日本勢最高は2位青木功&松山英樹の激闘、石川遼が名門で躍動【全米OPプレーバック】

日本勢が輝いた全米オープンを振り返る(撮影:GettyImages)

日本勢最高は2位青木功&松山英樹の激闘、石川遼が名門で躍動【全米OPプレーバック】

6月12日(水) 11:00

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<全米オープン事前情報◇12日◇パインハースト・リゾートNo.2(米ノースカロライナ州)◇7548ヤード・パー70 >

今週はいよいよ海外メジャーの今季第3戦が、米ノースカロライナ州のパインハースト・リゾートNo.2で開催される。今年の「全米オープン」に出場する日本人選手は、松山英樹(12回目)、星野陸也(4回目)、金谷拓実(2回目)、石川遼(8回目)、河本力、清水大成(ともに初出場)の6人となっている。前回大会は、4人が出場し、初出場ながら永野竜太郎がトータル1オーバー・20位タイと奮闘した。日本人選手の最高順位は1980年大会の青木功の単独2位、2017年大会の松山の2位タイとなっている。日本のスターの激闘を振り返る。



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■世界の青木

全米オープンの歴史を語るうえで外せないのは、1980年大会での青木功とジャック・ニクラス(米国)が繰り広げた『バルタスロールの死闘』だ。開催コースはニュージャージー州にあるバルタスロールGC。当時としては長い7076ヤード・パー70を誇った。

青木とニクラスは4日間同組だった。当時のニクラスはベテランの域に達していたが、今で言えばタイガー・ウッズ(米国)のような人気を誇った。米ゴルフ界のスターをひと目見ようと大勢のギャラリーがニクラスの組を追いかけた。

ニクラスは初日~首位を守り、一方の青木は初日~徐々にスコアを伸ばし、3日目を終えて二人が首位に並んだ。運命の最終日、一騎打ちが始まった。フロントナインで、青木は1バーディ・4ボギー、ニクラウスは1バーディ・2ボギーと2打差でバックナインに突入した。

青木がバーディとすれば、ニクラスもバーディを奪った。互いに一歩も譲らず2打差のまま最終ホールのパー5に突入した。青木は、3打目をラフからピン1.5メートルに寄せた。負けじとニクラスもフェアウェイからの同じく3打目を3メートルほどに寄せた。ニクラスが先にバーディパットを決め、優勝が決まった。

優勝を決めたニクラスに大勢のギャラリーがなだれ込んだ。グリーン脇まで押し寄せた熱狂をニクラスが制止する。まだ、青木のバーディパットが残っていたからだ。青木がバーディパットを打てるように、ギャラリーに静かにするようジェスチャーをした。青木もこのバーディパットを決め、まるで優勝をしたかのようにカップに入ったボールを拾い上げ、ギャラリーに向かって投げた。互いにリスペクトしながらの戦いであったからこその光景。敗れながらも満面の笑みを浮かべた『バルタスロールの死闘』が、幕を閉じた。

■日本の怪物

『バルタスロールの死闘』から、37年後の2017年大会に2位タイに入ったのが松山英樹だ。

開催コースはウィスコンシン州にあるエリンヒルズ。06年に開場したばかりの新しいコースで、全米の舞台となるのはこれが初めて。強い風が吹き抜ける立地にリンクス風のコースで、総距離は7800ヤード級。木はなく、フェスキューが生い茂り、フェアウェイ幅は50〜60ヤード。それまでの全米オープンのそれとは思えないほどの広大なコースで行われた。

予選ラウンドから波乱続きだった。決勝ラウンドに進んだ68人中、アンダーパーは42人。これは、メダイナCCで開催された1990年大会の最多47人に次ぐ記録だった。予選カットラインも、その90年大会と同じくトータル1オーバーで、こちらは大会史上最少スコアの数字となった。そんな伸ばしあいの予選ラウンドを終え、当時の世界ランキング上位3人(ダスティン・ジョンソン、ローリー・マキロイ、ジェイソン・デイ)が予選落ちするという、まさかの事態が起こった。

そんな予選ラウンドで松山は、2日目に「65」で回り、首位と2打差のトータル5アンダーで決勝進出。予選2日間を8位タイとし、好位置につけ週末に入る。

決勝ラウンド初日、松山は「71」と1つ伸ばしたが首位と6打差の14位に後退した。だが、このままで終わらないのが松山。最終日は猛チャージが始まる。

迎えた最終日は、出だしのパー5からバーディ発進で流れを作ると8バーディ・2ボギーのラウンド。最終日ベストスコアの「66」をたたき出し、トータル12アンダーでフィニッシュ。優勝に望みをつなぎ後続を待った。その後ブルックス・ケプカ(米国)がトータル16アンダーで伸ばしたことで優勝は逃したが、青木功の持つ日本人最高位に並ぶ2位となり、4日間の激闘を終えた。

■日本の王子

2年連続で日本予選を勝ち上がって出場を決めた石川遼も注目の一人だ。かつてハニカミ王子と呼ばれた石川は、2010年に初めて全米オープンの地を踏んだ。

10年大会の会場はカリフォルニア州のペブルビーチGL。当時まだ18歳の若者に海外メディアも注目した。初日に「70」をマークし首位と1打差の4位タイ発進を決めると、2日目も好調をキープし「71」。首位と2打差のトータル1アンダー・2位タイで予選を通過。日本の王子が、世界中から熱い視線を浴びた。

3日目は「75」で首位と9打差まで引き離されたが、7位タイに踏みとどまった。トップ5も狙える位置で迎えた最終日だったが、さらにスコアを落とす展開に。1バーディ・6ボギー・2ダブルボギーの「80」と大きく崩れ、33位タイではじめての全米オープンに幕を引いた。

最後は崩れたが、初出場ながら堂々たる戦いでインパクトを与えた。翌年大会では30位タイに入り、これが石川の大会最高順位ではあるが、ペブルビーチで見せた10年大会の印象が強い。

石川にとって全米オープンとは「自分のゴルフをアップデートできる機会」と、自身の成長を感じるためのものでもある。昨年大会は予選ラウンドを突破するもトータル14オーバー・63位で終えている。13年ぶりに自己最高順位の更新へ向かう。


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