川崎フロンターレに8年 韓国人GKチョン・ソンリョンが日本の生活で驚き「とにかく速くという考えの母国では見たことがない風景でした」

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川崎フロンターレに8年 韓国人GKチョン・ソンリョンが日本の生活で驚き「とにかく速くという考えの母国では見たことがない風景でした」

12月3日(日) 8:00

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韓国人Jリーガーインタビュー

チョン・ソンリョン(川崎フロンターレ)前編

Jリーグが始まって30年。これまで多くの韓国人選手がプレーしてきた。彼らはどのようなきっかけで来日し、日本のサッカー、日本での生活をどう感じているのか。今回は川崎フロンターレに来て8年になる、GKチョン・ソンリョンに話を聞いた。

後編「チョン・ソンリョンが語る日本代表選手たち」>>

【日本でのプレーはまったくイメージしていなかった】 「シンガード、なんかかっこいい」

これが幼き日のチョン・ソンリョンの日本の印象だった。先輩たちが日本に遠征して、現地で買って帰ってきた"すねあて"。それが韓国で見たことがないような形だったのだ。ソックスの下でズレないようにマジックテープで留められるタイプだった。1985年生まれ。中学校時代の記憶だから90年代後半のものだ。

川崎フロンターレで8年プレーしているGKチョン・ソンリョン photo by Kishiku Torao

川崎フロンターレで8年プレーしているGKチョン・ソンリョン photo by Kishiku Torao



確かに韓国には当時「日本のサッカー用品のなかでも、小物は特にスゴい」という評判はあった。シンガード、キャプテンマークといった実用性のあるもののほか、ステッカーやグラスといったグッズ系も韓国にはあまり存在せず、ソウルから東京に来ては買い漁る業者もいたくらいだ。

チョン・ソンリョンは言う。

「今みたいに簡単に日本と韓国で往来ができる時代じゃなかったでしょう。ただ日本と姉妹都市提携している韓国の都市が多かったから、先輩の多くがそのつながりで日本に遠征していた印象はあります。自分は行ったことがなかったから、シンガードを見てあれこれと想像するしかなかった。

テレビで代表チームの韓日戦を目にすることもありましたよ。日本のサッカーを見て『ボール扱いがうまいな』と思った記憶があります。ただ自分が日本に行ってプレーするというのはまったくイメージしてませんでしたね」

川崎フロンターレで2016年シーズンからプレーするチョン・ソンリョン。幼少期はソウル郊外の城南で育ち、高校は済州島の新進チーム西帰浦高でプレーした。高校卒業後、Kリーグ1の浦項スティーラースに入団。3シーズンは第3キーパーに甘んじるなど苦しい時代を経て、レギュラーポジションを獲得。

2008年には当時強豪だった城南(当時城南一和)に移籍すると、その存在が大きく注目されるようになり、2010年には南アW杯とクラブW杯に出場を果たした。

2011年に国内屈指の人気クラブ水原三星ブルーウィングスに移籍すると、より大きな名声を得ることになる。所属クラブでは2014年、2015年のリーグ準優勝が最高位だったが、代表チームでは2012年ロンドン五輪銅メダル獲得に正GKとして貢献。2014年ブラジルW杯にも出場を果たした。

【日本からのオファーに興奮した】 分岐点は水原との3年契約が切れる、2015年シーズン終了後のことだった。31歳となる翌シーズンはどの道を選ぶのか、心が揺れた。

「周囲のJリーグでのプレー経験のある先輩や友だちから『日本は本当に学ぶ価値のある場所』という話を聞いていましたね。10代の頃には『プロになる、代表選手になる、海外でプレーする』という3つの目標がありましたが、ヨーロッパではなくとも日本でもよいのではないか。そう思い始めたのです」

結局、日本行きを決めた。川崎フロンターレが自身の望む部分と一致するところもあったからだ。

「以前から優勝を争えるチームでプレーする、という点は大切にしてきました。そういったなかでフロンターレは『できる力はあるのにまだできていない』チームでした。だからとても嬉しいオファーでした。興奮しましたよね」

【負けたあとの反応に韓国との違いを感じた】 そうやって足を踏み入れた日本の地。2016年2月27日のサンフレッチェ広島戦でJリーグデビューを果たした。

来日後、そこまでの過程でチョン・ソンリョンは「韓国と日本のギャップに苦しむ」といった経験があまりなかった。ほかの韓国人選手たちは「韓国より緩やかな先輩・後輩の関係」や「戦術・サッカー観の違い」に苦しむものだが、そういった点は口にしない。

「韓国でのプロ初期に3年間全く試合に出られなかった経験があり、また代表チームでは様々な監督の下でもプレーしました。多くの状況を経験したので、少々のことは受け入れる、というマインドができあがっていたのだと思います」

もともと言葉が多いタイプではないし、本来のプレースタイルも安定感で勝負するタイプ。守備ラインの選手たちとの意思疎通のため、初期に覚えた日本語は「自分の視界に入らないで」「見えない」といった内容だった。

強いて文化のギャップを感じた点を挙げるとしたら、「敗戦のあとの日本の選手たちの反応」だった。

「韓国では試合に負けたあと、本当に重い雰囲気になるんです。反省して、結果を噛み締めようとする。負けた試合のあと、翌水曜日や木曜日に合宿をするチームもありました。でも日本の選手たちは負けたあとの切り替えが早いのには少し驚きましたね。試合後、友だちに電話して気持ちを切り替えるような選手もいて。

勝った試合でも同じで、すぐに次の試合のことを考える。いまでは自分自身も『負けのストレスは抱え込まず、早く気持ちを切り替えたほうがいい』と考えられるようになりました」

日本にはそういう考え方もあるんだな、と解釈したのだ。むしろ、日本文化の特徴を強く感じたのはピッチ外での出来事だった。

【コンビニやエレベーターで驚いた】 「コンビニのレジで、年配の方が現金でお金を払っている時のことです。そこでおじいちゃんやおばあちゃんに、若い店員がゆっくりとお札や小銭の数を数えながら確認をしていたんですよ」

なぜ驚いたのか。それが韓国では見たことがない風景だったからだ。

「とにかく速く、速くという考えのある韓国ではあまり見たことがない風景でした。コンビニの支払いでもとにかくキャッシュレスで速く済ませよう、という。日本のそのコンビニでの風景は、スピード感はないけれど、親切で、ゆっくりとしていて感動を覚えました。」

日本のエレベーターでも驚くシーンを目にすることがあった。

「乗り遅れそうな人に対し、すでに乗っている人がボタンを押してちょっと待ったりするでしょう?その姿にも驚きました。そうでなくとも普段から、あとに乗ってきた人は『すみません』という声をかけて乗ってくることがあります。自分自身が先ではなく、相手に配慮するんだなという姿がとても印象的ですね」

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チョン・ソンリョン

鄭成龍/1985年1月4日生まれ。韓国京畿道城南市出身。済州島の西帰浦高校から2003年にKリーグ浦項スティーラースに入団。2008年から城南一和、2011年から水原三星でプレー。2016年に川崎フロンターレに移籍し、クラブの数々のタイトル獲得に貢献。Jリーグベストイレブンにも2度選ばれている(2018、2020年)。韓国代表では2008年北京五輪、2012年ロンドン五輪に出場。ワールドカップは2010年南アフリカW杯、2014年ブラジルW杯に出場している。

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