ウクライナとパレスチナ・ユダヤ【沼野恭子✕リアルワールド】

「ウクライナの小さな町ガリツィア地方とあるユダヤ人一家の歴史」で紹介されているクラコーヴィエツの町

ウクライナとパレスチナ・ユダヤ【沼野恭子✕リアルワールド】

5月25日(土) 10:28

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有名なミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」の原作はウクライナ出身のイディッシュ語作家ショレム・アレイヘム(1859〜1916年)の短編集「牛乳屋テヴィエ」(1894年)である。舞台は架空の町だが、明らかに19世紀末のロシア帝国領、現在のウクライナにあった「シュテットル(ユダヤ人の多く住む小さな町)」がモデルになっている。

つい最近、このシュテットルについてのユニークで非常に興味深いノンフィクションが英語から翻訳された。バーナード・ワッサースタイン「ウクライナの小さな町ガリツィア地方とあるユダヤ人一家の歴史」(工藤順訳、作品社、2024年)。ガリツィアとは、現在のウクライナ西部を中心とした地域のことで、第2次世界大戦が始まるまでは、ユダヤ人の人口割合が高かった一帯である。

歴史学者である著者ワッサースタイン(1948〜)は、この本で、シュテットルである「ウクライナの小さな町」クラコーヴィエツの複雑な歴史をたどっているのだが、ユニークな点は、この町にかつて著者自身の祖父や父が暮らしていたことと関係している。本書の前半では、町の歴史が実証的に叙述されているのだが、後半では、著者自身の家族の歴史が前面に押し出されている。言ってみれば、著者の客観的な研究と個人的なルーツを探る調査が融合したような、史実(歴史学)と自伝(文学)が合体しているような本なのである。

浮かび上がってくるのは、曽祖父ヤコブ、祖父ベール、父アディというユダヤ人一家の具体的な生活の様子や、彼らの苦難に満ちた運命である。元はポーランド領だったクラコーヴィエツは、ドイツに支配され、やがてソ連領になり、現在はウクライナに属しているわけだが、この町で生きたユダヤ人たちも、ポーランド人、ウクライナ人、ドイツ人たちの恨みを買ったり、抗争に巻き込まれたり、弾圧を受けたりして歴史の荒波に翻弄(ほんろう)される。

19世紀の牛乳屋テヴィエはポグロム(主にユダヤ人に対する集団的略奪や虐殺)に遭ったが、20世紀、ワッサースタインの祖父母はホロコーストの犠牲になる。一方、著者の父アディは、幸運が重なって、ベルリンからイタリア、トルコ、パレスチナへと居場所を変えながら、何度も間一髪のタイミングで迫害を逃れる。アディの「冒険」が描かれた章は、並の小説よりよほどドラマチックに感じられた。歴史叙述の部分よりこうした私的な「物語」のほうに惹(ひ)かれるのは、私自身の気質のせいだろうか。

マクロとミクロの両方の視点を持ち、ウクライナとパレスチナ・ユダヤをつなぐ結節点に位置する、優れた作品である。

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 21からの転載】



沼野恭子(ぬまの・きょうこ)/1957年東京都生まれ。東京外国語大学名誉教授、ロシア文学研究者、翻訳家。著書に「ロシア万華鏡」「ロシア文学の食卓」など。

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