関根勤×明石家さんまが語るお笑い論「東京と大阪の笑いには厚い壁があったから……」

関根勤×明石家さんまが語るお笑い論「東京と大阪の笑いには厚い壁があったから……」

2月1日(木) 8:45

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お笑い界を引っ張る、レジェンド2人の共通点は「嫌われないこと」。普段、雑誌インタビューを受けない多忙な明石家さんまが、関根勤の芸歴50周年を記念した書籍『嫌われない法則』のため対談が実現!ずっと好かれる2人が出会いや東京・大阪のお笑い論を語った!

――長いお付き合いのお二人ですが、そもそもの出会いはいつ頃だったのでしょうか?

明石家さんま(以下、さんま)僕が19歳か20歳かの、デビューしたての頃ですね。当時大阪にあったうめだ花月という劇場に出演して「京子ちゃんシリーズ」(※1)というネタをやっていたんです。そしたら、1階席に座っている数少ないお客さんがほとんど笑っていないのに、バルコニー席からキャッキャと笑っている声が聞こえるんですよ。

(※1)さんまが高校3年生のときに文化祭で披露したネタ。「京子ちゃん、パーマあてたん?」「ううん、昨日洗濯機の脱水機に頭から突っ込んだの」という実話をもとにシリーズ化された

関根勤(以下、関根)僕はまだ22歳でね。大阪のテレビ局での仕事帰り、当時のマネジャーに「本場の笑いを勉強しよう」と言われて、うめだ花月に行ったんです。そしたら、他の芸人さんとは違う、シュッとした人が舞台に出てきてね。

さんままだ若かったから(笑)。それから数年後、ある番組でお会いしたときに「舞台観ました」と言われて、バルコニー席で笑っていたのが関根さんだったことがわかったんです。

関根とにかくネタの「間」がカッコよくて。それに、自分のセンスと近いものを感じました。

さんま当時は、東京と大阪の笑いには厚い壁があったから、わかってくれる人がいたことがうれしかったし、僕も不思議なことに関根さんと小堺君の「コサキン」の笑いが大好きだった。考えてみたら、不思議なエネルギーの惹きつけ合いですよね。68歳と70歳になった今も一緒に仕事をしているわけですから。

僕らはアマデウスとサリエリのような関係

――数々の番組で共演されてきましたが、お互いをどのような存在だと思っていますか?

さんま僕が司会で先発ピッチャーだとしたら、関根さんは絶対に抑える中継ぎのような存在。今でも一番だと思っているので、スペシャル番組でもスタッフに「ゲストは誰がいいですか」と聞かれたら関根さんをリクエストさせていただいてます。

関根僕にとってのさんまさんは「アマデウス」。超天才を横で見ていられる喜びはすごい。その視点からいえば、僕はサリエリでしょうね。まあそこまで偉大じゃないからサリエリにはちょっと申し訳ないですけど。

さんまこうやってよく褒めていただくのですごく励みになってます(笑)。でも褒めるところがないと、衣装を褒める(笑)。

関根(爆笑)

※2/6発売予定の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです。

【関根勤】
1953年、東京都生まれ。1974年、日本大学在籍中に出演したTBS『ぎんざNOW! 』の「しろうとコメディアン道場」で5週連続で勝ち抜きデビュー。3月3日、有楽町朝日ホールにて小堺一機との共演イベント『コサキンDEワァオ!~ピーチスペシャル~』に出演

【明石家さんま】
1955年、和歌山県生まれ。落語家・笑福亭さんまとしてデビュー後、タレントに。写真集 『さんまの背開き』(ワニブックス)が発売。4年ぶりの主演舞台『斑鳩の王子-戯史 聖徳太子伝―』に出演中(1月10日〜31日東京IMM THEATER、2月11日〜18日梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ)

取材・文/和場まさみ構成/安羅英玉(本誌)撮影/伊藤智美スタイリスト:波多野としこ高野いせこ衣装:HIGH STREET(明石家さんま)TETSU s.p.a /ALKA (関根勤)



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