25年前のワールドユース準優勝メンバーの「その後」20歳の高田保則は周囲の評価のギャップに苦しんでいた

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25年前のワールドユース準優勝メンバーの「その後」20歳の高田保則は周囲の評価のギャップに苦しんでいた

4月22日(月) 10:35

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ワールドユース準Vから25年「あの人は今」

高田保則(45歳)インタビュー前編

あの4月24日から、今年で25年が経つ。

U-20ワールドカップではなく「ワールドユース」と呼ばれていた若年層の大会で、日本が史上初めて決勝へ進出した1999年のあの日から。今なお日本サッカーの最高成績となっている足跡が刻まれたあの日から。

当時の高田保則は「湘南の貴公子」と呼ばれていたphoto by AFLO

当時の高田保則は「湘南の貴公子」と呼ばれていたphoto by AFLO



指揮官フィリップ・トルシエのもとに集った小野伸二、高原直泰、稲本潤一、遠藤保仁、本山雅志らの黄金世代は、今も『79年組』というグループLINEでつながっている。

誰かの誕生日を祝ったり、現役引退を労ったりする18人のひとりに、高田保則がいる。ベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でプロ3年目を迎えていた彼は、大会直前に初招集されると、そのままワールドユース行きを勝ち取った。

「ほかのみんなは下のカテゴリーから一緒に戦ってきて、アジア予選を勝ち抜いて、ワールドユースに出場している。僕は最後の最後にチームに入った選手だったので、みんなに認めてもらわないといけないし、トルシエはちょっとでも気を抜いたら怒るしで、一日一日がとにかく必死でした」

アフリカのナイジェリアを舞台とした大会で、高田は3試合に途中出場した。学年ではひとつ年下になる小野や稲本らが頼もしく、たくましく、そして優しかった。

「彼らみんな、サッカー小僧じゃないですか。ホントにサッカーが好きで、ホントにウェルカムの雰囲気で迎えてもらったことが、すごく印象に残っています。20歳以下でしたけど、大人なチームだったなあ......と。何事にも、強烈なトルシエに対しても(笑)」

ナイジェリアから帰国した高田は、彼らを待ち構える報道陣の数に驚く。SNSのない時代である。遠いアフリカで戦っている彼らに、日本国内の熱狂は届いていなかった。

「日本がどれだけ盛り上がっているのかなんて、あっちにはまったく伝わっていなかったですからね。それで、自分たちがすごいことをしたんだと、あらためて気づきました」

帰国直後に会見に臨んだ高田は、「あっちは観客の目が肥えていて、相手の逆を取ったりすると、スタンドがすごく沸くんです。それが面白かったですね」と笑みをこぼした。しかし、瑞々しい気持ちは、少しずつ重たくなっていく。

【環境の変化のスピード感についていけなかった】高田が所属するベルマーレはメインスポンサーが撤退し、1999年シーズンを前に主力選手が大量に離脱していた。大幅な戦力ダウンを強いられたチームは、ファースト、セカンド両ステージともに最下位に沈み、J2へ降格してしまうのである。

「1997年にプロになって、1998年の8月にJ1デビューを飾って、1999年は開幕戦から使ってもらって、そこからワールドユースに参加して......。デビューしてから自分を取り巻く環境が目まぐるしく変わっていって、そのスピード感についていけなかったですね」

現在45歳の高田保則に現役時代を振り返ってもらったphoto by Sano Miki

現在45歳の高田保則に現役時代を振り返ってもらったphoto by Sano Miki



ワールドユース準優勝メンバーの20歳は、帰国直後から「エースストライカー」として扱われるようになっていた。J1で何かを成し遂げたわけでもない自分と、周囲の評価にギャップを感じ、高田は人知れず苦しんでいく。

「僕はそもそも無名の存在です。中学時代はF・マリノスに名前が変わる前の日産FCのジュニアユースに所属していて、中村俊輔とかが同期のチームで、一度も試合に出ていません。

高校からベルマーレのユースに入りましたけど、一日一日を大切にして、努力を積み重ねて、ちょっとずつ、ちょっとずつ、プロに近づいていきました。ベルマーレでも最初はプロ契約じゃなくてトレーニー契約で、給料は7万5千円でした」

ベルマーレをJ1へ戻すためには、成長の歩幅を広げなければならない。点を取らなきゃ。やらなきゃ......強制的に芽生えた責任感は、やがて変質していく。

「プロ1年目には日本代表にも選ばれた野口幸司さんがいて、2年目の1998年はフランスワールドカップに出場した呂比須ワグナーさんと2トップを組ませてもらって。すっごく楽しいなあ......と感じていたら、野口さんも呂比須さんも移籍していきました。

先輩FWから学んでいた側から、活躍する側にならなきゃいけなくなったので、それはちょっと......難しかったですね。でも、クラブの経営に余裕があったら、僕の実力ではトップチームに上がっていなかったと思うんです。若手を使う方針になって、チャンスが巡ってきたと思いますから、チーム内での立場が変わっていったことも、仕方がなかったのかなと思います」

【チームの和を乱すような行動をしてしまった】プロ5年目の2001年には、キャリアハイとなる17ゴールを叩き出した。翌2002年もチームトップの9ゴールを記録する。しかし、2003年は3ゴール、2004年は6ゴールに終わる。翌2005年は出場機会が減り、9月に横浜FCへ期限付き移籍した。

「横浜FCが声をかけてくれたんですけど、移籍期限の関係で、一日で答えを出さなきゃいけない。ベルマーレで出られていないし、環境を変えなきゃと考えたので、移籍を決断しました」

新天地で再起を果たすという気持ちは強かったが、歯車はすでに狂い始めている。合流後すぐにケガをしてしまい、股関節に痛みを抱えながらプレーした。

納得できる結果を、残せるはずもない。8試合1ゴールにとどまり、期限付き移籍は延長されなかった。ベルマーレからも、契約を延長しない旨を告げられた。26歳の冬である。

「2005年のベルマーレでは、FWではなく右サイドで使われていました。それが納得できずに、監督とぶつかってしまった。チームの和を乱すような行動をしてしまったのだから、契約を延長してもらえなくても仕方がなかったでしょうね」

ワールドユースでともに戦った高原や稲本、中田浩二らは、海外でプレーしていた。小野は2006年1月にフェイエノールトから浦和レッズへ復帰する。かつてのチームメイトが国内外のトップカテゴリーで活躍をしているなかで、高田は2006年からJ2のザスパ草津(現・ザスパ群馬)の一員となった。

2005年にJ2に初参戦したザスパは、12チーム中最下位に終わっていた。同年には経営問題に揺れており、選手人件費には限りがあった。練習環境も整っていたとは言いがたい。プレシーズン最初の練習試合では、地元の前橋育英高校に負けてしまった。

ところが、高田の心は澄み渡っているのだ。

「プロと言うよりは、高校時代を思い出すような環境で、年俸もかなり減ってしまいましたけど、サッカーにひたむきに取り組む選手たちの姿勢に共感しましたし、チームでサッカーを作っていくことがメッチャ楽しかったです。

『点を取ったあと、取られたあとの5分はハイパワーでいく』とか、ひとつずつルールを作っていって。あとは、植木(繁晴/当時のザスパ監督)さんがFWで使ってくれたのも大きかったですね」

【純粋にサッカーと向き合うことができた】2006年も13チーム中12位と、苦しい戦いが続いた。そのなかで高田は、チームトップの12ゴールを記録する。6シーズンぶりのふたケタ得点だった。

「振り返るとベルマーレでは、自分で自分を追い込んでいた気がします。自分がエースだなんて一度も思ったことはなかったけれど、『なんでみんなはやってくれないんだ』という気持ちもあって、それが焦りにつながったりして、いろいろなことがうまくいかなかった。

でも、ザスパではチームの一員として『一緒にサッカーを作っていける』という感覚に戻ることができたんです」

ザスパへの移籍で心のにごりが取れていき、純粋にサッカーと向き合うことができた。

しかし、高田のキャリアは、さらに揺れ動いていくのである。

(後編につづく/文中敬称略)

◆高田保則・後編>>「湘南の貴公子」は25年後、どんなセカンドキャリアを送っているのか



【profile】

高田保則(たかだ・やすのり)

1979年2月22日生まれ、神奈川県横浜市出身。日産FCジュニアユースからベルマーレ平塚ユースに進み、1997年にトップ昇格。U-20日本代表として1999年ワールドユースに出場して準優勝に貢献する。2005年の横浜FCを経て2006年からザスパ草津でプレーし、2011年に現役を引退。ポジション=FW。J2通算407試合は歴代9位、76得点は歴代10位。



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