「きっかけはプリキュア、セーラームーン」名古屋の少女が「レースクイーン女王」に変身するまで

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「きっかけはプリキュア、セーラームーン」名古屋の少女が「レースクイーン女王」に変身するまで

3月25日(月) 10:35

提供:
「日本レースクイーン大賞2023」グランプリ受賞

松田蘭インタビュー前編

今年で14回目となる「日本レースクイーン大賞」は、華々しく彩られた名だたるレースクイーンが一堂に集結する「女神の祭典」だ。100人のレースクイーンがノミネートされ、ファン投票を経て上位5人が「大賞」を受賞し、その頂点が「グランプリ」の栄光に輝く。

2023年度のグランプリを受賞したのは、ZENT sweetiesの松田蘭さん。受賞記念インタビューとスタジオで撮り下ろした厳選フォト、ぜひご覧あれ。

◆松田蘭さん厳選撮り下ろしフォトギャラリー(55枚)>>

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日本RQ大賞2023でグランプリに輝いた松田蘭さんphoto by Yazawa Takanori

日本RQ大賞2023でグランプリに輝いた松田蘭さんphoto by Yazawa Takanori





【レースクイーン大賞は人生のハイライト】──今年1月に開催された『日本レースクイーン大賞 2023』で見事グランプリを獲得しました。おめでとうございます!

「ありがとうございます。もう2カ月以上経っているんですけど、あの時の動画や写真を見ると、今でも感動の涙がこみ上げてくるぐらいなんです」

──なんかもう、燃え尽きてしまったような。

「はい。もうそれぐらい私にとって、人生のハイライトでした」

──悲願のグランプリだったわけですね。

「そうですね。私はレースクイーンになりたくてなったんですけど、いろいろな経験をしていくうちに、徐々に『この仕事を究めたい』と思うようになっていったんです。今年、ようやくグランプリを獲得することができたのですが、一方で『早すぎるかな?』とも思ったんです」

──どうしてですか?

「理想のレースクイーン像というのが、自分のなかでかなり高いというか、トップを追い続けてきたからこそ、まだ自分は未熟だなって感じてしまうんです」

──理想が高いことはすばらしいですが、かなりストイックですね。

「『ここに行きたい!』という思いが、経験を重ねるたびに高くなっていって、理想のレースクイーン像まで届かないんじゃないかって思ってしまっているんです。グランプリを獲った時も、多くのファンや関係者から『ランランがトップだよ』って言われてうれしくはあったのですが、まだまだだなって気持ちは今でもあります。ただ本当、みなさんのおかげで悲願だったグランプリを獲得できて、トップレースクイーンと認めていただけたことにはすごく感謝しています」

学生時代はバンドをやっていた松田蘭さんphoto by Matsuda Ran

学生時代はバンドをやっていた松田蘭さんphoto by Matsuda Ran





【きっかけは従姉妹が見せてくれた写真】──出身は愛知県名古屋市と聞いていますが、どのようなきっかけでレースクイーンになろうと思ったんですか?

「私の親戚にモータースポーツ大好きな家族がいて、2個下の従姉妹に『セナちゃん』って子がいたんです。そう、アイルトン・セナにちなんで名づけられたみたいです。

その家族は週末になるとサーキットに出かけるんですけど、ある日、セナちゃんが見せてくれた写真にレースクイーンのお姉さんたちが一緒に写っていたんです。それを見た当時小学生だった私は、『プリキュアやセーラームーンみたい!』『本当にキラキラしてかわいいな』って思ったんです。以来、すごい憧れがあって、いつかはレースクイーンになりたいなって」

──そうだったんですね。では、この業界と接点を持ったのはいつの頃ですか?

「大学生の時ですね。当時、進路に迷っていたんですけど、大学に通いながらイベントコンパニオンのような仕事をしていたんです。2018年に東京オートサロンがあって派遣されたんですけど、もしかしたらここでご縁を作れればと思っていろいろな方に相談したら接点ができて、レースクイーンとして活動をすることになったんです」

──普通に就職することは考えてなかったんですか?

「考えましたね。まさか自分がレースクイーンをやれるなんてまったく思ってなかったです。就職してOLをやって30歳ぐらいで結婚をして、普通の人生を送るのかなと思っていたんですけど、やっぱりチャンスがあるのならばやってみたい。

実は、先ほど話したセナちゃんは身体が弱くて、私が高校生ぐらいの時に亡くなってしまったんです......。その時、セナちゃんのお父さんの知り合いのレーシングチームが喪章をつけてレースに参加したと聞いて、すごく心にくるものがあったんです。

レースクイーンに憧れを持たせてくれたセナちゃんのためにも、また悼んでくれたレーシングチーム、ひいてはモータースポーツのために、レースクイーンになって恩返しをしたいなって気持ちになったんです」

photo by Yazawa Takanori

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──そうだったんですね。

「ただ、私の母がめちゃくちゃ厳しい人で、レースクイーンの仕事には反対していました。今になってトップになり、ようやく理解してくれましたけど、最初は大変でしたね(苦笑)」

【コスチュームを着た瞬間、変身した気持ちに】──では、初めてレースクイーンのコスチュームに袖を通した時の感想は。

「かわいいなって思いましたけど、同時にスイッチが入るっていうんですかね。着た瞬間に、本当に変身した気持ちになったんです。サーキットって寒い時があるんですけど、でもアドレナリンが出ているのか、ぜんぜん寒くないんですよ。私にとっては今も変わらず、キラキラしているものですね」

──それまでの人生で、ここまでテンションの上がることはなかった。

「そうですね。強いて言えば学生時代にバンドをやっていたので、ライブハウスでスポットライトを浴びて演奏している時とは、ちょっと感覚的に似ているかもしれません。ただ、レースクイーンのほうがぜんぜん上ですけど」

──楽器とジャンルは何だったんですか?

「ギターを弾いていました。好きなアーティストは、Hi-STANDARDやミッシェル・ガン・エレファント、ブランキー・ジェット・シティあたりですね」

──年齢のわりにはシブいですね。

「ただ、やっていたバンドはSCANDALみたいな雰囲気でした」

──2020年に上京したと聞いていますが、やっぱり東京で勝負したかった。

「大学を卒業してから、しばらくは地元にいたんです。ただちょうど、新型コロナでイベントの仕事もあまりなくて......。私としてはやっぱり東京に出て、レースクイーンでがんばりたいって思いが強くて、もう自立するためにも実家を出ようって」

──腹をくくったわけですね。

「最初は怖かったです。成功するのかどうかもわかりませんでしたからね。上京して今の事務所(イー・スマイル)に入ったんですけど、当初は今ほどの熱量は正直なかったんです。新人でしたし、毎日がワクワクというか、ただ『楽しいな〜』みたいな感じで。自分がまさか数年後、レースクイーン大賞のグランプリに向かって必死になるなんて夢にも思ってなかったんです」

photo by Yazawa Takanori

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──そうだったんですね。2020年はスーパーGTのTGR TEAM SARD「SARDイメージガール」とスーパーフォーミュラーのKONDO Racing「raffinee Lady」でレースクイーンを務めました。

「けど、やっぱりコロナの影響であまりサーキットに行けなかったんです。そこはすごくもどかしくありましたね。代わりにインターネット配信をしたり、この世界に足を踏み入れたからには、自分のことを知ってもらいたいという気持ちも強いので、やれることはやりました。しっかりと爪痕を残せるようになったのは、翌年の2021年ぐらいからですね」

(後編につづく)

◆松田蘭・後編>>「モータースポーツを盛り上げる絶対的な存在になりたい」

◆松田蘭さん厳選撮り下ろしフォトギャラリー(55枚)>>

【profile】

松田蘭(まつだ・らん)

1997年9月4日生まれ、愛知県名古屋市出身。身長165cm。スリーサイズ=B82・W58・H84。特技=ギター。趣味=アニメ鑑賞、音楽鑑賞、ネットサーフィン。SNS=X(@ran_mjargtne)、Instagram(@ran_mjargtne)



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