“アングラ演劇の旗手”の寺山修司、18歳で鮮烈に歌壇デビュー…没後40年の締めくくりに振り返る非凡な軌跡

「三上博史 歌劇 ― 私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない ―」/撮影:引地信彦 写真提供:MMJ

“アングラ演劇の旗手”の寺山修司、18歳で鮮烈に歌壇デビュー…没後40年の締めくくりに振り返る非凡な軌跡

5月31日(金) 18:00

「三上博史 歌劇 ― 私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない ―」
【写真】「三上博史 歌劇 ― 私さえも、私自身がつくり出した一片の物語の主人公にすぎない ―」舞台写真

1983年5月4日、47歳の若さでこの世を去った寺山修司さん。詩人であり歌人、小説家、エッセイスト、作詞家、映画監督、写真家…とさまざまな顔を持ち「職業は寺山修司」と名乗るほど多才で、劇作家としては「演劇実験室◎天井棧敷」を率い、“アングラ演劇の旗手”と称された。そんな寺山さんの没後40年記念事業の締めくくりとして、CS衛星劇場ではこの6月、ゆかりの舞台2作品と手掛けた映画3作品を放送する。没後40年を経ても、これほどまでに人々の心を動かし続ける寺山さん。この機会に、その軌跡を振り返る。

■18歳で歌壇デビュー早くに芽吹いた非凡の才

寺山さんの軌跡を振り返ると、“ことば”にまつわる才能のゆたかさを改めて思い知らされる。

1935年12月10日、青森県に生まれた寺山さん(戸籍上は1936年1月10日生)。9歳の時に青森市大空襲で被災して以降、親戚の家に預けられて少年期を過ごした。中学生の頃から俳句や短歌、詩に打ち込み、念願だった早稲田大学に進学後、すぐに第二回「短歌研究」新人賞を受賞。鮮烈に歌壇デビューした時はまだ18歳だった。

だが、一躍注目の的となった翌年にネフローゼ症候群を患い、22歳の歳まで入退院を繰り返した。その後、彼の才能の良き理解者であった詩人・谷川俊太郎氏のすすめでラジオドラマのシナリオを書き始め、最初に採用された作品が民放祭入賞、二作目で民放祭大賞と、早くからその非凡ぶりを遺憾なく発揮した。

■時代の寵児となった“アングラ演劇”全盛期
「魔術音楽劇青ひげ公の城」


すぐにラジオ・テレビの売れっ子作家になった寺山さん。1967年、アーティスト・横尾忠則らと「演劇実験室◎天井棧敷」を設立した。

“アングラ演劇”と呼ばれる小劇場演劇運動の広がりとともに、劇団は瞬く間に人気を獲得した。当時の劇団の、色使いやデザインが目を引くポスターの数々や、ニッと笑った顔がデザインされた当時の専用劇場「天井桟敷館」の外観からも、アヴァンギャルドな劇団の雰囲気が感じられる。

寺山さん自身も、“アングラ演劇”の旗手として「状況劇場(紅テント)」の唐十郎さんらとともに“アングラ演劇四天王”の一人に数えられ、国内のみならず世界的に注目を集める存在になった。中でも寺山さんと唐さんの2人は当時、若い世代のオピニオンリーダーとして注目され、マスコミの寵児(ちょうじ)に。2人は寺山さんの晩年まで親しく交流を続け、互いを認め合うライバルともいえる間柄だったという。

18歳での歌壇デビュー以降、脚本執筆と劇団活動、エッセイや小説の執筆、ヒット曲の作詞とジャンルを問わず多彩な活躍を見せ、魔術師のように“ことば”を操った寺山さん。絶筆となった「墓場まで何マイル?」には、「私は肝硬変で死ぬだろう。そのことだけは、はっきりしている。だが、だからと言って墓は建てて欲しくない。私の墓は、私のことばであれば、充分。」という文章が遺されている。

「草迷宮」

■寺山修司の映画と舞台を放送

CS衛星劇場では「寺山修司没後40年記念特集」と題して、寺山修司作の舞台や、寺山修司が監督・脚本を務めた映画を放送する。

6月29日(土)夜6:00からは、没後40年記念公演「三上博史歌劇-私さえも、私自身がつくり出した一辺の物語の主人公にすぎない-」(今年1月上演)のステージをテレビ初放送。「演劇実験室◎天井棧敷」の後継劇団、「演劇実験室◎万有引力」が手掛け、寺山作品の膨大なテキストからその心髄を紐解いた、他に類を見ないステージ作品。三上博史の魅力あふれる肉声に加えて、一流ミュージシャンたちの生演奏による素晴らしい楽曲や詩の数々。さらに、歌や詩の朗読のほか演劇シーンもふんだんに盛り込み、伝説的舞台「レミング-壁抜け男-」の影山影子役をはじめ、三上が早替わりで演じ分ける寺山作品の多種多様な登場人物にも注目だ。

6月22日(土)夕方5:00からは、三上が16年ぶりに舞台出演したことでも話題を呼んだ2003年の舞台「魔術音楽劇青ひげ公の城」のステージを放送する。中世フランスの青ひげ公の城に、迷い込んだ女優志願の少女。次々と現れる青ひげの妻と称する女優たち。幻想と現実の交錯する舞台裏で、次々に起こるオペラの殺人。アヴァンギャルドのカリスマ・寺山修司による傑作戯曲だ。

映画も3作品がラインナップ。

6月2日(日)夕方4:15からは、15歳の三上の鮮烈デビュー作、映画「草迷宮」を放送する。死んだ母親が口ずさんでいた手鞠歌の歌詞を求めて旅する青年・あきら。小学校、寺、遊郭などで歌詞を訪ね歩くが、誰もその内容を知らない。彼の姿はいつしか生きていた母と暮らす15歳の自分と重なっていく。泉鏡花作品を原作にした、現実とも空想ともつかないイメージが繰り広げられる幻想シーンが圧巻の映像作品だ。

6月2日(日)昼0:45からは、寺山さんが商業映画として監督した唯一の作品「ボクサー」(1977年)を放送する。障害を抱えた新人ボクサーと、彼に弟を殺されたトレーナーの確執と和解を描く物語で、トレーナー役の菅原文太が自ら企画も立てた作品。ボクシングを愛した寺山さんの思いが詰まった<寺山美学>の結晶。具志堅用高らプロボクサーたちの出演も話題を集めた。

6月4日(火)朝10:00からは、寺山さんの脚本を篠田正浩が監督し、加賀まりこの映画デビュー作でもあった1962年の映画「涙を、獅子のたて髪に」を放送する。湾岸労働者を搾取しているごろつきと純真な少女の、凄惨な恋愛模様。横浜を舞台に若いチンピラの暴走を描いた松竹ヌーヴェル・ヴァーグの傑作だ。
「ボクサー」


47年の生涯を鮮烈に、強烈に駆け抜けた寺山さん。彼が遺した“ことば”は、没後40年を経た今も多くのファンに愛され、読み継がれ、歌い継がれ、演じ継がれている。衛星劇場の<没後40周年記念特集>で、その神髄に触れてみてはいかがだろうか。
「涙を、獅子のたて髪に」


※「演劇実験室◎万有引力」の「◎」は正しくは白丸の中に黒丸。
※「演劇実験室◎天井棧敷」の「◎」は正しくは白丸の中に黒丸。

◆文=酒寄美智子


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