華やかな開幕の裏で待ち受けていたアクシデント。しかし、ヒーローはそれすら糧に世界の頂きを目指す!
「結論から言うと、彼が僕の口座からお金を盗んで、なおかつ、僕と僕の周りのみんなに嘘をついていたということになります」
3月25日、元専属通訳の水原一平氏(39)の違法賭博問題で、ドジャースの
大谷翔平
(29)が記者会見した。
「懸念されていた大谷自身の違法賭博への関与を全面的に否定し、水原氏の嘘を明確に指摘。水原氏から告白を受けた際も、情に流されることなく球団と代理人、弁護士にすぐに報告するなど、その後の行動も正しかったことを明らかにしました」(スポーツ紙記者)
捜査中ということもあり、あまり踏み込んだ発言はできないのではという見方もあったが、大リーグ評論家の福島良一氏は、こう言う。
「思った以上に、我々が抱いていた疑問をクリアにしてくれましたね。“ショックという言葉が正しいとは思わない”と落ち込んでいましたが、最後には、どこかスッキリしたような表情も見えました。気持ちに一つの区切りをつけ、シーズンに臨めるのでは」
“最強のバディ”からの裏切りという逆境を乗り越え、どんなシーズンを送るのか、ますます注目したくなるのである。
■言葉の力
そんな大谷に、今回、改めて注目が集まるのは、その“言葉の力”だ。
「彼の言葉は、いつも単純明快で、とても分かりやすい。自分の目標に常にまっすぐな行動が伴っているため、思考がシンプルなんでしょう。今回の会見でも言葉にムダがなく、余計な装飾を必要としない彼の性格、賢さが、よく表れていたと思います」(前同)
■WBCの決勝戦でナンバーワンに
大谷の言葉で有名なのは、昨年3月に行われた、第5回WBCの決勝戦。メジャーの一流選手ばかりの最強チーム・米国代表戦を前に、クラブハウスで“声出し”を初めて任されたときの、「憧れるのをやめましょう」だろう。
続けて大谷は、こう言っていた。
「憧れてしまったら超えられないので、僕らは今日、超えるために、トップになるために来たので。今日一日だけは彼らへの憧れを捨てて、勝つことだけを考えていきましょう!」
実際に、怪物だらけの米国でナンバーワンになった大谷の力強い言葉に、日本の侍たちが勇気づけられたことは間違いない。
■世界一の選手になりたい
福島氏が一番好きなのは、17年のオフにメジャー挑戦を表明したときの「世界で一番の選手になりたい」という言葉だという。
「だからこそ、常に向上心を持って挑戦し続けているんでしょう。実際に、2回もMVPを獲って、誰もが認める世界一の選手になっているんですが、彼はまだまだ満足していませんね」
◆日ハム時代から「お酒は必要ない」
実は、日ハム時代から、大谷は“世界一”を意識していたという。
「先輩たちに飲みに行こうと誘われても、頑なに断り続ける大谷に、白井一幸コーチが“あんまり誘いを断ってると嫌われちゃうよ”と心配して声をかけると、“嫌われてもいいんです。僕は世界一の選手を目指しているので、お酒は必要ないんです。
でも、僕が世界一の選手になったら、みんな、ちゃんと僕のことを好きになってくれますから大丈夫です”と答えたといいますからね」(民放スポーツ担当記者)
■リトルリーグでは日本一になったことがない
そんな大谷の野球人生が、常に栄光に彩られていたかといえば、けっして、そうではない。
リトルリーグの頃から突出した存在だったが、日本一になったことがなければ、世界選手権にも出場していない。
「“小さいときからずば抜けて成績を残してきたわけではないですし、最初からこの技術や体があったわけではない”と明かしていますが、実は、その通り。才能だけの選手ではなく、人一倍の努力があったことは、言うまでもありません」(前出のスポーツ紙記者)
■花巻東高校時代に作成した“目標達成シート”
大谷の努力を支えたものの一つとして知られているのは、花巻東高校1年のときに作成した“目標達成シート”。
真ん中に達成したい目標を書き、周りに、それを成し遂げるために必要な思考や行動を具体的な言葉で埋めていき、マンダラ状にしたものだ。
◆ドラフト1位、8球団
「当時の目標は『ドラ18球団』で、周りには『体づくり』『コントロール』など8項目を記入し、さらに、それらを高めるために必要なことが、それぞれ8項目、書かれていました。
大谷は常に、このシートを見て行動を律し、目標のために努力を習慣化していったんです」(前同)
そんな日々の中で、誰の想像も超えて大きく成長した。
「高校時代の恩師・佐々木洋監督に、“(二刀流なんて)誰もやったことがないと言われてますけど、誰もやっていないからこそ、やってるんですから”と語るまでになりました。
並大抵の努力ではないはずですが、それを、いつも笑顔で楽しそうにこなすのも、大谷のすごいところですね」(同)
■プロ入り後“二刀流”に批判の声も
その“二刀流”への批判の声は、プロ入り後も少なくなかった。多くのプロ野球OBが“投手専念”を勧めるコメントをしていたものだが、
「それでも目標を見失うことなく、“両方やっていない人よりは、やっている立場で分かることはたくさんある”とか“ピッチングをやってバッティングもしていれば、楽しい瞬間は、もっといっぱいあるんです”と、常に前向きでしたね」(同)
■野球人生最大の危機!右肘負傷し手術
18年、メジャー挑戦1年目から“二刀流”で活躍したが、9月に右肘靱帯の損傷が判明し、オフに手術。
「野球人生最大の逆境が訪れましたが、“僕自身が楽しくフィールドでプレーしたい気持ちが一番です”と、トミー・ジョン手術を受け入れました」(スポーツライター)
その後のリハビリ中も、投球練習は制限されたが、「“限られた時間の中、何を捨てて何をするかという話なんです。今は、できないことを捨てているだけですから”と、自分に言い聞かせるような言葉を残しています」(前同)
■日本人初のメジャーリーグMVPを獲得
19年は投手として活躍できず、20年も新型コロナの影響で登板は2試合のみ。
だが、「悔しいなっていう思いが今年のモチベーションかなと思います」(志村朋哉著『ルポ大谷翔平』朝日新書)と言ってシーズンに臨んだ21年に爆発した。
投手として9勝2敗、打者として46本塁打、100打点、打率・257と、二刀流はフル稼働し、見事に日本人初のメジャーMVPを獲得した。
それでも、チームはポストシーズン進出を逃した。よほど悔しかったのか、大谷は「もっとヒリヒリする9月を過ごしたい」いう言葉を残している。
■常勝軍団、ドジャーズ
「ドジャースは、この10年、地区優勝9回を誇る常勝軍団ですが、ワールドシリーズ制覇は1回のみ。そんなチームを自分の力で世界一にすることに、今は大いにやりがいを感じているはずです」(福島氏)
さて、世界一になった大谷の口から、どんな名言が飛び出すか。
■まだある!大谷翔平名言集
「岩手県が強いところを甲子園で見せたい」花巻東高校時代、2011年夏の甲子園に出場したときの言葉で、「まだ万全ではないが、甲子園で投げたい」と続く(『挑戦』)。同年3月の東日本大震災で被災した地元への思いが込められているが、大谷はケガもあって結果を出せず、チームは1回戦で帝京高校に7対8で敗れた。ただ、周囲を大切にする大谷らしさは、今も変わらない。
「思っていたよりも、もっと上の自分がいた」高校2年生の6月に練習試合で左足骨端線を損傷。投手としての活躍ができなくなったが、その分、バッティングに注力。冬くらいから飛距離が伸びるようになり、「思っていたよりも、もっと上の自分がいたので、バッティングが楽しくなってきたんです」(『SHO-TIME』)と話していた。二刀流に目覚めるきっかけは、ケガだったのだ。
「プレッシャーのかかる場面は自分が成長できるポイント」日本ハム時代の2016年9月28日、リーグ優勝へのマジック1で迎えた西武戦で、尊敬する花巻東高校の先輩、
菊池雄星
と投げ合った。結果、被安打1、15奪三振で見事完封し、チームを優勝に導いたときの言葉だ(『挑戦』)。試合前、
栗山英樹
監督には「こんな最高の舞台を用意してくれてありがとうございます」と頭も下げていた。
「気持ちで負けないボールを投げようと思っていた」2015年11月、『WBSCプレミア12』準決勝の韓国戦で登板。7回を投げて被安打1、11個の三振を奪うピッチングで韓国を無得点に抑える。後に「絶対に万が一が起きないよう、コントロールではアバウトでも、気持ちで負けないボールを投げようと思っていました」(『野球翔年1』)と振り返った。この経験が2023年のWBCにも生かされたはず。
「自信を持ってやればいいと言ってくれて、すごく励みになりました」2018年にメジャー(エンゼルス)に移籍。オープン戦では投手として出場した4試合すべてで失点、打率も1割ほどに低迷して苦しんでいたが、エンゼルスのビリー・エブラーGMに励まされて、気持ちを切り替えることができたという(『大谷翔平』)。さすがの大谷にも、周りの励ましが必要なときがあるようだ。
「僕は“今、行きたい”から行く」メジャー移籍を決めたとき、大谷はまだ23歳。25歳以下の契約金には上限があり、まだ早いという声もあったが、「“トップに上り詰めてから”というのはステキだと思いますし、格好いいとも思います。でも僕は“今、行きたい”から行く」(『道ひらく』)と強気で応じている。大谷の言動は、いつも160キロ級のストレート。
「今後のことを考えればいい経験ができた」2021年シーズン、46本の本塁打を放ちながら、2本差で本塁打王を獲得できず。その理由として、大谷に対する四球の多さが指摘されたが、「本当はもっともっとバットを振る中でゲームを楽しみたいなという気持ちもありましたけれど」という本音に続いて、こう答えた(『Number』2021年12月2日号)。どんな経験も前向きに受け止める。
「可能な限り、長時間寝ます」2021年7月のMLBオールスターで前人未踏のフル稼働。ホームランダービーに参加した翌日に、先発登板をして、おまけに1番・指名打者として打席に立った。記者たちの「どうやってエネルギーを取り戻すのか」という質問に、こう答えた後、「できることはそれだけなので」と続けるのも、睡眠に絶対的な信頼を置く大谷ならでは。
「ステップアップを目指して、ちょっとでもその基準を超えられればもっといい」2021年、日本人2人目のメジャーMVPを獲得した後、それを超えられるのかという声に対して、「同じようにやってたらできないので、ステップアップを目指して、結果、同じならいいし、ちょっとでもその基準を超えられればもっといいじゃないですか」(『Number』2022年4月14日号)。事実、23年に、このとき以上の成績でMVPを再獲得した。
■スタートが大事
「スタートが大事」2021年4月4日、対ホワイトソックス戦で2番・投手として、初めてメジャーで「二刀流」として出場。投げては5回を自責点1、打っては1回に特大アーチを放った。後に振り返って「スタートが大事。最初のほうでいい印象を残さないと使い続けてもらうのは難しい」と分析。今季も“最初のほう”の調子が一年を占いそうだ。
「今まで以上に強くなって戻れるよう全力を尽くす」2023年8月23日、レッズとのダブルヘッダー第1戦では2回途中で緊急降板し、その後の検査で右肘靱帯の損傷が判明。さらに9月4日には右脇腹の張りでスタメン出場を回避し、その後は欠場。19日に本人インスタグラムで、こうコメントし、二刀流を続けるため、2018年に続いて右肘の手術を受ける決断をしたことを明かした。
■野球界のためにまい進したい
「現役生活最後の日まで、野球界全体のためにまい進したい」移籍先について激しい報道合戦が繰り広げられたが、沈黙を守った大谷。2023年12月9日、移籍先がドジャースと発表され、10年総額7億ドル(約1015億円)で契約した。本人のインスタグラムのこのコメントには、「ドジャースのためだけではなく」というひと言が加わっており、チームを超えた世界レベルの活躍が期待される。
※名言の出典のうち、『挑戦』は『大谷翔平挑戦』(岩手日報社)、『SHO-TIME』はジェフ・フレッチャー著『SHO-TIME大谷翔平』(徳間書店)、『野球翔年Ⅰ』は石田雄太著『大谷翔平野球翔年Ⅰ』(文藝春秋)、『大谷翔平』はジェイ・パレス著『大谷翔平二刀流メジャーリーガー誕生の軌跡』(辰巳出版)、『道ひらく』は佐々木亨著『道ひらく、海わたる大谷翔平の素顔』(扶桑社)を参照しました。
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