みなみかわの“元相方”が語る、芸人からADになった理由「人生の仕切り直し、後悔はない」

元ピーマンズスタンダードの吉田寛さん

みなみかわの“元相方”が語る、芸人からADになった理由「人生の仕切り直し、後悔はない」

6月29日(土) 8:51

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かつて芸能界で売れようと闘っていたが、あることをきっかけに引退し、新天地で新しい花を咲かせようと奮闘する人がいる。今年、所属事務所を離れてフリーランスに転身したピン芸人のみなみかわさんの元相方で、 元ピーマンズスタンダードの吉田寛さん(44歳) は、2019年にコンビ解散と同時に芸人を引退。

テレビ番組の制作会社に転職し、AD・チーフADを経て、現在はAPを務めている。芸人をやめて裏方にまわった理由、番組制6年目を迎えた吉田さんの現在地とは?

39歳でコンビ解散&芸人引退

――2019年、突然のコンビ解散と芸人引退を同時に発表されて、大きな話題となりました。そもそも、コンビを解散することになったきっかけは何だったのでしょうか?

吉田寛(以下、吉田): 実は、発表の1年くらい前からコンビ解消の話は出ていました。直接的なところでいうと、みなみかわに第二子が生まれたことですね。コンビで10年以上やってたんですけど、正直、お互いお笑いだけで食えてなかったので、それぞれ自分のことを考えて稼いだ方がという話になっていました。

最初の相談から1年間は、システマでテレビに出ることもあったので、それをきっかけにいい流れに乗れればと思っていたんですが、そう上手くはいきませんでしたね。

――コンビ解散と同時に吉田さんは芸人引退も発表されました。その理由は?

吉田: 自分がピンでやってるイメージが湧かなかったからです。それに、解散を決めた年に、うちも第一子が生まれました。妻から「芸人をやめてほしい」とは言われませんでしたが、ここで一度仕切り直しをしようと就職を決めました。

ありがたいことに、発表の少し前に引退の挨拶をした、前の制作会社の社長から「うちで働くか?」と聞かれたんで、すぐ飛びつきました(笑)。

お笑いと近しい業界で働きたい

――テレビ制作(AD)への転職に不安はありませんでしたか?

吉田: それまでまともに働いたことがなかったですし、年齢も39でしたし、ADの仕事がどうこうよりも、就職先が見つかるかどうかの不安のほうが大きかったですね。なので、嬉しさが強かったと思います。

それに、今までやめていった芸人たちを振りかえると、ほとんどの人が疎遠になってるんですよね。理由は、やめた側が芸人を続けている人間に遠慮してしまうからです。やめた引け目もあるし、頑張ってるやつらが輝いて見えるし、会っても何をしゃべったらいいんだろうとなるんです。こちらから飲みに誘っても断られることも多くて、僕は芸人をやめても、そうはなりたくないと思ってました。

15年間の芸人人生でできた友人や繋がりをゼロにしたくなかったんです。「お笑いに近い業界で仕事をしていれば会いやすいだろう」という考えもあったんで、まさに渡りに船という感じで飛び込みました。

AD1年目は「毎日100回はやめようと思った」

――仕事内容や働き方へのとまどいはありませんでしたか?

吉田: 「AD=大変」というイメージはあったのですが、当時の僕はそれを少し甘く見ていたところがあるといいますか……。テレビに少しは出させてもらってたんで、ADが大変な仕事というのは知ってましたが、「睡眠時間が減ることに耐えれば大丈夫だろう」ぐらいの軽い気持ちでいました。そしたら、想像をはるかに超える、とんでもない仕事でした(苦笑)。

――どんなところが大変だったんでしょうか?

吉田: 今は働き方改革で改善されたので、あくまでも前の制作会社時代の話ですが、まず平素、睡眠時間が短かったです(苦笑)。普段から寝る時間を削って、リサーチやらなんやらの準備に追われていましたし、土日休みもほぼない状態です。やっとロケが終わったと思ったら、次は編集所に5日間ほぼ寝られないまま泊まり込むというのをいきなり経験しました。

ADを2年半やったんですけど、1年目は「この放送が終わったらやめる」って毎日100回くらい思いながら仕事をしていましたね。

3日間寝ずにレギュラー番組の編集を

――睡眠時間が短いのは大変ですよね。仕事への影響は大丈夫でしたか?

吉田: 今だから話せるんですけど、ひとつ大きなポカをしたことがあります。まだ仕事に慣れていない1年目で、担当のレギュラー番組のほかに特番も持つことになったんです。要領がうまくつかめなくて、3日間ほぼ寝ずに編集所にこもってレギュラー番組の編集をしていました。その翌朝にプレビューといって、仕上げた特番のVTRをプロデューサー陣にチェックしてもらう作業が入っていました。その時に、ADが作ったナレーション原稿というものも渡します。

編集が終わり、朝方ギリギリに特番用の原稿を作ってたら、いつの間にか寝落ちしてたんです。しかも、エンターキーとか押しながら(苦笑)。ディレクターからの電話で目が覚めて、状況を説明したら「こっちで処理するから、今すぐ原稿を送れ」と言われたので、ワケの分からん文字が続いてるめちゃくちゃな状態で送ったんです。

現場にいるADも内容をチェックする時間がなかったらしくて、そのまま印刷してしまって……。あとで、「なんじゃ、あのナレーション原稿は!」って、めちゃくちゃ怒られました。

「ADをやめたら、先輩・後輩に合わせる顔がなくなる」

――睡眠時間が少ないこと以外に苦労したことはありますか?

吉田: パソコンとまわりへの気遣いですかね。僕、パソコンは両手の人差し指で打つところからはじめたんで、ここはめちゃくちゃ苦労しました。

まわりへの気遣いも大変でしたね。芸人は気遣いが苦手な人も多いですし、それが個性になる場合もあります。コンビでいうと、みなみかわのほうが気遣いの人間で、僕はそういうことを気にしないタイプでした。ADになってからは、人の行動をよく見て、先回りできるように意識するようになりました。

反対に、まわりの人たちが苦労しただろうなと思うのが、年齢差から来るコミュニケーションでしょうか。そもそもこの業界は新卒がAD、20代半ばがチーフADという世界なんで、39歳のADというのが、まずありえません。僕は芸人になったのも遅かったですし、まわりに年下の先輩もたくさんいたので、15歳年下のチーフADも先輩と思えたんですが、やっぱり普通の人にとっては、なかなか難しいですよね(苦笑)。

――2年半のAD 、よく持ちましたね……!

吉田: 自分でも不思議です。でも、「制作になる」といって芸人をやめたのに、1年も経たずに制作もやめたら、もう誰とも顔を合わせられないだろうと思っていました。今やめたら、お世話になった先輩や慕ってくれた後輩達と一生会えないだろうなと。電話がかかってきても、取れないだろうなと思ったんです。

あと、入社した時に社長に言われた、「ADでは芸人の経験は活かせないけど、数年後に役職が変わったら絶対に活かせる時が来る」という言葉も効いていたのかもしれません。AD・チーフADを経験して、一通り仕事もできるようになった時に、社長の計らいで「ディレクターかAPかどちらか選べ」と言われました。今はAPをしています。

芸人の経験が活きるAPという仕事

――APの仕事内容を教えてください。

吉田: APという役職は、業界的には最後にできた役職らしいです。アシスタントプロデューサーの略で、ザックリいうと制作現場の全体的なサポート役です。具体的には、コンプラや著作権の確認、進行管理、予算管理、出演者対応、場合によってはタレントの出演交渉もやります。あと、ロケの時の出演者のケアとか。

昔、一緒にライブに出ていた芸人たちが、今ではテレビで活躍しているんで、ロケ現場で会うと「吉田さんか、よかった。気使わんでええし」とか言ってくれるのは嬉しいですね。

――完全に芸人時代の経験が活きていますね。

吉田: あと、シミュレーションでも活きてたかもしれません。本番前にスタッフがタレント役になって、番組の進行を確認する作業をするんですが、僕、この時に台本にめちゃくちゃボケを追加するんです。元々ボケたいタイプなんで、ストレス発散も兼ねて、とにかくシミュレーションではボケまくってましたね(笑)。

シミュレーションでボケるADはほぼいなくて、「やりすぎだ」と言われることもありましたが、反対に「おかげで、このコーナーの方向性が見えました」と感謝されることもありました。ただ、ADがシミュレーションをしている裏で、APはタレントさんの楽屋入りのケアをします。だから、今はシミュレーションに参加できないんですよね。APになって業務が変わって、色々楽しくはなったんですが、それだけは残念です(苦笑)。

<取材・文/安倍川モチ子撮影/川戸健治>

【吉田寛】
1979年生まれ、2013年松竹芸能入社。2005年7月に南川聡史さん(現みなみかわ)とピーマンズスタンダードを結成し、数々のライブやテレビ番組に出演。2019年2月に解散。松竹芸能を退社し、テレビ番組の制作会社に入社。現在は株式会社ディ・コンプレックスでAPとして『坂上&指原のつぶれない店』(TBS系)などを担当

【安倍川モチ子】
東京在住のフリーライター。 お笑い、歴史、グルメ、美容・健康など、専門を作らずに興味の惹かれるまま幅広いジャンルで活動中。X(旧Twitter):@mochico_abekawa

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