「湘南の貴公子」高田保則はワールドユース準Vから25年後、どんなセカンドキャリアを送っているのか

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「湘南の貴公子」高田保則はワールドユース準Vから25年後、どんなセカンドキャリアを送っているのか

4月22日(月) 10:40

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ワールドユース準Vから25年「あの人は今」

高田保則(45歳)インタビュー後編

◆高田保則・前編>>「湘南の貴公子」は周囲の評価のギャップに苦しんでいた

1999年のワールドユース(現・U-20ワールドカップ)準優勝メンバーのひとりである高田保則は、2005年かぎりで8年を過ごした湘南ベルマーレを離れ、J2のザスパ草津(現・ザスパ群馬)へと移籍した。

新天地では1年目にチーム最多の12ゴール、翌2007年もチームトップの9ゴールを記録する。2008年もチーム2位の8得点をあげるが、2009年は2ゴール、2010年は4ゴールにとどまった。中位が定位置となっているチームから、高田は契約満了を告げられる。

ワールドユース後のサッカー人生は順風満帆ではなかったphoto by Getty Images

ワールドユース後のサッカー人生は順風満帆ではなかったphoto by Getty Images



「2010年は出場試合数がチーム2番目で、ラスト5試合で3点、取ったんです。勘違いかもしれないけれど、自分では『まだまだいける』と思っていたところで、非更新と言われまして」

高田は当時31歳だった。「まだいける」との思いをトライアウトにぶつけるつもりだったが、アピールの機会を逃してしまう。

「2010年シーズンの最終節前日の練習の最後に、ひざをケガしてしまって。セットプレーの練習で、監督ってうまくいかないと『あと1本』と言うんですけど、そのあと1本でケガをしたんです。

翌日の試合は痛み止めを打ってフル出場しましたが、それもあってトライアウトに行けなかった。契約してくれるチームがひとつもないとわかったうえで現役を終えたかったのに、チャレンジできていない。なので、リハビリをしながらチャンスを待つことにしました。

川沿いでひとりで練習をしていると、ザスパのGMになっていた植木(繁晴)さんがたまたま通りかかって、練習先として上武大学を紹介してくれたんです」

自分なりの区切りをつけるために、現役にこだわった。それなのに、気持ちは奮い立たない。時間を持て余して、パチンコ屋へ行ったりもした。

「Jクラブからいくつか声をかけてもらって、J1のクラブもあったんですけど、大学生相手の練習で納得できるプレーができていない状況でした。ケガをしたひざの影響ではなく、気持ちが切れていたんです。Jリーグを見ていても、あそこへ戻れると本気で思えなかったですね......」

【パソコンで『つづき』の『づ』が打てなかった】J2で歴代9位となる407試合に出場したキャリアが、再び動くことはなかった。高田は2011年11月に現役引退を発表する。

「貯金を切り崩して生活するような1年でしたけど、自分を見つめ直すことができました。大学で練習をさせてもらったことも、セカンドキャリアを考えるきっかけのひとつになりました」

高田保則が引退後の苦労と喜びを語ってくれたphoto by Sano Miki

高田保則が引退後の苦労と喜びを語ってくれたphoto by Sano Miki



指導者ライセンスはB級まで取得していた。選手としての経験を最大限に生かすことができ、セカンドキャリアをスムーズに踏み出せる意味で、指導者は現実的な選択肢だっただろう。

「でも僕は、まったく知らない世界へ踏み入れたいと思ったんです。パソコンを使って定時で働いている人はかっこいいな、と思ったところもありまして。いろいろな仕事の人たちに会わせてもらっていくなかで、『スポーツこころのプロジェクト』がスタッフを探しているという話を聞いたんです」

『スポーツこころのプロジェクト』は、2011年の東日本大震災をきっかけに動き出していた。日本サッカー協会が2007年にスタートさせた『夢の教室』というカリキュラムを使い、スポーツ界のさまざまな人たちの力を集めて、2012年からのスタートが決まっていた。

「被災した子どもたちのために──というプロジェクトの趣旨はもちろんですが、そこで働く人たちが作り出す雰囲気がすごくよくて、『自分も働いてみたいな』と思ったのがきっかけでした」

仕事を始めてみると、悪戦苦闘の連続だった。

「パソコンで文字を打つのも、ひと苦労でした。僕と同期で元浦和レッズの都築龍太の名前を打ち込むときに、『つづき』の『づ』が打てなかったんです。周りの人に聞くと『えっ、そんなのも知らないの?』と苦笑いされましたが、『すみません、ヘディングしすぎちゃって』なんて言って教えてもらいました。

そういうコミュニケーションができるのは、サッカーをやっていたからです。知らないこと、できないことをそのままにしていたら、試合に出られませんからね」

【子どもの笑顔はゴールと同じぐらい気持ちいい】2012年1月から2014年7月まで『スポーツこころのプロジェクト』運営本部に所属し、2014年8月からは日本サッカー協会の『こころのプロジェクト』推進部に転籍した。夢を持つこと、夢へ向かって努力することの大切さを子どもたちに伝えていく『夢の教室』のスタッフとして、現在も忙しい日々を過ごしている。

「僕らは学校の時間で動いているので、春休み、夏休み、冬休みは実働していなくて、4月は来年度へ向けた準備をしています。ゴールデンウイーク明けからは、出張の連続になります。繁忙期は毎日違う学校へ行って、1カ月のうち20日から22日間は出張ですね。この仕事を始めてから、47都道府県すべてに行きました」

「ユメセン」と呼ばれる夢の教室のスタッフは、ディレクターとアシスタント、それに講師役の夢先生の3人で動く。ディレクターの高田は、訪問する学校との日程調整から当日の準備、さらには夢先生の交通手段の手配までを担う。

「始めたばかりの頃は、飛行機とか新幹線のチケットの取り方さえわからなかったです。講師の先生が20人ぐらいいるので、ほぼ毎日いろいろな調整をしています。繁忙期はめちゃくちゃ忙しいですが、トップレベルのアスリートの話を聞けるので、それはホントに貴重な経験です」

ディレクターの高田自身が、心を揺さぶられることもある。

「東日本大震災の被災地のひとつの福島県南相馬市の小学校で、ラモス瑠偉さん(元日本代表MF)に話をしてもらったんです。めちゃめちゃ熱い話をしてくれました。素敵でした。子どもたちもすごく熱心に聞いてくれて。波戸康広さん(元日本代表DF)は『成功よりも成長だよ』と。日本代表にまで選ばれた波戸さんがそうやって言うのが、すごく格好いいですよね」

コロナ禍ではオンラインで活動を継続し、2023年から対面でのカリキュラムを復活させた。高田の表情に笑みがこぼれる。

「子どもたちの笑顔とか熱量を五感で触れられるのは、何よりの喜びですね。ゴールを決めた瞬間と同じぐらい気持ちいい。いや、ちょっと言いすぎたかな(笑)。でも、ホントにいいですよ」

【胸に刻んでいる川淵三郎キャプテンの言葉】今年1月の能登半島地震の被災地も、早く訪れたいと願う。

「学校の校舎が避難所になっているところもありますので、現地の状況に応じてこれから、ということになります。ホントに必要なところへ届けられるように、しっかり準備する必要もあります。

東日本大震災や熊本地震では、いろいろな我慢を強いられていた子どもたちが、笑顔を浮かべてくれる場面を見てきました。能登半島地震の被災地でも、できるかぎり早く実現したいです」

こころのプロジェクトの仕事に関わるなかで、胸に刻んでいる言葉がある。プロジェクトの立ち上げに尽力した川淵三郎キャプテン(当時)に、仕事を始めて間もないタイミングでアドバイスをもらったのだった。

「僕らは毎日、同じことの繰り返しだけど、子どもたちは常に1回かぎりだよ、だから慣れちゃいけないよ、と。

人は出会いのなかで笑顔を作り、出会いのなかで夢を作っていく。夢を持つ大切さを伝えていく役割を与えてもらっているので、すごくやり甲斐を感じています」

25年前のワールドユースでともに戦った仲間たちも、ほぼすべての選手が現役を退いている。播戸竜二や南雄太は、夢先生として子どもたちと接している。

「ワールドユースの仲間たちが夢先生をやり始めてくれているのは、すごくうれしいですね。そうやってセカンドキャリアでも輝いてくれることで、彼らのあとに続く選手たちも希望を持てるでしょうし、彼らと接する子どもたちにとってもすばらしい経験になると思います」

2月に45歳となった高田は、3人の息子を持つ。大学3年生、高校3年生、高校1年生の父親として、悩みも少なくない。『こころのプロジェクト』については熱っぽい口調で語るが、「子どもたちに何ができているか......難しいですね」と、表情に戸惑いを浮かべるのだ。

日常生活で日々、感じている悩みや痛み、小さな喜びや感謝といったものも、高田の仕事を彩りのあるものにしていく。

<了/文中敬称略>



【profile】

高田保則(たかだ・やすのり)

1979年2月22日生まれ、神奈川県横浜市出身。日産FCジュニアユースからベルマーレ平塚ユースに進み、1997年にトップ昇格。U-20日本代表として1999年ワールドユースに出場して準優勝に貢献する。2005年の横浜FCを経て2006年からザスパ草津でプレーし、2011年に現役を引退。ポジション=FW。J2通算407試合は歴代9位、76得点は歴代10位。



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