者さんとトイレに入る必要性がある時があります。排泄に必要なサポートをするわけなんですけど、トイレに他人が入るって恥ずかしくて、なかなか受け入れられることではないですよね。だけど、入らなきゃいけないってなった時にどうしたらいいかなって最初はすごく悩みました。自分だったらとっても嫌だったので。ここで、“あ、そうだ。舞台で演出家に『消えろ』って言われたな”という記憶を活用してみようと思って、トイレの中で気配が“消えた”んですね。そしたら、スムーズにいきました」

介護の職場では「女優・北原佐和子」だと気づかれることはなかったのだろうか。

「施設では『女優』を名乗ってはいないので、気づかれることはほとんどありません。目の前のテレビに私が映っているのを見て、『あれ?』という表情をする人もいますが、一瞬だけですね。『似た人がいるなあ』というくらいの感覚なんじゃないでしょうか。

松平健さんや『水戸黄門』の出演者と一緒に撮った写真をお見せすると、とたんに反応が変わるんですけどね。『へえ~』って驚いて、私の顔と見比べて『全然違う』なんて言われることも(笑)。

元女優の利用者さんがテレビを見ているときに、ちょうど私の出演しているドラマが流れていたので、『あれ、私なんです』って言ってみたことがあるんです。90歳を超えていた方でしたがとても綺麗な方で、引退されてから何十年もたっていたはずなのですが、『セリフ言うときに顔が揺れてるわね』って。痛いところを突かれました。バレたかって、自分ではわかってるんですよ、頭が動いてるって(笑)」

准看護師として勤務するかたわら、新たな試みにもチャレンジしている。

「去年の12月から自分がやりたいと思っていたケアマネジャー業務をグループホームで行っています。また、ボランティアで『命と心の朗読会』を学校中心に開催しています」

芸能活動は事務所に所属せず、個人でおこなっている。SNSのフォロワーへ朝のご挨拶をすると毎回1000近くの“いいね”がつき、コメントが多く寄せられるそう。9月には著書も発売される。

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