フジテレビ系人気ドラマ『古畑任三郎』が放送30周年を迎えるにあたって、ふたたび話題になっている。30周年を記念した再放送が5月24日より始まると、昔からのファンのみならず、自宅で家事や子育て、在宅ワークをしている人たちから支持を集め、新たなファンを獲得しようとしている。
前半は、
通称“小さな古畑任三郎”ことツートン青木さん(64歳)の古畑任三郎についての熱い思いを聞いたが、後半はツートン青木さんがものまね芸人を目指したきっかけや、息子の青木隆治さんについて、脳卒中で倒れた後の闘病生活などを聞いた。
本当は歌手志望だった
――ものまねを始めたきっかけはなんだったのでしょうか?ツートン青木(以下、ツートン):ものまね自体は子どもの頃から好きでやっていたのですが、デビューのきっかけとしては、最初は国鉄で働いていて、辞めた後ダンプカーの運転手をやっていました。本当は歌手志望だったんですが、歌手になれなくて。ダンプカーの運転手をやりながら、ショーパブでものまねカラオケをやっていたら、オーディションのお誘いとかが結構きまして、テレビに出させてもらえるようになった流れですね。
――その時から古畑任三郎のものまねをされていたんですか?ツートン:最初は古畑のものまねではなく、田村さんのものまねをしていたんです。ものまねをしながらカラオケを歌っていると間奏がありますよね。そこの間を持たせるために何かやりたいなと思っていて、合間に田村さんのものまねをしたらウケたんですよ。
ショーパブのお客さんのいるところで、田村さんのマネで「そこに100円が落ちていますよ」と言うと、みんな見るんですけど、その後に「嘘ですよ」と言うと、「なんだよ!」みたいな感じでウケるんです。それで、「ああ、田村正和のものまねってウケるんだ」と認識しました。そこから、ずっと田村さんのものまねばかりやるようになりました。
コージー冨田の勧めで“古畑任三郎”を
――それで田村さんのものまねをするようになったのですね。ツートン:いや、すぐにはやりませんでした。でも、それを見たコージー冨田さんが「ツートン青木は田村正和に声質が似ているから、ちゃんと服を着て古畑任三郎をやったほうがいいよ」とアドバイスをくれたんです。ただ、「ちょっと待ってよ!キャラが全然違うし、2枚目は無理だよ」って言っていました。
でも、試しにものまね番組に出た時に古畑任三郎をやってみたら、ウケて、レギュラーで出させてもらえることになりました。今まで、ものまね番組には単発では出させてもらえるんですが、何か一発キャラとか個性みたいなのがないと……といった状況で、レギュラー出演というのは無理だったんです。
でも、古畑任三郎を始めてからレギュラーをもらえるようになった。しばらくはひたすら古畑任三郎を求められていましたね。当時はやっていたミニモニを踊りながら古畑をやったこともあります(笑)。
家が全焼して一文無しに
――意外と鰻登りの人生だったわけですね。ツートン:そんなことはないです。一度、隣の家から火がうつってしまい、家が全焼したことがあったのですが、そこでほぼ一文なしになりました。どうしようと思ってた時に日テレの「ものまねグランプリ」で美空ひばりさんの真似をしたら優勝したりと、なかなか綱渡りの状況でした。そこから「金スマ」とかに出させてもらえるようになったのですが、そのタイミングで息子の青木隆治がものまね芸人でデビューしたんです。
――息子さんの芸能界デビューは斡旋などしたんですか?ツートン:いえ、してないです。息子がものまねをやるのには反対だったんですよ。小さい頃から歌手を目指してほしくて、なんて言うか自分ができなかった夢を託すというか……。息子は「将来は歌手になる」と卒アルに書いていたんですけどね。結局同じ道に来ちゃいました。
「俺は親父のレパートリーは全てできるよ」
――青木隆治さんはどうやってデビューされたんですか?ツートン:当時仲良くしていた演出の人とか事務所関係の人とかが勝手に出しちゃったんですよ。僕がスタジオ収録の日に歩いていたら、前から息子が歩いてきて、「何しているんだ?」って聞いたら、「これからものまね番組の収録!」と言われて、まさかの返答でビックリみたいな感じですね。
――息子さんにはものまねの極意みたいなのを教えたことはあるんですか?ツートン:ないですね。でも小さな頃からカセットテープで僕の歌を聞いていたみたいで。お風呂場で一緒にものまねをして遊んだりはしていたんですけど。息子が成長してから「俺は親父のレパートリーは全てできるよ」って言われましたね。
脳卒中で倒れて、息子に迷惑かけた
――息子さんにダメ出しみたいなことはしたりするんですか?ツートン:昔はしていたんだけどね…。今は迷惑かけちゃって頭が上がらないですよ。僕は2021年に脳卒中をやっちゃって、家で倒れちゃったんです。なんとか自分で救急車を呼んで助かったのですが、母親の葬式のあとで、その費用とか払う前に倒れちゃったから、息子が立て替えてくれたり、あと俺の入院代も支払ってくれています。葬儀代は百万円、入院代は数百万円なので、かなり迷惑をかけたと思っています。本人は歌とものまねを組み合わせた武道館ライブを成功させたりしているので、親としては何も言うことがないですね(笑)。
――地元にオーナーを務めるお店を出店していましたが、辞めたのは脳卒中の影響ですか?ツートン:そうなんです。地元の神奈川の足柄のほうに店を構えて、自分で料理とか作って出していたんですけど、脳卒中のせいで左半分が言うこと聞かなくて、こりゃダメだと…。
コロナの影響もあり、これはいったん店を閉める時が来たかなと、断腸の思いで閉店させました。そこから約2年間はリハビリの日々です。いまでも左半分が言うことを聞かなくて、去年あたりから本格的にリハビリを始め、徐々にマイクを握れるくらいに握力が戻ってきましたね。
リハビリして「不死鳥のごとく」蘇りたい
――どんなリハビリをされたんですか?ツートン:月水金は筋トレやウォーキングなど普通のリハビリで、火木土はマッサージですね。体は徐々に良くなってきたけど、いまだに手も足もキレイに動かず、早歩きはできないです。ちょっと立っているだけで、腰と足が痛くなってきて、顔の左半分がまだシビれてきます。
口のなかも左半分がシビれていて、歯医者で麻酔を打ったみたいになっています。味覚も半分しかないし、左目も視点がずれて、物が二重に見えるし……専用のメガネを作っていますが、カンペを出された時に文字が読めないんです。かすんじゃって何が書いてあるのか、わかんないんですよね。
――そんなに大変な状況なんですね。リハビリをしつつだと思うのですが、今後の目標などはありますか?ツートン:今は元の自分に戻りたいと言うのもあるのですが、最近はありがたいことに『千鳥のクセがスゴいネタGP』(フジテレビ系)とかにも出させてもらったり、復活はしたりしてきています。でも実は去年1年間必死にリハビリをやってきたのには理由があったんです。7月14日に小田原の三の丸ホール(大ホール)で「不死鳥コンサート」というショーを開催するんです。
僕は毎年、生誕祭としてものまねショーを開いていたのですが、去年の時点では体が動かず開催は無理かなと思っていたんです。でも、後には引けない状態を作ることで、もっとリハビリを頑張れると思いまして、1年前にホール会場を押さえてしまったんです。
出演者はコージー冨田や、いいとも青年隊の岸田健作くんとか、元宝塚歌劇団の瑠衣まきせさんなどで、それ以外にもサプライズゲストを予定しています。この日に合わせてリハビリをしてきたので、この日を境に、美空ひばりさんのように不死鳥のごとくショーの世界へ舞い戻ってやろうと思います。
<取材・文/山崎尚哉撮影/スギゾー>
【ツートン青木】1959年6月27日生まれ、神奈川県出身。歌唱ものまねが中心だが、古畑任三郎に扮する田村正和なども得意としており、レパートリーは幅広い。2021年に脳卒中で倒れ、現在はリハビリをしながら芸能活動を行っている。2024年7月14日に小田原の三の丸ホール(大ホール)で「不死鳥コンサート」を開催予定。
【山崎尚哉】
’92年神奈川県鎌倉市出身。ライター業、イベント企画、映像編集で生計を立てています。レビュー、取材、インタビュー記事などを執筆。Twitter:@yamazaki_naoya
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