生島ヒロシ初のコミュニティFM! 長男・生島勇輝と親子共演「人生はラグビーボールのようなもので、どこへ飛んでいくかわからない」

生島ヒロシ初のコミュニティFM! 長男・生島勇輝と親子共演「人生はラグビーボールのようなもので、どこへ飛んでいくかわからない」

生島ヒロシ初のコミュニティFM! 長男・生島勇輝と親子共演「人生はラグビーボールのようなもので、どこへ飛んでいくかわからない」

7月11日(木) 20:00

提供:
TOKYO FMグループの「ミュージックバード」でスタートした新ラジオ番組「生島企画室presents『カモン!エヴリバディ』」。日本全国のあらゆる分野で活躍する方々に登場していただき「ヒト・モノ・コト」を深掘りしていくインタビュー番組です。

初回となる7月6日(土)の放送では、特別編としてパーソナリティの生島ヒロシと生島勇輝が珍しくも親子で共演。生島家のファミリーヒストリーについて語り合いました。今後、パーソナリティは生島企画室のタレントが交代で務めます。


(左から)生島勇輝、生島ヒロシ



◆初のコミュニティFMの意気込みを語る!

生島ヒロシは1950年生まれ、宮城県気仙沼市出身。1971年に単身渡米し、75年にカリフォルニア州立大学ロングビーチ校ジャーナリズム科を卒業。1976年、TBSにアナウンサー16期生として入社します。情報番組やバラエティ番組を数多く担当し、1989年に独立。株式会社生島企画室を設立します。アナウンサー、タレント、総合司会、ファイナンシャルプランナーなど多岐にわたって活動中です。新たなる挑戦として、コミュニティFMの番組をスタートさせました。

生島:「生島企画室presents『カモン!エヴリバディ』」は、生島企画室が総力をあげてお送りする番組でございます。私もTBS系で26年間、ラジオをずっとやっておりまして、あちらは7,000回にもなろうとしているなかで、コミュニティFMは1回目。今後、新しい卵がどう成長していくのか楽しみです。今回は、スタジオに我が社の長男で、将来に生島企画室を担って輝かしく立てるのか? 勇ましく輝く生島勇輝をゲストに迎えました。

生島(勇):生島ヒロシの長男、生島勇輝です!

生島:(俳優として)今までどういったものに出演しているんですかね?

生島(勇):一番わかりやすいところで言うと、2020年から2021年にかけて「仮面ライダーセイバー」という番組で、仮面ライダーバスターを演じておりました。あとは、天海祐希さん主演の刑事ドラマ「緊急取調室」で居酒屋の店長しんじを演じていたりしましたね。

生島:「緊急取調室」は映画化するんですよね。

生島(勇):またみなさんのところに届けられればいいなと思っております!

生島:この番組は基本的に行き当たりばったり! 人生はラグビーボールのようなもので、どこへ飛んでいくかわからない。だけど、常にネバーギブアップの精神でやってきて、今も生き続けております。番組では私と関係のある人たちや、我が社のイチオシのタレントを(ゲストに)呼んでいきます。どちらに転ぶかわかりませんが、お楽しみに!

◆子どもの頃は野球選手に憧れていた?

親子共演となった初回の放送では、ふたりがそれぞれの幼少期について振り返り、将来の夢を明かす場面がありました。

生島:1950年に生まれて、気仙沼で生まれ育ち、高校まで地元にいましたね。我が家は豊かではなく貧乏でしたけども、父と母、母方の祖母みんなが一生懸命働いていて。父は地元の会社に勤めていて、そこはエンターテインメントというか、映画の仕事をやっていたんですよ。たしか、映画館を5館ぐらい経営していたのかな。いわゆる漁港、港町ですから全国の船が気仙沼にたくさん集まっていましたね。

生島(勇):世界中からね。

生島:気仙沼が絶好調の時代を見ていましたよ。子どもの頃の思い出の1つとして、家の前が大きなカーブになっていて、そこにサンマをたくさん積んだトラックがカーブを曲がるとバタバタとサンマを落としていくわけですよ。

我々は落ちたサンマを拾って、晩御飯にしたわけです。それをあなたがお世話になっている映画監督の堤幸彦さんが面白いということで、「デンマークとさんま十勇士」(2018年/原案・生島ヒロシ)という作品を作ってくれました。

生島(勇):ミュージカルでしたね。

生島:映画監督やクリエイティブの世界の人っていうのは、ちょっとしたことでも着想を得て作品にしてしまうというね。また新たに宮城県を舞台にしたものをやるかもしれません。

そんな子ども時代でしたけども、家には映画しか娯楽がなくて、そこから段々とラジオ、テレビ放映が始まりました。テレビで映し出された長嶋さんとか王さん、力道山などに魅了されて、貧乏ながらに日々面白かったんですよね。

将来は野球選手になると言って、学校から帰ってくると素振り100本。冬場はスポーツ新聞を読んで、プロ野球選手のキャンプイン情報を得て「自分もキャンプインだ!」と、近くの材木工場でウェイトトレーニングなんかをやっていましたね。

生島(勇):へええ! その話は初めて聞いた(笑)。

生島:将来はプロ野球選手になろうと思って、そういうことをやっていたわけ。

生島(勇):けっこう没入するタイプだったわけですね。

生島:長男の勇輝が1984年生まれで、次男の翔が1985年生まれ。中学校に上がるまでの思い出ってどんなのがあるの?

生島(勇):僕らはJリーグが始まった世代で、自分たちが行っていた学校はサッカーが強かったですね。僕らは小学生の頃からサッカー部に入っていて、同じように学校から帰ってくると「キャプテン翼」に憧れて、どこに行くにもサッカーボールを蹴って壁にシュートする時間を過ごしていました。

生島:俺たちの時代は野球とプロレスで、そちらはサッカーという。これは時代が表れますね。

◆有名人の子どもとして生まれて

生島ヒロシはサッカー情報番組「スーパーサッカー」(TBS系)を長年担当し、多くのサッカー選手と交流がありました。人気サッカー番組で活躍する父の姿を見て、子ども時代の生島勇輝は何を思っていたのでしょうか?

生島:やっぱり親父がテレビに出ていたりすると、いろんなことを言われたりした?

生島(勇):そりゃあそうですよ。小学生の頃はちょうど「スーパーサッカー」が始まったときだから、サッカーが強い学校だったということもあって、父は(僕らに)何かしてやりたいという思いからブラジル人サッカー選手を連れてきてくれたんだよね。

生島:あったあった!

生島(勇):学校のサッカー大会のエキシビションで、その人がパフォーマンスみたいなことをしてくれて、サッカー部の先生は「生島(ヒロシ)さん、ありがとうございます!」と言って、僕ら子どもはすごく喜んだんです。

だけど、それが終わった翌日、1個上の先輩に廊下の隅に呼び出されて「お前、調子に乗ってんじゃねぇぞ。親父が有名だからってお前がすごいわけじゃねぇんだからな」と言われていじめられたのを覚えていますね(笑)。

生島:誰だそいつは! とんでもねぇ野郎だな(笑)。

生島(勇):かわいそうなやつだなと思いましたけどね(笑)。

生島:有名人の子どもなりのデメリットもあるわけなんだね。

生島(勇):といっても、圧倒的にメリットのほうが大きいですけどね(笑)。

生島:あの頃、誰かのファンになって日テレまで行ったことがあったよね?

生島(勇):安達祐実さんです(笑)。そういうことは普通の人じゃなかなか経験できないことですから、非常にありがたかったですよ。

<番組概要>
番組名:生島企画室 presents「カモン!エヴリバディ」
放送日時:毎週土曜日 17:30~17:55
パーソナリティ:生島ヒロシ、生島勇輝ほか
番組Webサイト: https://musicbird.jp/cfm/timetable/comeon/
TOKYO FM+

エンタメ 新着ニュース

合わせて読みたい記事

編集部のおすすめ記事

エンタメ アクセスランキング

急上昇ランキング

注目トピックス

Ameba News

注目の芸能人ブログ