天皇を支えた女性官僚「三人官女」の実態を考察し見えてくるもの

天皇を支えた女性官僚「三人官女」の実態を考察し見えてくるもの

天皇を支えた女性官僚「三人官女」の実態を考察し見えてくるもの

4月2日(火) 6:00

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宮廷女性の戦国史『宮廷女性の戦国史』(山川出版社)著者:神田 裕理Amazon |honto |その他の書店

◆「三人官女」の実態を考察し見えてくるもの
かつての戦国史は世界の半分もみていない味気ないものだった。男性の武将の話ばかり。たまに女性が出てきても、人質や政略結婚に翻弄される悲劇の姫しかいなかった。今も時代劇はそんなふうに作られているから、我々の戦国イメージは男っぽいものだ。しかし、近年、戦国史の研究が急速に進んだ。戦国期の天皇や天下人は、そんな男性ばかりの世界で政治をやっていたわけではない。政治機構の中枢には、女性の役割が組み込まれ存在感をもっていた。そのことを示す史料から、最近、多くの学術論文が書かれて、専門研究者には「政治の現場に女性がしっかりいる戦国史」が常識化しつつある。

ところが、論文がバラバラ出て、学術書にまとめられても、一般には難しい内容だった。本書はこの最新の研究を手際よくまとめながら、独自の研究を盛り込んだ一冊だ。天皇の後宮にいた女性たち、皇女と後宮女房を「宮廷女性」とよび、戦国時代の朝廷のありようを紹介している。

日本家庭には雛人形があって、誰もが「三人官女」は知っている。この三人官女こそ後宮女房であって、天皇を支えた女性官僚でもある。天皇の世継ぎを産むだけでなく、儀式・行事を担い、皇位のしるしである神器も、後宮女房が管理し、持ち運んだ。口で宣(の)られた天皇の意思を女性の筆で記して「女房奉書」として伝達し、使者になって交渉もした。室町幕府の三好長慶(みよしながよし)や松永久秀、さらに織田信長は、女性数人の後宮女房の使者と、よく会って交渉した。しかし、豊臣秀吉の時代になると、天皇への取り次ぎは、この女性たちよりも男性の武家伝奏に切り替わっていったらしい。

東アジアの大陸の王朝の多くは、科挙の試験で官僚を登用し、去勢された男性の宦官でもって宮中を運営した。しかし、日本は科挙に似た試験はやってみたが長続きせず、宦官を宮中に置くことはなかった。宦官でなく、女性が宮廷内の政治にもかかわった点が日本の特徴であり、本書は宮廷政治文化の国際比較にも役立つ。日本では、女性が天皇の側近にいて勅旨を伝え、非公式の交渉を担った。とくに、戦国時代までは、宮廷での女性の政治関与の度合いが大きかった。室町時代は朝廷と幕府の二つの「御所」があったが、室町幕府も朝廷に似た後宮女房の政治機構をもっていた。

なぜ日本の天皇制が大陸と異なって、後宮女性による宮中運営の度合いが強いのかの説明は、本書の主たる課題とはされていない。宦官などの去勢は大陸の牧畜文化とのつながりも指摘されてきた。牧畜の少ない日本、魏志倭人伝には「女王国」と書かれた日本列島の中枢で、独自の政治文化が培われていたのは確かだ。この国では、天皇や神器に触れるのは巫女のごとき存在であり、天皇の言葉は、曖昧かつ間接的で中立的な後宮女房の奉じた仮名書きの筆あとで伝えられ、それが天皇の神秘性と永続性を保っていたのかもしれない。

曖昧さの点では、性規範も、日本の宮中では近世初期まで、まさに曖昧性があった。源氏物語を読めばわかる。主人公の光が父桐壺帝の妃・藤壺と通じ、冷泉帝が生まれる不義密通の物語だ。これが宮中のありように後世まで絶大な影響を及ぼした。宮中では、帝妃の密通事例が戦国時代にも江戸初期にも多くみられた。本書には、その詳細が書かれている。帝妃と公家衆らの大規模な密通事件としては「猪熊事件」が有名だ。しかし、本書はもっと小さな密通が多発していた宮中の実態を見逃していない。

そもそも後宮女房には天皇の跡継ぎをもうける性的役割と、宮廷運営の天皇の秘書的役割という二面性があった。たしかに「お役女官」とよばれた秘書性の強い女官と、そうでない女官の境目はあったが、時として曖昧さもあった。

近世初期まで、天皇の御所は江戸城大奥のように男女の遮断が物理的にも規則的にも厳格でない。禁裏小番(こばん)といって公家が夜も宿直し、後宮女房と接触する機会が断たれていない曖昧さがあった。この国の皇位継承は、正確にいえば、源氏物語的なこの曖昧な性規範・環境のなかで、男系継承の原則を厳格に守ってきたものである。

天皇の寵姫と密通した公家はどうなったか。発覚すると、天皇の怒り(勅勘)を蒙(こうむ)り、処罰を恐れて、密通公家は地方へ逃げる。後陽成天皇の寵姫と密通した「天下無双の美男」猪熊教利(のりとし)は斬刑となったが、これなどは珍しい。逃げたその地で病没したり、時がたって許されたり、といった帰結が多い。密通した公家の家が断絶させられることも少ない。どうにか残る。解決もまた曖昧性があった。皇統の血脈が脅かされても、時の流れで、その公家の家はまた立ち戻るのである。

このように、「三人官女」の実態を観察し、考えることから見えてくるものは多い。天皇・天皇制、そして日本の本質的理解には、本書のような後宮女房の分析が不可欠である。

【書き手】
磯田 道史
歴史学者。1970(昭和45)年岡山市生れ。国際日本文化研究センター准教授。2002年、慶應義塾大学文学研究科博士課程修了。博士(史学)。日本学術振興会特別研究員、慶應義塾大学非常勤講師などを経て現職。著書に『武士の家計簿』(新潮ドキュメント賞)、『殿様の通信簿』『近世大名家臣団の社会構造』など。

【初出メディア】
毎日新聞 2022年6月4日

【書誌情報】
宮廷女性の戦国史著者:神田 裕理
出版社:山川出版社
装丁:単行本(ソフトカバー)(296ページ)
発売日:2022-04-25
ISBN-10:4634152053
ISBN-13:978-4634152052宮廷女性の戦国史 / 神田 裕理
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