江川卓から放った1本のホームランで人生激変 宮崎実業の石淵国博はドラフト7位で広島に指名された

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江川卓から放った1本のホームランで人生激変 宮崎実業の石淵国博はドラフト7位で広島に指名された

4月26日(金) 17:25

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連載怪物・江川卓伝〜いざ大学受験へ(前編)

夏の甲子園大会が終わっても、"江川狂騒曲"は続いた。当然のごとく高校日本代表に選ばれた江川卓は、9月1日からの韓国遠征のために合同練習に参加すると、これまで味わったことのない清々しい時間を過ごした。

作新学院では入学すると同時に注目を浴び続け、周囲に気を遣いながらプレーしたこともあった。だが、全国から選りすぐりの精鋭が集まる日本代表では、江川ひとりだけにスポットライトが当たらない。高校野球をやって、初めてリラックスできた瞬間だった。

高校卒業後の進路について、プロには行かずに大学進学を表明した江川卓photo by Sankei Visual

高校卒業後の進路について、プロには行かずに大学進学を表明した江川卓photo by Sankei Visual



のちに法政大で一緒にプレーすることになる静岡高の植松精一(元阪神)が、うれしそうに当時を振り返る。

「当初の予定では遠征先がハワイだったらしいんだけど、いろいろな都合により韓国になったそうです。ハワイに行けると思って喜んでいたヤツもいたみたいです。韓国では転々と遠征して、最後はシティーホテルではなく、ちょっと怪しいホテルに泊まることになり、そこで江川と同室でした。風呂場とかトイレの電灯がピンクで、おまけにベッドは大きいのがひとつしかない。お互い距離をとってよそよそしく寝ました(笑)。そこから仲良くなって、帰国したら静岡にも遊びに来たりしました」

もともと人懐っこい江川が、高校日本代表の選手たちと打ち解けるのに時間はかからなかった。

【高校時代に許した4本のホームラン】じつはこの韓国遠征で、江川はホームランを打たれている。韓国選抜との第1戦の5回にソロホームランを打たれ、6回にも四球、ヒットで1点を失い、1対2で敗れている。ただ試合には敗れたが、江川は15三振を奪うなど、韓国打線を圧倒。打者に向かって伸び上がってくるストレートは、ソウル市民を驚愕させた。

高校時代の江川は、公式戦でホームランを1本も打たれていないが、練習試合では3本許している。1本目は1年秋の早稲田実業・阿部功、2本目は2年春の丸子実業(現・丸子修学館)・小宮山善和、そして3本目は高校3年センバツ後の招待試合での宮崎実業(現・日章学園)・石淵国博だ。

阿部と小宮山は高校卒業後、早稲田大へ進学。そして石淵は1973年のドラフトで広島から7位指名を受け入団を果たした。石淵は強肩強打の捕手として県内では知られた存在だったが、甲子園出場はなし。そんな石淵がなぜプロから指名されたかと言えば、江川から放った1本のホームランがきっかけだった。すでに50年経つのに、いまだに地元で話題に上がるほど、もはや伝説となっている。

以前、江川に高校時代に(投球を)引っ張られたことがあるかと尋ねると、こう返ってきた。

「ええ、宮崎でありますね。それは覚えています。高校時代に引っ張られて打たれた、唯一のホームランです」

ホームランどころか、高校3年間で完璧に引っ張られた記憶は、この石淵しかいない。

ひと昔前のキャッチャー然とした体格のいい石淵は、懐かしそうに口を開いた。

「ゴールデンウィークでの宮崎県高野連主催の招待試合で、作新学院と試合をしました。レフトの位置を見ると、サードのちょっと後ろくらいに守っているのが見えました。定位置までは飛ばないと思って、その位置で守っていたんでしょうけど、さすがに『この野郎』って感じでしたね(笑)。先頭打者が初球をファウルチップしただけで、満員の観客が『ウォー』と大歓声なんです」

ファウルで歓声が起こるのは、江川が投げる試合ではお馴染みのシーンである。実際、その場面に立ち会った人にしかわからない一種独特の光景のせいか、必ず興奮気味に語りかけてくる。石淵が続ける。

「その日は5番で、最初の打席はショートライナーでした。私が初めて芯でとらえました。2打席目は思いきりヤマを張って打席に入りました。ショートライナーを打っていたこともあって、ボール自体は当てられると。1球目、とくに目的もなくバントの構えをして様子を見ました。アウトコースのストレートでした。2球目か3球目に絶対インコースに来ると確信しました。ベースから少し離れて立ち、アウトコースに来たら三振してもいいと思って、とにかくインコースだけを待ってました。そしたら3球目に来たんです。振り負けないようにコンパクトに振り抜きました」

打った瞬間、抜けるとは思ったが、まさか入るとは思わなかったという。ボールは満員のレフトスタンドに入る2ランホームラン。

「あの試合、僕だけ三振してないんですよ。最後の打席はカーブを1球も投げず、ストレートだけ。正直、三振を取りにきたと思います。結果は、ヒット性の当たりのセンターライナーでした。前の打席でホームランを打たれているから、本気で投げてきたはず。このセンターライナーのほうがはっきりと覚えています」

【今も語り継がれる伝説の一発】ある野球関係者から聞いた話だが、高校時代の江川からヒットを打った全打者を、プロだけでなく、大学、社会人の関係者もリストアップしていたという。石淵も江川からホームランを打ったため、予想もしなかった道に進むことになる。

「江川からホームランを打たなければ、宮崎の田舎で注目されることもなかったでしょうね。ホームランを打ったために存在が知られ、プロに行くことになったんですから。たった1本のホームランだけれども、これで予想もつかない経験をさせてもらったのが実感です。人生の半分は、江川のおかげですね」

現在、石淵は68歳。時折、その下の世代が「江川さんからホームラン打ったんですよね」と声をかけてくれるという。人から人へと回り、江川世代よりもずっと下の世代まで伝説は伝わっていった。

江川は高校進学の際も、周りの球児たちの進路に影響を与えていた。意図的にやったことではないが、それほど江川という存在が他人の人生を変えてしまうほどのパワーを宿していた。

その江川だが、高校卒業後については早くから大学進学を表明し、プロ入り拒否の姿勢を示していた。しかし、ドラフト会議では阪急(現・オリックス)が1位で指名するも、江川は屹然と拒む。かねてから希望だった東京六大学へ進学のため、ドラフト会議などそっちのけで猛勉強に励んだ。

(文中敬称略)

後編につづく>>



江川卓(えがわ・すぐる) /1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

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