石毛宏典が語る、東尾修との特別な信頼関係 ピンチでマウンドに行くと「お前がしっかり打たんからじゃ」■2023人気記事

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石毛宏典が語る、東尾修との特別な信頼関係 ピンチでマウンドに行くと「お前がしっかり打たんからじゃ」■2023人気記事

4月21日(日) 9:55

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2023年4月、スポルティーバではどんな記事が読まれたのか。昨年、反響の大きかった人気記事を再配信します(2023年4月12日配信)。

石毛宏典が語る黄金時代の西武(6)


東尾修後編



(前編:デッドボールにも「なんで謝る必要があるんだ」ガキ大将な気質、激攻め投球が生まれた理由>>)



内角を突く強気のピッチングで通算251勝を挙げるなど、長らく西武のエースとして活躍した東尾修氏。西武の指揮官としても2度のリーグ優勝を果たしたが、選手時代や監督時代の東尾氏とのエピソードを、当時のチームメイトである石毛氏が語った。

マウンドで話す西武時代の石毛氏(左)と東尾氏

マウンドで話す西武時代の石毛氏(左)と東尾氏





【監督時代に見せた「見事」な手腕】――東尾さんは、1995年から西武の監督に就任されました。石毛さんは1994年のオフにFAでダイエーに移籍していましたが、敵チームの指揮官としての東尾さんをどう見ていましたか?



石毛宏典(以下:石毛)トンビさん(東尾の愛称)は、野手に関しては打撃コーチとして招聘した土井正博さん、翌年はヘッドコーチとして招聘した須藤豊さんらに託していました。自分が専門としてこなかった分野を、コーチ陣に任せるのもひとつのやり方ですからね。



ピッチャーに関しては、やはり選手を見る目に優れているので、松坂大輔をはじめ、西口文也、石井貴、豊田清ら多くの名投手を育てました。



――東尾さんは現役時代、広岡達朗監督や森祇晶監督のもとでもプレーされていましたが、選手起用や采配面などから「常勝イズム」を感じることはありましたか?



石毛森さんのあとに監督に就任され、「広岡・森野球」が浸透しているメンバーを率いた。その野球によって西武は勝ってきたので、それをそんなに大きく方向転換するようなことはなかったんじゃないかと。



ただ、リーグ2連覇(1997年、1998年)を果たした時は、打つほうでは1番に定着した松井稼頭央をはじめ、大友進や髙木大成......投げるほうでは西口文也ら若手主体で優勝に導きました。そこに、潮崎哲也や鈴木健といったベテランを融合させた手腕は見事でしたね。

【飲みの場、マウンド上でのやりとり】――石毛さんは以前、「野球選手は個人事業主であり、プライベートで飲食をともにするような機会はあまりない」と言われていましたが、東尾さんもそうでしたか?



石毛トンビさんとは、比較的にそういった機会もありましたね。現役時代は、ナイターの試合が終わってご飯を食べに行く頃には夜の遅い時間になってしまうのですが、それでもお酒を飲みに行って時間が経つと、2人とも最後は野球の話をするようになるんです。



トンビさんが「ピッチャーは、このカウントでこういうことを考えているんだよ」と言えば、自分は「野手は違いますよ。このカウントではこんな球を待っているんです」とか、トンビさんはピッチャー目線、自分はバッター目線で意見を言い合ったり。とにかく、いろいろ語り合った記憶があります。



自分にとっては野球への理解を深める上でいい勉強になりました。聞いたわけではないですが、おそらくトンビさんは、自分のことをある程度は認めてくれていたと思います。あとは、野球という仕事と本当に真摯に向き合っていましたし、大事にされていました。「終わったら飲むぞ」といったスイッチのオンオフ、メリハリもある方でしたね。



――他にどんなお話をされましたか?



石毛牽制の際のコンビネーションの話をしたのも覚えています。トンビさんは投げることもさることながら、牽制でランナーを刺すことに対してもすごく意欲を持っていました。たとえば、阪急の福本豊さんを牽制で刺すために、ボークすれすれの牽制技術を磨いたり、常に研究していましたね。



自分がショートを守ることになった時には、トンビさんから「牽制のコンビネーションをやっておかないとな」となって。自分がどういうタイプのピッチャーなのか、ということを教えてくれた上で、「常に完璧はない。一塁でも二塁でも、ランナーは必ず背負うもの。そんな時に牽制でランナーを刺すことができればラクになるわけだから、石毛も準備していてほしい。俺はこういう牽制をするから、こういうタイミングで入ってくれ」といったことを話しました。

――東尾さんと石毛さんの試合中の会話も興味深いです。以前、ピンチを背負った工藤公康さんや郭泰源さんに対して、石毛さんはマウンド上で発破をかけていたとお聞きしました。東尾さんとはどんなやりとりがありましたか?



石毛ピンチでマウンドに集まった時に、「このピンチを抑えたら、今度のご飯代を俺が出します。ただ、打たれたらトンビさんのおごりですよ」と言ったりしていました。そんな時にトンビさんは、「お前がしっかり打たんからじゃ。あと、しっかり守れ!」と返してきましたね(笑)。



――石毛さんが発破をかける話はよくお聞きしていますが、発破をかけられる側というのも珍しいですね。



石毛俺に発破をかけてくるのは、トンビさんと工藤ぐらいなもんですよ(笑)。



――東尾さんは石毛さんの6歳年上ですが、気軽に何でも話せる仲だったのですね。



石毛もちろん気遣いはしますが、そんななかでも、「こういう時にはこうしてほしいんだな」といったことはわかるものです。表現は難しいんですが、自分にとって先輩であり、仲間であり、野球を語り合う相手であり、師匠でもある。トンビさんはそんな存在ですね。

(連載7:根本陸夫の肝煎りで西武に入った伊東勤黄金時代を支えた正捕手は、東尾修ら名投手たちによって育てられた>>)



【プロフィール】

石毛宏典(いしげ・ひろみち)



1956年 9月22日生まれ、千葉県出身。駒澤大学、プリンスホテルを経て1980年ドラフト1位で西武に入団。黄金時代のチームリーダーとして活躍する。1994年にFA権を行使してダイエーに移籍。1996年限りで引退し、ダイエーの2軍監督、オリックスの監督を歴任する。2004年には独立リーグの四国アイランドリーグを創設。同リーグコミッショナーを経て、2008年より四国・九州アイランド リーグの「愛媛マンダリンパイレーツ」のシニア・チームアドバイザーを務めた。そのほか、指導者やプロ野球解説者など幅広く活躍している。

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